佐藤 隼輔(さとう しゅんすけ、2000年1月3日 - )は… 佐藤 隼輔(さとう しゅんすけ、2000年1月3日 - )は、山形県山形市生まれ、宮城県仙台市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。埼玉西武ライオンズ所属。 山形県山形市で生まれ、宮城県仙台市で育った。 仙台市立愛子小学校4年生のときに愛子スポーツ少年野球団で野球を始め、小学6年生の冬から仙台市立広瀬中学校1年生の夏まではリトルリーグの折立スパローズに所属し、全国大会での優勝を経験。その後は広瀬中学校の軟式野球部に所属し、宮城県選抜にも選ばれた。 仙台高校に進学すると、1年夏は背番号18でベンチ入りし、宮城広瀬との初戦に先発。9回10安打9奪三振3失点という内容で完投勝利を挙げた。2年秋から背番号1。
大泉 周也(おおいずみ しゅうや、1999年9月16日 - … 大泉 周也(おおいずみ しゅうや、1999年9月16日 - )は、山形県山形市出身のプロ野球選手(外野手・育成選手)。左投左打。福岡ソフトバンクホークス所属。 山形市立金井小学校で1年生の時に山形リトルで野球を始める。山形市立金井中学校在学時は硬式野球のクラブチームである山形シニアでプレーしていた。 山形県立山形中央高等学校に進学し、1年春から公式戦に出場した。2年夏、3年夏に山形大会決勝に進出し本塁打を放ったが、チームはいずれも敗れ、3年間で甲子園大会出場はなかった。高校通算53本塁打。 高校卒業後は日本製鉄鹿島へ入社。3年間在籍したが目立った実績はなく、2020年オフに勇退した。 その後、2021年春にベースボール・チャレンジ・リーグの福島レッドホープスへ入団した。
粟津 凱士(あわつ かいと、1997年3月1日 - )は、山… 粟津 凱士(あわつ かいと、1997年3月1日 - )は、山形県山形市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 山本学園高等学校では2年夏まではサードであったが、その後投手に転向。2年秋にエースとなったが、3年夏は登板なく県大会初戦敗退。野球を辞めて就職する予定だったが、東日本国際大学の入学が内定していた同級生の代わりに入学した。 東日本国際大学では、1年春からベンチ入り。3年からフォームを上手から変更すると、秋に先発投手に定着して4年秋まで3季連続で最優選手。4年時はリーグ戦で春秋最多勝、ベストナインを受賞。大学選手権の京都学園大学戦で完封勝利を挙げた。 2018年9月18日にプロ志望届を提出し、10月25日に行われたドラフト会議では、埼玉西武ライオンズから4位指名を受け、11月27日に契約金4000万円、年俸1000万円で契約した。
石山智也(いしやま ともや、1979年11月2日 - )は、… 石山智也(いしやま ともや、1979年11月2日 - )は、日本野球機構所属のプロ野球審判員。山形県出身。審判員袖番号『25』。 日本大学山形高等学校を卒業後、地元で就職し2003年まで勤務。リトルシニアで2年間の審判経験があった。2004年にセントラル・リーグ審判部に入局。 2008年シーズンではイースタン・リーグの優秀審判員として表彰された。 2011年から球審での構えをボックススタンスからシザーススタンスに変更した。 2012年にオールスターゲームに初出場し第3戦で球審を務めた。 2016年5月17日、地元・山形県の荘内銀行・日新製薬スタジアムやまがたで行われた読売ジャイアンツ対横浜DeNAベイスターズ戦では球審を務めた。
広野 准一(ひろの じゅんいち、1969年3月26日 - )… 広野 准一(ひろの じゅんいち、1969年3月26日 - )は、山形県山形市出身の元プロ野球選手(投手)。 日大山形高の3年時に、エースの故障で内野手から投手に転向した。3年春の東北大会で完封勝利。 1986年のプロ野球ドラフト会議で日本ハムファイターズから6位指名を受け入団。 一軍登板のないまま、1991年限りで現役を引退。引退後は会社員となった。
滝口 光則(たきぐち みつのり、1961年11月2日 - )… 滝口 光則(たきぐち みつのり、1961年11月2日 - )は、山形県山形市出身の元プロ野球選手(投手)。 山形南高では、エースとして1979年夏の甲子園県予選準決勝に進むが日大山形高に敗退。 1979年のプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから3位指名を受け入団。 プロ6年目の1985年に一軍初登板を果たし、1986年にはカーブとチェンジアップを武器にウエスタンリーグで11勝6敗の最多勝を獲得。 1988年10月に鍋屋道桜と共に高代延博との2対1の交換トレードで日本ハムファイターズに移籍。移籍後は一軍登板できないまま、1989年限りで現役を引退。 現在は、山形在住の会社員。また少年野球山形中央リトルシニアクラブの監督でもある。
小山田 健一(おやまだ けんいち、1950年9月13日 - … 小山田 健一(おやまだ けんいち、1950年9月13日 - 2001年3月20日)は、山形県山形市出身のプロ野球選手(捕手)。 プロ野球選手の小山田貴雄は実子。 日大山形高では、捕手、四番打者として左腕エース柳橋明(日本石油)とバッテリーを組み、1968年夏の甲子園に出場。2回戦(初戦)で岩国商に0-1で敗れるが、強打が注目され東映フライヤーズにドラフト6位で指名を受け入団。 種茂雅之、加藤俊夫ら捕手陣の揃った東映では一軍に定着しきれなかったが、1974年9月には打力を活かし一塁手として2試合に先発出場を果たす。1976年にヤクルトスワローズに移籍。ここでも大矢明彦という不動の正捕手がいたため出場機会に恵まれなかった。