岩井 均(いわい ひとし、1964年(昭和39年)1月25日… 岩井 均(いわい ひとし、1964年(昭和39年)1月25日 - )は、日本の政治家。群馬県安中市長(1期)。過去には、群馬県議会議員(6期)、第89代群馬県議会議長などを務めた。 1964年、群馬県碓氷郡松井田町高梨子(現・安中市松井田町高梨子)に生まれる。1982年に群馬県立高崎高等学校を卒業、野球部に所属し選抜高等学校野球大会に出場。1986年筑波大学体育専門学群卒業、1988年筑波大学大学院修士課程修了。 1988年から10年間、中曽根康弘衆議院議員(元内閣総理大臣)の秘書を務め、1999年からは群馬県議会議員を6期務める(自由民主党所属)。2015年5月11日から1年間、第89代群馬県議会議長も務めた。
岡田 義弘(おかだ よしひろ、1938年〈昭和13年〉10月… 岡田 義弘(おかだ よしひろ、1938年〈昭和13年〉10月5日 - )は、日本の政治家。元群馬県安中市長(2期)、群馬県議会議員(3期)、安中市議会議員(5期)。 1938年、安中市野殿の名主の家柄に、7人兄弟の末子として生まれる。1956年に群馬県立高崎高等学校通信制を中退し、家業の農業に従事する。 1975年に安中市議会議員に初当選し、以後連続5期務める。市議として東邦亜鉛の安中公害問題に取り組む。この間市議会議長、県市議会議長会会長、関東市議会議長会副会長、全国市議会議長会理事や、安中市社会福祉協議会会長を務める。 1995年の群馬県議会議員選挙に安中市選挙区から出馬し初当選、3期務める。
須藤 良太郎(すどう りょうたろう、1933年〈昭和8年〉1… 須藤 良太郎(すどう りょうたろう、1933年〈昭和8年〉1月1日 - )は、日本の農水官僚、政治家。元参議院議員(2期)。 群馬県安中市の農家の出身で、両親は教員を勤めていた。群馬県立高崎高等学校を経て、1955年(昭和30年)東京大学農学部農業工学科を卒業後、農林省に入省。新潟県農地部農地建設課長、農林省構造改善局建設部整備課長、同部設計課長、同部長を歴任し、構造改善局次長を歴任。農学博士号を取得した後、1987年(昭和62年)に農林省を退官。 1989年(平成元年)、第15回参議院議員通常選挙で自由民主党の後補として比例区から出馬し初当選。竹下派に属した。その後の竹下派分裂騒動では、小渕恵三側につき、小渕派に属した。
大河原 太一郎(おおかわら たいちろう、1922年〈大正11… 大河原 太一郎(おおかわら たいちろう、1922年〈大正11年〉5月26日 - 2017年〈平成29年〉3月5日)は、日本の農林水産官僚、政治家。群馬県出身。 参議院議員(3期)、農林水産大臣(村山内閣)、参議院予算委員長、農林水産事務次官などを歴任した。 群馬県碓氷郡松井田町新堀(現・安中市松井田町新堀)生まれ。松井田小学校、旧制高崎中学、旧制水戸高校を経て、東京帝国大学法学部に進学する。1943年(昭和18年)学徒出陣により経理軍人として樺太に赴任。1947年(昭和22年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業。高等文官試験に合格して1947年農林省に入省。農政局に配属。農業協同組合課長、農地課長、大臣官房予算課長、企業流通部長、畜産局長等を経て大臣官房長、食糧庁長官、農林水産事務次官を歴任。
湯浅 正次(ゆあさ しょうじ、1911年〈明治44年〉1月4… 湯浅 正次(ゆあさ しょうじ、1911年〈明治44年〉1月4日 - 1999年〈平成11年〉1月7日)は、日本の実業家・政治家。新島学園中学校・高等学校、新島学園短期大学創設者。安中市長を5期20年に渡って務めた。群馬県安中市出身。位階は正五位。 1911年(明治44年)、群馬県碓氷郡安中町(現・安中市安中)に、湯浅三郎の四男として生まれる。実家湯浅家は天保3年(1832年)創業の醸造業有田屋を営んでおり、祖父治郎は衆議院議員・県会議員、父三郎は25年間にわたり安中町長を、さらに県会議員を務めた。 旧制高崎中学校(現・群馬県立高崎高等学校)を中退後、1947年(昭和22年)に有田屋代表取締役社長に就任して家業を継いだ。
柴谷 要(しばや かなめ、1910年〈明治43年〉2月27日… 柴谷 要(しばや かなめ、1910年〈明治43年〉2月27日 - 1995年〈平成7年〉4月26日)は、昭和期の労働運動家、政治家。参議院議員(2期)。 群馬県碓氷郡秋間村(現・安中市)で生まれた。秋間尋常小学校(現・安中市立秋間小学校)卒業。1925年(大正14年)鉄道省に入省。1932年(昭和7年)鉄道教習所専門部を卒業した。 鉄道現業員組合に加入し、1946年(昭和21年)国鉄労働組合の結成に加わり、同上野支部副委員長、同東京本部委員長、同中央執行委員長、全官公庁労働組合協議会議長、全日本交通運輸労働組合協議会議長などを務めた。 1956年(昭和31年)7月、第4回参議院議員通常選挙に全国区から日本社会党公認で出馬して当選(任期3年)。
