菊池 博(きくち ひろし、1962年6月12日 - )は、日… 菊池 博(きくち ひろし、1962年6月12日 - )は、日本の政治家、税理士。元茨城県下妻市長(2期)、元下妻市議会議員、元千代川村議会議員。 茨城県結城郡千代川村(現:下妻市)生まれ。茨城県立下妻第一高等学校、中央大学理工学部管理工学科卒業。税理士法人事務所に勤務。2003年(平成15年)に千代川村議会議員に初当選。2006年(平成18年)1月1日、千代川村は下妻市に編入された。編入後最初に行われた2007年(平成19年)の下妻市議会議員選挙に立候補し当選。 2017年(平成29年)12月25日、任期満了にともなう下妻市長選挙に立候補する意向を表明した。 2018年(平成30年)3月25日に行われた下妻市長選挙で、現職の稲葉本治(公明党推薦)との一騎打ちを制し初当選を果たした。
稲葉 本治(いなば もとはる、1945年(昭和20年)7月7… 稲葉 本治(いなば もとはる、1945年(昭和20年)7月7日 - )は、日本の政治家。元茨城県下妻市長(2期)、元千代川村長、元千代川村議会議員(3期)。 東京都生まれ。茨城県下妻市育ち。茨城県立下妻第一高等学校、法政大学経済学部卒業。稲葉食糧に勤務。千代川村議会議員を3期務めた。 千代川村長在職中、下妻市・千代川村合併協議会の副会長に就任。2006年(平成18年)1月1日、千代川村は下妻市に編入される。 下妻市助役や副市長を経て、2010年(平成22年)3月28日に行われた下妻市長選挙に出馬し、初当選した。4月14日、市長就任。 2014年(平成26年)、無投票で再選。 2018年(平成30年)、3期目を目指したが、元市議の菊池博との一騎打ちに敗れ、落選。
小倉 敏雄(おぐら としお、1940年〈昭和15年〉5月5日… 小倉 敏雄(おぐら としお、1940年〈昭和15年〉5月5日 - 2021年〈令和3年〉6月4日)は、日本の政治家。茨城県下妻市長(2期)。位階は正六位。 下妻市生まれ。日本大学理工学部卒。下妻市で自動車部品加工会社を経営、社長となる。下妻市監査委員、下妻二高PTA会長などを務める。 2002年(平成14年)2月、当時の下妻市長が図書館建設工事の価格を業者に漏らしたとして競売入札妨害の容疑で逮捕された(業際研事件)。4月の出直し選挙に立候補し、市長選挙は17年ぶりの選挙戦となり、元市議会副議長を破って当選した。 ※当日有権者数:28,088人 最終投票率:58.34%(前回比:-pts) 同月14日に就任した。
小濱 新次(こはま しんじ、1915年(大正4年)5月12日… 小濱 新次(こはま しんじ、1915年(大正4年)5月12日 - 2005年(平成17年)7月30日)は、日本の政治家。衆議院議員(4期)を務めた。 茨城県結城郡千代川村(現在の下妻市)出身。出羽海部屋に入門し、1930年10月場所で初土俵を踏む。 1936年(昭和11年)1月場所で幕下に上がったが、徴兵検査を受けて海軍に入り、横須賀鎮守府に勤務した。その後は相撲界に復帰することなく、1941年(昭和16年)5月場所限りで廃業した。最高位は東幕下10枚目だった。 後に海軍航海学校高等科で航海術を学び、海軍兵学校教員となる。終戦後、神奈川県で露天商(下駄販売)を始め、第1回国民体育大会から相撲を再び取り始め神奈川県代表として出場した。
森 隆介(もり たかすけ、1856年(安政3年10月)- 1… 森 隆介(もり たかすけ、1856年(安政3年10月)- 1933年(昭和8年)2月27日)は、明治から昭和時代初期の政治家。自由民権運動家。衆議院議員(1期)。 下総国豊田郡、のちの茨城県結城郡宗道村(千代川村を経て現下妻市)に生まれる。自由民権運動に身を投じ、一政社、絹水社、同舟社、常総共立社などを組織する。自由党の結成にも加わり、雑誌『常総の青年』を発刊した。のち茨城県会議員を務めた。 1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では茨城県第4区から出馬し当選するが当選無効となる。つづく第2回総選挙でも当選し衆議院議員を1期務めた。
松村 脩平(まつむら しゅうへい、1854年12月7日(安政… 松村 脩平(まつむら しゅうへい、1854年12月7日(安政元年10月18日) - 1927年(昭和2年)10月7日)は、明治から昭和時代戦前の政治家。実業家。貴族院多額納税者議員。茨城県結城郡宗道村長。 下総国、のちの茨城県結城郡宗道村(千代川村を経て現下妻市)出身。小川八郎の弟として生まれ、1874年(明治7年)松村新造の養子となり家督を相続したのち、更に養子直四郎に譲り、1912年(大正元年)11月分家する。 1889年(明治22年)以降、宗道村会議員、同村長、茨城県会議員、結城郡会議員などのほか、石下銀行取締役を歴任した。 1897年(明治30年)9月には茨城県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から1898年(明治31年)7月5日まで務めた。
飯村 丈三郎(いいむら じょうざぶろう、1853年6月30日… 飯村 丈三郎(いいむら じょうざぶろう、1853年6月30日(嘉永6年5月24日) - 1927年(昭和2年)8月13日)は、日本の政治家、実業家、教育者。幼名は縫三郎 1853年(嘉永6年)5月24日[要出典]、東海道常陸国の真壁郡上妻村黒駒(旧下妻藩内、現在の茨城県下妻市黒駒)の豪農の子供として誕生した。飯村家はこの地方の豪農として知られ、名主を努めていた。 幼い頃は病弱だったが、1864年(元治元年)に[要出典]天台宗東叡山千妙寺の亮天僧正に預けられる。亮天から「衆生の恩」という教えを受け、一時は僧侶を志すが、両親に連れ戻される。 1865年(慶応元年)大病を患い回復。幼名「縫三郎」を「丈三郎」に改名する。
大久保 不二(おおくぼ ふじ、1852年11月14日(嘉永5… 大久保 不二(おおくぼ ふじ、1852年11月14日(嘉永5年10月3日)- 1924年(大正13年)10月9日)は、明治期の実業家、政治家。衆議院議員。号・瑟菅村。 常陸国筑波郡高道祖村(新治県筑波郡高道祖村、茨城県筑波郡高道祖村を経て現下妻市高道祖)で生まれた。鈴木竹湾に師事し漢学を修めた。のち上京して益盛舎を設立して、史学、地理検田、測地、製図の学科を設け教育に当たった。 戸長、区長、郡書記を歴任。1878年(明治11年)下妻に政治結社・絹水社(のち同舟社に改称)を設けて自由民権運動を推進した。1882年(明治15年)茨城県会議員に選出され1890年(明治23年)まで在任。1898年(明治31年)県会議員に再選され1903年(明治36年)まで務めた。