森島 武芳(もりしま たけよし、1986年(昭和61年)8月… 森島 武芳(もりしま たけよし、1986年(昭和61年)8月22日 - )は、日本の政治家。栃木県矢板市長(1期)。元矢板市議会議員(1期)。 栃木県矢板市出身。私立すみれ幼稚園、矢板市立矢板小学校、矢板市立矢板中学校、栃木県立宇都宮高等学校、筑波大学、同大学院博士前期課程修了。2011年に株式会社リクルートに入社、企画、営業、渉外を担当し、社内では課長職に従事する。2021年に妻子と矢板市に戻る。リクルートは2023年初めに退職した。 2023年4月、矢板市議会議員選挙に立候補し、市に資料が残る1971年以降、最多となる2,764票を得てトップで初当選した。 矢板市議を1期途中に辞職し、2024年4月の矢板市長選挙に立候補し、現職の齋藤淳一郎を破り、初当選。
齋藤 淳一郎(さいとう じゅんいちろう、1972年(昭和47… 齋藤 淳一郎(さいとう じゅんいちろう、1972年(昭和47年)6月15日 - )は、日本の政治家。元栃木県矢板市長(2期)。元栃木県議会議員(2期)。 栃木県矢板市出身。矢板市立西小学校、矢板市立矢板中学校、栃木県立大田原高等学校、早稲田大学教育学部社会科卒業。早稲田大学雄弁会に所属。また、在学中に国会議員政策担当秘書資格試験に合格し、長峯基参議院議員の公設政策担当秘書を務めた。1997年(平成9年)3月、早稲田大学大学院修士課程修了。同年4月、栃木県庁に入庁。2002年(平成14年)1月、日本貿易振興機構(ジェトロ)海外調査部中国・北アジアチームに派遣された。 2010年(平成22年)10月、栃木県庁を退職。
高柳 宰正(たかやなぎ さいしょう、1895年(明治28年)… 高柳 宰正(たかやなぎ さいしょう、1895年(明治28年)4月13日 - 1974年(昭和49年))は、日本の政治家。栃木県矢板市長を務めた。 矢板町針生に生まれる。旧制 大田原中学校 卒業(明治45年、第6回卒)。矢板町会議員、栃木県会議員を経て、1942年(昭和17年)に矢板町長に就任。町長は1945年(昭和20年)10月31日まで務めた。 1955年(昭和30年)2月、合併に伴う矢板町長選挙に立候補したが大島喜一郎に敗れた。その後、1959年(昭和34年)2月の矢板市長選挙で当選し、市長は1963年(昭和38年)2月16日まで務めた。市長在任中には、小学校の改築や道路整備などを行い市勢の発展に尽力した。
大島 喜一郎(おおしま きいちろう、1891年(明治24年)… 大島 喜一郎(おおしま きいちろう、1891年(明治24年)1月25日 - 1980年(昭和55年))は、日本の政治家。栃木県矢板市長を務めた。 矢板村幸岡に生まれる。塩谷郡書記などを経て、1944年(昭和19年)に矢板町助役に就任。1947年(昭和22年)4月から1951年(昭和26年)4月まで塩谷郡選出の栃木県議会議員を務めた。 1955年(昭和30年)2月17日、合併に伴う矢板町長選挙が行われ、大島がいずれも元矢板町長の高柳宰正と高橋保平を破り当選した。1958年(昭和33年)11月1日、矢板町の市制施行に伴い矢板市長に就任し、市長は1959年(昭和34年)2月16日まで務めた。町長および市長在任中には公共施設の整備や合併後の地域の一体化に努力した。
和田 方正(わだ ほうせい、1850年12月(嘉永3年11月… 和田 方正(わだ ほうせい、1850年12月(嘉永3年11月)- 1895年(明治28年)5月2日)は、明治期の地主、農業経営者、政治家。衆議院議員。 下野国塩谷郡、のちの栃木県塩谷郡岡村(片岡村大字岡村、矢板町を経て現矢板市)で、戸長を務める家に生まれた。農業を営む。 三大区三小区副戸長に就任。1872年(明治5年)29カ村戸長となる。以後、地主総代、区長、学区取締を務めた。1882年(明治15年)2月、栃木県会議員に選出され、立憲改進党に所属して、1890年(明治23年)まで8年間在任した。この間、塩谷郡学務課長を務めた。 1894年(明治27年)9月、第4回衆議院議員総選挙(栃木県第4区)で当選したが、議員在任中の1895年5月、日本赤十字社病院で肺疾患のため死去した。