KO-TANG(コータング、1985年1月17日)は、プロダ… KO-TANG(コータング、1985年1月17日)は、プロダンサー。本名、伊藤恒太。秋田県五城目町出身。実家は滑多羅温泉(なめたらおんせん)。令和2年4月15日より五城目町観光PR大使に任命。 秋田県五城目第一中学校、秋田経済法科大学附属高校(現明桜高校)、秋田経済法科大学(現ノースアジア大学)法学部卒業。中学生の頃、TVで岡村隆史に影響を受けダンスに目覚める。その後独学でダンスを始める。高校生になり、数々のダンスバトルイベントやコンテストで優勝。秋田の時代にはダンスチームBLOOMを結成し様々なコンテストで優勝。その後SLAAAMとして東北を中心にゲストショーなどで活躍。その他大学のサークル作りイベントの主宰にボランティア、ラジオ出演など精力的に活動。
新谷 明弘(あらや あきひろ、1955年(昭和30年)2月9… 新谷 明弘(あらや あきひろ、1955年(昭和30年)2月9日 - )は、日本の実業家。秋田銀行代表取締役頭取や取締役会長を歴任した。秋田県南秋田郡五城目町出身。
千葉 喜久也(ちばきくや、1951年11月14日 - )は、… 千葉 喜久也(ちばきくや、1951年11月14日 - )は、秋田県南秋田郡五城目町出身の社会福祉学者。仙台大学体育学部健康福祉学科教授。 1951年11月14日、現在の秋田県南秋田郡五城目町出身。 1975年、秋田県庁採用、総務部秋田県東京事務所、福祉保健部児童福祉課、秋田県中央児童相談所等に勤務。 1996年9月秋田県職員海外研修生として米国に派遣され、高齢者福祉施設で介護の現場を学ぶ。その後、法政大学大学院社会科学研究科修士課程修了。 2000年4月から東北福祉大学社会福祉学部社会福祉学科専任講師。2001年4月より同助教授(2002年4月より、総合福祉学部社会福祉学科に改組)、2007年4月より同准教授。
工藤 政志(くどう まさし、1951年8月24日 - )は、… 工藤 政志(くどう まさし、1951年8月24日 - )は、日本のプロボクサー。身長173cm。元日本ミドル級王者。元WBA世界スーパーウェルター級王者。元リングマガジン世界スーパーウェルター級王座。レスリング出身でインターハイ3位という成績を持ち、ミュンヘンオリンピックの代表から外れたためにプロボクシングに転向したという経歴を持つ。 1951年、秋田県南秋田郡五城目町に生まれる。小学2年生の時に父を亡くした工藤は、新聞配達などで家計を助けた。五城目町はレスリングが盛んで、工藤も進学先の秋田県立五城目高等学校ではレスリング部に所属、インターハイ65kg級3位入賞などの成績を残す。高校卒業後もレスリングを続けるため自衛隊体育学校に入学するも、1972年にミュンヘンオリンピックの代表選考から漏れ、ボクシングへ転向する。
分銅 惇作(ふんどう じゅんさく、1924年9月23日 - … 分銅 惇作(ふんどう じゅんさく、1924年9月23日 - 2009年1月29日)は、日本の近代日本文学研究者。東京教育大学教授・実践女子大学教授を経て、同大学長・名誉教授。1999年勲三等瑞宝章受章。 秋田県南秋田郡五城目町出身。旧制秋田中学校(現在の秋田県立秋田高等学校)等を経て東京文理科大学卒業。 その後、高校教諭、東京教育大学教授、実践女子大学教授、同大学長(1993年)。のち名誉教授。1999年秋、勲三等瑞宝章受勲。
矢田 津世子(やだ つせこ、本名矢田ツセ、1907年(明治4… 矢田 津世子(やだ つせこ、本名矢田ツセ、1907年(明治40年)6月19日 - 1944年(昭和19年)3月14日)は、日本の小説家、随筆家。秋田県南秋田郡五城目町出身。はじめモダン派であったが純文学に転身し、1936年に小説『神楽坂』が第3回芥川賞候補に選ばれる。文章力と美貌を兼ね備えた女流作家として人気を集めた。坂口安吾が愛した女性として知られる。大和生命第5代社長の矢田不二郎は兄。 秋田県五城目町古川町(現在の同町下タ町)に、矢田鉄三郎(1866-1925)、チヱ(1869—1944)の四女として生まれる。父鉄三郎は秋田市に居住していたが、当時の五城目町長に請われて1898年に同町の助役に就任し、本籍ごと一家をあげて五城目町に移っていた。
矢田 不二郎(やだ ふじろう、1902年(明治35年)8月2… 矢田 不二郎(やだ ふじろう、1902年(明治35年)8月20日 - 1981年(昭和56年)1月29日)は、大和生命の5代目取締役社長。実妹は小説家の矢田津世子。妹の人生、文学に大きな影響を与えた。 秋田県南秋田郡五城目町出身。五城目町助役の父鉄三郎、母チヱ夫妻の次男として出生。秋田中学に進学したが父の退職と秋田市転居、1916年の上京にともなって明治中学(現・明治大学付属明治高等学校・中学校)に転校した。その後、第一高等学校から1923年には東京帝国大学法学部法律学科へ進学した。 大学卒業後、1926年大和生命の前身・日本徴兵保険株式会社に就職。翌年から1932年まで名古屋支店に勤務。名古屋の同人誌「第一文学」に妹津世子とともに加入。
木村 謹治(きむら きんじ、1889年1月2日 - 1948… 木村 謹治(きむら きんじ、1889年1月2日 - 1948年1月13日)は、日本のドイツ文学・ドイツ語学者、東京帝国大学教授。文学博士。 秋田県南秋田郡大川村(現・五城目町)出身。県立秋田中学校(現秋田県立秋田高等学校)、慶應義塾普通部、第二高等学校を経て東京帝国大学独文科でカール・フローレンツに学ぶ。第四高等学校教授から、1924年東京帝国大学独文科助教授となり、1932年教授。同僚の相良守峯とともに編纂した独和辞典は「キムラ・サガラ」と呼ばれて長く使われた。またゲーテ研究に力を注いだ。生化学者の木村雄吉は実弟、ロシア文学者木村彰一及び外交官木村敬三は息子。画家の木村哲雄は孫。 秋田県南秋田郡大川村(後の五城目町大川)で父松助、母ナヲの7男3女の第3子として生まれる。