菊池 昇 (きくち のぼる、1951年 - ) は、日本出身… 菊池 昇 (きくち のぼる、1951年 - ) は、日本出身の工学者。ミシガン大学Roger L. McCarthy機械工学名誉教授、全米技術アカデミー外国人会員、トヨタコンポン研究所代表取締役所長、分子科学研究所運営顧問。トヨタ自動車技監、豊田中央研究所代表取締役所長を務めた。 専門は機械工学、航空工学、デジタルエンジニアリング。 秋田県仙北郡神岡町(のちの大仙市)生まれ。1969年秋田県立秋田高等学校卒業。1974年東京工業大学(のちの東京科学大学)工学部土木工学科卒業。1977年テキサス大学オースティン校工学部航空工学科博士課程修了、Ph.D.。 1979年テキサス大学工学部航空工学科助教授。
柿崎 明人(かきざき あきと、1947年 - ) は、日本の… 柿崎 明人(かきざき あきと、1947年 - ) は、日本の物理学者。東京大学名誉教授。学校法人筑波研究学園理事長、筑波研究学園専門学校校長。 秋田県大仙市生まれ。1966年秋田県立秋田高等学校卒業。1970年東北大学理学部物理学科卒業。1975年東北大学大学院理学研究科博士課程修了、理学博士。 1976年宮城教育大学理科教育研究施設助手。1979年筑波大学物質工学系講師。1985年東京大学物性研究所助教授。1997年高エネルギー加速器研究機構物質構造科学研究所教授。2000年日本放射光学会評議員。2001年東京大学物性研究所教授。 2006年島津賞受賞。 東京大学物性研究所軌道放射物性研究施設長を経て、2012年から東京大学名誉教授、筑波研究学園専門学校校長。
佐藤 典人(さとう のりひと、1946年12月23日 - )… 佐藤 典人(さとう のりひと、1946年12月23日 - )は、日本の地理学者、法政大学名誉教授。専門は、気候学。法政大学通信教育部部長や、法政大学野球部部長なども務めた。 秋田県大仙市生まれ。 1970年に法政大学文学部地理学科を卒業し、1976年に大学院人文科学研究科地理学専攻博士課程在学した。その後、1992年に「東北地方の梅雨期のひと雨降水量分布に関する気候地理学的研究」により、法政大学から文学博士を取得している。 1975年に法政大学文学部研究助手となり、以降、1978年に専任講師、1981年に助教授、1986年に教授と昇任し、1997年から1998年にかけてはニュージーランドのオタゴ大学客員教員であった。
荒井 献(あらい ささぐ、1930年5月6日 - 2024年… 荒井 献(あらい ささぐ、1930年5月6日 - 2024年8月16日)は、日本の新約聖書学者・グノーシス主義研究者。学位は、神学博士(ドイツ・エアランゲン=ニュルンベルク大学)。東京大学名誉教授、恵泉女学園大学名誉教授。日本学士院会員。 1930年(昭和5年)、秋田県大曲市(現大仙市)で生まれた。秋田県立秋田高等学校より東京大学へ進み、1954年、東京大学教養学部を卒業。東京大学大学院人文科学研究科に進み、西洋古典学を専攻した。1959年に博士課程を単位取得満期退学。その後はドイツ・フリードリヒ・アレクサンダー大学エアランゲン=ニュルンベルクに留学し、『ナグ・ハマディ写本』中の『真理の福音』のキリスト論に関する学位論文を提出して神学博士の学位を得た。
三森 英逸(みもり えいいつ、大正4年(1915年)9月8日… 三森 英逸(みもり えいいつ、大正4年(1915年)9月8日 - 没年不詳)は、昭和の郷土史家。秋田県仙北郡大曲町(現大仙市)出身。 先祖は由利郡矢島(由利本荘市矢島町)の人。江戸時代の前に大曲村に移住。代々、義右衛門を名乗り、子孫は大曲に残った者、角館町(仙北市角館)に分家した者、のちに東京都へ移住した者がいるのだと云う。 旧陸軍の経理学校を卒業後、第二次世界大戦が始まり、召集され戦地へ。復員後に大曲少史編纂に関わる。1959年(昭和34年)4月10日、「仙北友報」創刊。仙北友報(現・三森印刷)代表。秋田県歴史調査委員、大曲市郷土史編纂委員、大曲文化財審議委員。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
物部 長穂(もののべ ながほ、1888年6月19日 - 19… 物部 長穂(もののべ ながほ、1888年6月19日 - 1941年9月9日)は日本の土木学者。工学博士。日本の水理学、土木耐震学の第一人者。 秋田県仙北郡(現在の大仙市域)出身。出羽物部氏の家系である唐松神社の生まれで、弟に帝国陸軍中将の物部長鉾がいる。 大正時代から昭和初期に掛けて土木工学の第一人者として当時の日本に多大な影響を与えたが、特に影響を与えたのは河川工学・ダム工学である。ダムの耐震構造に関する基礎を形成し(これを初めて採用したのが庄川水系の小牧ダム)、バットレスダムや重力式コンクリートダムの工法理論を構築した。そして最も影響を与えたのは河川開発であり、彼の発案した「河水統制計画」論は以後の河川開発に革命をもたらし、河川総合開発事業とその根幹である多目的ダムは彼の案より実現された。
田口 謙蔵(たぐち けんぞう、1883年2月6日 - 195… 田口 謙蔵(たぐち けんぞう、1883年2月6日 - 1956年1月16日)は、日本の新聞人、秋田県会議員、郷土史家。松圃(しょうほ)と号した。 田口家は秋田県の花館村の人であり、先祖は千助とされる。大曲町の素封家であった田口米吉の二男として産まれる。祖父・岩蔵が、謙蔵には幼くして非凡な才能のあることを見抜き、満三歳から大道政治郎という人をつけて勉強させた。大道の熱心な教育もあり、通常より2年早い5歳で大曲小学校に入学し神童と呼ばれる。 1891年に秋田市伝紳画会が平福穂庵の追悼画会として全国から作品を募集した際に、当時9歳の謙蔵も絵画を応募したが、審査にあたった鈴木百年、菅原白竜は筆致に感じて奉書紙に漢文の奨励詞を書いて、手づから与えた。
嶋貫 秀樹(しまぬき ひでき)は、秋田県大曲市(現在の大仙市… 嶋貫 秀樹(しまぬき ひでき)は、秋田県大曲市(現在の大仙市)出身の起業家、慈善団体活動家。 SPMグループのCEO(不動産開発、建設、コンサルタント等) ・株式会社SPMジャパン ・株式会社SPMコーポレーション ・株式会社SPM建設設計(→スルーアイランドに改称) ・合同会社myふどうさん・japn 他 公益財団法人日本国際育成支援機構会長。 2014年4月一般財団法人南アジア友好協会設立。現在公益財団法人公益財団法人日本国際育成支援機構に改称。