熊谷 康信(くまがい やすのぶ、1977年〈昭和52年〉9月… 熊谷 康信(くまがい やすのぶ、1977年〈昭和52年〉9月28日 - )は、日本の政治家。宮城県登米市長(1期)、登米市議会議員(1期)。 宮城県登米市出身。専修大学商学部卒業。国会議員大石正光秘書を経て、2021年(令和3年)登米市議会議員に当選。1期務める。 2025年(令和7年)3月12日付で市議を辞職した。 同年4月20日投票の登米市長選挙に無所属で立候補し、現職の熊谷盛廣ら3人を破り、初当選を果たした。なお、投票率は過去最低となった。 ※当日有権者数:61,500人 最終投票率:58.94%(前回比:-pts) 4月29日に就任した。 前市長の熊谷盛廣が掲げていた地域交流センターの建設計画を白紙撤回し、市民病院の改革を目指している。
佐々木なつえ(ささきなつえ、本名:佐々木奈津江、 (1964… 佐々木なつえ(ささきなつえ、本名:佐々木奈津江、 (1964-05-18) 1964年5月18日(61歳))は日本の政治家。 立憲民主党(県議会会派:みやぎ県民の声)所属の宮城県議会議員(2期)。 宮城県登米市出身。迫町立佐沼小学校、迫町立佐沼中学校、宮城県佐沼高等学校卒業。 宮城県佐沼高等学校時代に陸上競技にて国体に出場経験がある。 母子家庭で育ち、本人が子どもの頃に母を訪ねて、ちいさな子どもを抱えた女性や知らない女性が家によく出入りしていたのを見て、子ども心に女性にとって生きにくい社会であると感じていた。また、秘書時代に子育て政策や女性の働き方、女性に関する政策などの会議に出席した際に意思決定の場に女性がいないことに違和感を持ち政治家を目指すようになる。
布施 孝尚(ふせ たかひさ、1961年〈昭和36年〉7月27… 布施 孝尚(ふせ たかひさ、1961年〈昭和36年〉7月27日 - )は、日本の政治家、歯科医師。元宮城県登米市長(3期)。 宮城県登米市出身。宮城県佐沼高等学校、日本大学歯学部卒業。 2005年(平成17年)4月1日、登米郡8町(迫町、登米町、南方町、東和町、中田町、豊里町、米山町、石越町)と本吉郡津山町が合併し、登米市が誕生する。それに伴って同年4月29日に執行された登米市長選挙に無所属で出馬し、初当選。 2009年(平成21年)4月、無投票により2期目の当選を果たす。 2013年(平成25年)4月21日執行の市長選に無所属(自民党、民主党、公明党推薦)で出馬。元市議会議員の遠藤音を破り、3期目の当選。
熊谷 盛廣(くまがい もりひろ、1951年〈昭和26年〉3月… 熊谷 盛廣(くまがい もりひろ、1951年〈昭和26年〉3月3日 - )は、日本の政治家。元宮城県登米市長(2期)、元宮城県議会議員(1期)、元津山町長(1期)。名前の表記に関しては熊谷 盛広と書かれることも多い。 宮城県登米市出身。宮城県佐沼高等学校、慶應義塾大学法学部(通信課程)卒業。 2002年(平成14年)、津山町長に就任。2005年(平成17年)4月1日に津山町が他の登米郡8町と合併し消滅するまで町長を務めた。 2007年(平成19年)4月に行われた宮城県議選・登米選挙区(定数3)に無所属で立候補し3位で初当選。当選後に自民党入り。 東日本大震災のため2011年(平成23年)11月13日に延期された県議選、2015年(平成27年)10月25日に行われた県議選は、いずれも自民党公認で立候補するも次点(3位)で落選した。
星 廉平(ほし れんぺい、1886年(明治19年)1月1日 … 星 廉平(ほし れんぺい、1886年(明治19年)1月1日 - 1967年(昭和42年)6月23日)は、明治末から昭和前期の日本の実業家・政治家。衆議院議員。幼名・博。 宮城県登米郡、のちの佐沼町(迫町を経て現登米市迫町佐沼)で、呉服商・先代星廉平、まつゑ の長男として生まれた。1900年(明治33年)家督を相続し廉平を襲名し呉服商を営む。1905年(明治38年)宮城県立第二中学校(現宮城県仙台第二高等学校)を卒業し、陸軍省臨時嘱託となり満州、朝鮮の経済状況調査の視察を行う。この経験から政界への関心を持つようになった。 1911年(明治44年)9月、宮城県会議員に選出され、1912年(大正元年)10月まで在任。
