豪風 旭(たけかぜ あきら、1979年6月21日 - )は、… 豪風 旭(たけかぜ あきら、1979年6月21日 - )は、秋田県北秋田郡森吉町(現・北秋田市)出身で尾車部屋に所属した元大相撲力士。本名は成田 旭(なりた あきら)、愛称はアキラ。身長172cm、体重152kg、血液型はAB型。得意技は突き、押し、一本背負い。最高位は西関脇(2014年9月場所)。現在は年寄・押尾川。 秋田県県民栄誉章受章・北秋田市市民栄誉賞受章・北秋田市ふるさと大使。 小学生の時は相撲部に所属。森吉町立森吉中学校時代はただ勉強を教えるだけではなく生徒をきちんと把握した学校の先生に憧れており、この頃から教師を志していた。中学時代に務めた学級委員長としては朝礼の時間の小テストを提案し、生徒たちからブーイングを受けたと、後に2019年3月場所前の相撲誌の記事で明かしている。
大野咲 慎祐(おおのさき しんすけ、1937年7月21日 -… 大野咲 慎祐(おおのさき しんすけ、1937年7月21日 - 没年不明)は、伊勢ヶ濱部屋、荒磯部屋、伊勢ヶ濱部屋に所属した元大相撲力士。本名は鈴木 晋。現在の秋田県北秋田市出身。174cm、92kg。最高位は西十両4枚目。得意技は左四つ、寄り。 1951年9月場所に初土俵。当初は序ノ口、序二段で勝ち越せずに苦戦したが、1954年9月場所で入門して初めての勝ち越しを決めると、そこから勝ち越しを続けていき、1961年5月場所に十両昇進。1961年11月場所には自己最高位となる十両4枚目まで番付を上げるも入幕は果たせなかった。1962年9月場所で幕下陥落すると、以降十両へ復帰できずに幕下下位で3勝4敗と負け越した1963年9月場所限りで廃業した。
羽後響 助枩(うごひびき すけまつ、1904年6月26日 -… 羽後響 助枩(うごひびき すけまつ、1904年6月26日 - 没年不明)は、秋田県北秋田郡森吉町(現北秋田市)出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は武石 助松。身長167cm、体重90kg。最高位は西十両筆頭。 1921年1月初土俵、1928年1月十両昇進。十両では負け越したり休場したりと幕下に何度も落ちたりしたが、1931年1月に4回目の十両昇進で東十両7枚目に付いてから定着し、5月に西十両筆頭まで躍進した。この場所と翌10月場所で勝ち越し、次の場所での新入幕が確実とみられたが、1932年1月場所の新番付では入幕どころか1枚下の西十両2枚目にされた。番付発表当日に起きた春秋園事件に加担し、1932年1月脱退(番付上は削除、実質的最終場所は1931年10月)し、天竜三郎率いる新興力士団に加わった。
一湊 政五郎(いちみなと まさごろう、1890年8月1日 -… 一湊 政五郎(いちみなと まさごろう、1890年8月1日 - 1945年12月14日)は、秋田県北秋田郡森吉町(現・北秋田市)出身で出羽海部屋に所属した力士。本名は久住 政五郎。174cm、92kg。最高位は東前頭4枚目。 1909年1月初土俵、入門時は仙台地方の草相撲の大関で、上京して横綱常陸山の門弟となる。地道に昇進して1916年1月十両昇進。2場所連続で勝ち越して1917年1月入幕。右四つからの上手投げを得意技とする相撲巧者で、堅実な取り口には定評があった。1918年5月場所には自己最高位の東前頭4枚目まで進んだ。しかし以降は振るわず、1920年5月場所十両に陥落し、翌1921年1月場所で廃業した。
白川 志賀右衛門(しらかわ しがえもん、1781年(天明元年… 白川 志賀右衛門(しらかわ しがえもん、1781年(天明元年) - 1818年5月15日(文化15年4月11日))は、江戸時代の大相撲の大関。出羽国(現秋田県北秋田市坊沢)出身。地元では「坊沢(ぼんじゃ)の徳」として民話の題材になり語り継がれている。 1796年(寛政8年)に米内沢に巡業に来た大関小野川に見込まれる。後に大関柏戸宗五郎の弟子になる。1810年(文化7年)に桑ノ弓徳右エ門の四股名で初入幕する。11月に関脇、翌年1月には白川志賀右エ門(2代目白川志賀右エ門)と改名し、西大関に昇進する。翌年に白川志賀右衛門とし西関脇になるが、そこで引退する。 1781年(天明元年)に現在の北秋田市坊沢村に生まれる。