小峰 柳多(小峯 柳多、こみね りゅうた、1908年〈明治4… 小峰 柳多(小峯 柳多、こみね りゅうた、1908年〈明治41年〉6月5日 - 1974年〈昭和49年〉5月29日)は、日本の政治家。衆議院議員(6期)。 群馬県碓氷郡松井田町松井田(現・安中市松井田町松井田)に、食料品店を営む勝重郎・たせ夫婦の長男として生まれる。誕生日は戸籍上9月3日となっているが、実際の生まれは6月5日で、役場の吏員が手続を忘れていたため父母が催促した日が届出上の日付になっているのだとされる。地元の松井田尋常高等小学校を経て、高崎商業学校(現・群馬県立高崎商業高等学校)に進学。高崎商業学校の同期には後に高崎市長を務める反町(沼賀)健次がいる。1926年(大正15年)に東京商科大学専門部(現・一橋大学)に入学し、1929年(昭和4年)卒業。
須藤 嘉吉(すどう かきち、1858年5月27日(安政5年4… 須藤 嘉吉(すどう かきち、1858年5月27日(安政5年4月15日)- 1925年(大正14年)12月11日)は、明治から大正期の農業経営者・実業家・政治家。衆議院議員。 上野国碓氷郡嶺村(群馬県碓氷郡嶺村、原市町大字嶺村、安中町を経て現安中市嶺)で、名主、養蚕・蚕種農家、須藤仲造、たに の長男として生まれた。安中藩士・池田豊與知重に師事して漢籍を修めた。1889年(明治22年)東京法学院(英吉利法律学校後身、現中央大学)の在外生として法律学を研究した。同年9月、家督を相続。農業、製糸業を営んだ。 嶺村副戸長、碓氷郡書記、群馬県収税属を歴任。原市町会議員を務め、1892年(明治25年)3月、群馬県会議員に選出され連続4期在任し、同常置委員、同副議長、同参事会員も務めた。
宮口 二郎(みやぐち じろう、1852年5月21日(嘉永5年… 宮口 二郎(みやぐち じろう、1852年5月21日(嘉永5年4月3日)- 1930年(昭和5年)9月9日)は、明治から昭和初期の養蚕家、実業家、政治家。衆議院議員、群馬県会議長、群馬県碓氷郡初代原市町長。 上野国碓氷郡郷原村(群馬県碓氷郡原市町、安中町を経て現安中市郷原)で、薬屋絹商人・孫平、みい の二男として生まれた。兄・裕平が上京したため家督を相続した。安中藩藩校造士館教授佐々木愚山に師事し漢学を修めた。 1873年(明治6年)原市村吏員に就任し、第21大区副区長、碓氷郡書記を歴任。1879年(明治12年)第1回群馬県会議員選挙で当選し、通算6期在任し、同常置委員、同副議長を務め、1891年(明治24年)第4代議長に就任。
湯浅 治郎(ゆあさ じろう、嘉永3年10月21日〈1850年… 湯浅 治郎(ゆあさ じろう、嘉永3年10月21日〈1850年11月24日〉 - 1932年〈昭和7年〉6月7日)は、日本の明治から昭和戦前期にかけての政治家(衆議院議員、群馬県会議員)・実業家・社会運動家。雅号は雲外。同郷の新島襄から洗礼を受け、中村栄助、大澤善助とともに経営面で初期同志社を支えた。 弟は詩人の湯浅吉郎(半月)、妻は徳富蘇峰・蘆花の姉・初子、子に画家の湯浅一郎や同志社総長・国際基督教大学学長の湯浅八郎など。海老名弾正、山室軍平、深井英五らと親交があった。 嘉永3年10月21日(1850年11月24日)、上野国碓氷郡安中宿(現在の群馬県安中市)にて味噌醤油醸造業者・有田屋を経営する湯浅治郎吉・茂世の長男として生まれる。
真下 珂十郎(眞下、ましも かじゅうろう、天保14年9月27… 真下 珂十郎(眞下、ましも かじゅうろう、天保14年9月27日〈1843年10月20日〉 - 1898年〈明治31年〉10月1日)は、明治期の公吏、政治家、実業家。衆議院議員、群馬県碓氷郡原市町長。号・虚斎。 上野国碓氷郡、のちの群馬県碓氷郡原市町(安中町を経て現安中市)で、真下利七、しゅん の長男として生れた。佐々木愚山に師事し漢学、詩文を修めた。安政3年9月(1856年)安中藩士分となり、のち新徴組に加わり国事に奔走した。 1875年(明治8年)熊谷県雇となり、暢発学校(のち群馬県師範学校)俗務係を務め、北第21大区碓氷郡37カ町村と甘楽郡5カ村誌の編纂を担当。1876年(明治9年)北第21大区副区長に就任し、第19番中学区取締、医務取締、碓氷郡書記、学務委員、衛生委員、勧業委員などを務めた。
萩原 鐐太郎(はぎわら / はぎはら りょうたろう、1843… 萩原 鐐太郎(はぎわら / はぎはら りょうたろう、1843年7月2日(天保14年6月5日)- 1916年(大正5年)7月31日)は、明治から大正初期の養蚕家、篤農家、政治家。衆議院議員。 上野国碓氷郡東上磯部村(群馬県碓氷郡東上磯部村、磯部村東上磯部、磯部町、安中町を経て現安中市)で、豪農・萩原四郎左衛門、とま子の第二子(二男)として生れた。母が出産直後に死去したため、代々里正を務める家の叔父・萩原弥左衛門の養子となる。佐々木愚山に師事し和漢の群書を学び、山口藤十郎に剣術を、水戸藩士・黒田健之助に柔術・居合を学んだ。 1858年(安政5年)養父の死去に伴い家督を相続し、同年7月11日(6月1日)里正に就任した。