大友 孝徳(おおとも たかのり、1962年7月17日 - )… 大友 孝徳(おおとも たかのり、1962年7月17日 - )は日本の政治家、経営者。由利本荘市議会議員(1期目)。 本名は大友 孝徳(読み同じ、政治家としては本名名義)。秋田県本荘市(現:由利本荘市)出身。18歳で上京し、32歳でアパレル系の企画会社を経営。廃業後の2017年、37年ぶりに帰郷。その後、2018年5月に自己破産し、大友商店の屋号で再スタートを切る。大友商店では、「鳥海山麓ごっつぉ蕎麦」や秋田県の物産を扱うECサイトを開設。 大友商店に加え、「ゆりぷらざ」や「自由食堂」を次々と開業させ、子供たちのために子ども食堂も開業している。 また本荘駅前市場で「昼市」「夜市」「さいかい市」などを開催し、地域の賑わいに努めている。
村岡 兼幸(むらおか かねゆき、1957年6月21日 - )… 村岡 兼幸(むらおか かねゆき、1957年6月21日 - )は、日本の実業家。村岡建設工業代表取締役社長。日本青年会議所(JC)の第46代会頭を務めた。父は内閣官房長官を務めた元衆議院議員の村岡兼造、弟は衆議院議員の村岡敏英。 秋田県本荘市(現由利本荘市)生まれ。本荘市立南中学校、秋田県立本荘高等学校、青山学院大学経営学部卒業。 大学卒業後、地域における「まちづくり運動」の青年会議所に15年間かかわり、1990年(平成2年)、社団法人由利本荘青年会議所理事長に就任した。その後、社団法人日本青年会議所の常任理事、専務理事、副会頭を歴任、1997年(平成9年)には日本青年会議所第46代会頭に就任した。
太田 良治(おおた よしはる、1956年1月18日 - )は… 太田 良治(おおた よしはる、1956年1月18日 - )は、日本の電気技術者、実業家。ユアテック相談役。2021年6月から2025年4月までは同社社長を歴任した。 秋田県由利本荘市出身。1978年明治大学工学部電気工学科卒業、東北電気工事(現ユアテック)入社。入社後は、設備部門や営業部門を長く歩む。2011年執行役員、2014年取締役、2015年常務取締役、2017年代表取締役専務、2018年同副社長を歴任する。2021年6月24日、代表取締役社長に就任。これまでユアテック前身の東北電気工事を含め、親会社の東北電力出身者が社長を務めてきたが、生え抜きが社長に就任するのは初めてである。受注競争が激化する中、社員の士気を高める狙いがあるとみられる。
植村 伴次郎(うえむら ばんじろう、1929年〈昭和4年〉3… 植村 伴次郎(うえむら ばんじろう、1929年〈昭和4年〉3月30日 - 2019年〈令和元年〉10月15日)は、日本の実業家、東北新社創業者である。 1929年3月に秋田県由利郡東滝沢村(現:由利本荘市)前郷で生まれ、第二次世界大戦の終戦直前まで同地で育つ。戦時中は、群馬県邑楽郡小泉町(現:大泉町)にあった中島飛行機の工場で学徒動員を経験した。1945年3月に旧制本荘中学校を卒業する。 1950年代からは新橋にて「COMO」というバーを経営。黒柳徹子など当時の若手俳優が集ったという。 1961年4月1日、海外番組の日本語吹き替えを制作する東北新社を創業し、以後代表取締役社長として長く経営した。
三船 留吉(みふね とめきち、1909年(明治42年)2月1… 三船 留吉(みふね とめきち、1909年(明治42年)2月10日 - 1983年(昭和58年)1月7日)は、日本の社会運動家、実業家。日本共産党員でありつつ、特別高等警察(特高)のスパイとして活動した。「小林多喜二を売った男」として知られている。 秋田県由利郡川内村(現由利本荘市)生まれ。1928年頃に上京し、旋盤工として働きながら、1930年10月、全国労働組合同盟(全労)亀戸分会に加入、東京・下町の労働運動に参加した。やがて非合法の組合運動に接近する中で、検挙・拘留を繰り返し、1930年頃警視庁特高課毛利基直属のスパイとなった。 1931年6月15日、コミンテルン上海出張所(極東部)組織部長イレール・ヌーランとその妻が上海租界警察に逮捕されるという「上海ヌーラン事件」を誘発した。
須藤 善一郎(すどう ぜんいちろう、1863年10月30日〈… 須藤 善一郎(すどう ぜんいちろう、1863年10月30日〈文久3年9月18日〉- 1937年〈昭和12年〉4月10日)は、明治から昭和初期の畜産家、実業家、政治家。衆議院議員、秋田県由利郡本荘町長。幼名・広太郎。雅号・寿堂、松園。生涯、馬産改良に尽力した。 出羽国由利郡本荘中町(秋田県由利郡本荘町、本荘市を経て現由利本荘市中町)で、大地主・須藤善太郎、ナオの長男として生まれた。長安寺の寺子屋、本荘藩藩校を経て、1877年(明治10年)小学校を卒業した。以後、自宅に招いた教師から歴史、漢学、英語を修めた。1879年(明治12年)9月、父が死去して家督を相続し善一郎に改名した。1880年(明治13年)ころに同志を募って夜学講習会を立上げ会長に就任した。