村松 山寿(むらまつ さんじゅ、1867年3月10日(慶応3… 村松 山寿(むらまつ さんじゅ、1867年3月10日(慶応3年2月5日) - 1937年(昭和12年)10月18日)は、衆議院議員(立憲同志会→憲政会)、弁護士。村松亀一郎の従兄弟。 陸奥国登米郡西郡村(現在の宮城県登米市)出身。1888年(明治21年)よりアメリカ合衆国に留学し、ミシガン州立大学法学部を卒業した。帰国後、第二高等学校の講師となったが、辞して1894年(明治27年)から仙台市に弁護士事務所を開いた。1901年(明治34年)にはシャムとイギリスの弁護士資格を取得し、バンコクに事務所を開いた。帰国後は東京や仙台で弁護士の業務に従事した。 1915年(大正4年)、第12回衆議院議員総選挙に出馬し、当選した。
山田 義三郎(やまだ ぎさぶろう、1861年3月9日(文久元… 山田 義三郎(やまだ ぎさぶろう、1861年3月9日(文久元年1月28日) - 1924年(大正13年)3月21日)は、明治から大正時代の政治家、実業家。貴族院多額納税者議員。 陸奥仙台藩領登米郡、のちの登米町(現登米市)で、商家・山田東十郎の長男として生まれる。1893年(明治26年)11月、家督を相続した。1894年(明治27年)登米郡会議員に当選。1899年(明治32年)から宮城県会議員を4期務めた。ほか、登米町会議員、宮城県参事会員、登米汽船、登米製糸各社長、宮城貯蓄銀行取締役、宮城県繭糸同業組合長などを歴任した。仙北鉄道設立の発起人にも名を連ねた。 1909年(明治42年)宮城県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年10月9日から1911年(明治44年)9月28日まで在任した。
星 松三郎(ほし まつさぶろう、1855年6月11日(安政2… 星 松三郎(ほし まつさぶろう、1855年6月11日(安政2年4月27日)- 1906年(明治39年)4月18日)は、明治期の実業家・政治家。衆議院議員。 宮城県登米郡、のちの佐沼町(迫町を経て現登米市迫町佐沼)で、商人・星松治郎の第七子(二男)として生まれた。村の儒者・中村竹徑に師事し、さらに英学を修めた。1875年(明治8年)から水害救民救恤係、勧業世話役、衛生委員、学校世話役などを務めた。 その後上京して商業を営むが不景気となり、1884年(明治17年)から1886年(明治19年)にかけて全国の民情視察を2回実施して、その報告書を作成して頒布した。1886年10月には欧米の政治経済の視察旅行を行った。
村松 亀一郎(むらまつ かめいちろう、嘉永6年1月5日(18… 村松 亀一郎(むらまつ かめいちろう、嘉永6年1月5日(1853年2月12日) - 昭和3年(1928年)9月22日)は、日本の衆議院議員(憲政本党→立憲国民党→立憲同志会→憲政会→立憲民政党)、弁護士。従兄弟に村松山寿がいる。 陸奥国登米郡西郡村(現在の宮城県登米市)出身。漢学を学び、江戸に出ようとするも、明治維新の混乱で引き返し、仙台で藩医の大槻氏のもとで学んだ。その後、1872年(明治5年)に東京に出て、元田直の法律学舎で学んだ。1876年(明治9年)、代言人の試験に合格し、松本・上田で業務を行った。1878年(明治11年)、大井憲太郎が創設した明法学舎が第一分舎を仙台に置くことになると、その主幹に任命された。
首藤 陸三(すどう りくぞう、嘉永4年3月15日(1851年… 首藤 陸三(すどう りくぞう、嘉永4年3月15日(1851年4月16日) - 大正13年(1924年)5月31日)は、日本の衆議院議員(立憲改進党→進歩党→憲政党→憲政本党→立憲同志会)。 陸奥国登米郡登米町(現在の宮城県登米市)出身。1868年(明治元年)、東京に出て、尺振八の共立学舎で英学を学んだ。1872年(明治5年)、新潟県の英語教授となり、翌年から小倉県育徳学校教授に就任した。1875年(明治8年)、大蔵省翻訳課に出仕し、1877年(明治10年)には東京府書籍館に転じた。翌年より宮城県属になり、学務課長心得と仙台師範学校校長を兼ねた。1880年(明治13年)に官を辞した後は、宮城県会議員に当選し、副議長に選出された。