坂田 怜(さかた れい、1999年9月13日 - )は、埼玉… 坂田 怜(さかた れい、1999年9月13日 - )は、埼玉県熊谷市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。 小学1年生からソフトボールを始め、熊谷市立奈良中学校入学後は熊谷リトルシニアに所属し硬式野球を始める。 正智深谷高等学校に入学後、同校の野球部に入学。高校2年秋の予選(県2回戦)で主戦の座を掴み、地区2戦目・滑川総合高等学校戦で7-2の完投勝利を挙げた。高校3年夏の県大会では初戦で狭山ヶ丘高等学校に7-8で敗れ、敗退。その後の体作りで体重を9kg増やし、大学卒業後のプロを目指して中部学院大学に進学した。 2018年4月、中部学院大学人間福祉学部人間福祉学科に入学。
進藤 実(しんどう みのる、1974年12月10日 - )は… 進藤 実(しんどう みのる、1974年12月10日 - )は、埼玉県熊谷市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 実弟は東北楽天ゴールデンイーグルスコーチの小野寺力。 埼玉県熊谷市立新堀小学校、玉井中学校から、埼玉県立鴻巣高等学校へ進学。 その後、常磐大学では4年春に5勝。NTT東北では1年目に都市対抗野球で先発、1998年度ドラフト会議にて読売ジャイアンツから7位指名を受け、入団。 プロ入り後は右肩の故障に悩まされ、後に西武ライオンズに入団し守護神へと成長することとなる弟とは対照的に、一軍出場のないままプロ生活わずか3年で戦力外通告を受けた。 2003年には野村克也が監督として率いていた社会人野球のシダックスに転じたが、故障の影響もあってほとんど登板機会がないまま1シーズン限りで退団し、現役を引退。
関口 伊織(せきぐち いおり、1971年10月26日 - )… 関口 伊織(せきぐち いおり、1971年10月26日 - )は、埼玉県熊谷市出身の元プロ野球選手(投手)。2013年より東北楽天ゴールデンイーグルスのスコアラー。 熊谷市で鉄工所の経営者の長男として生まれる。小学4年の時に野球を始める。富士見中学ではエースとして県大会で3位になり、誘いを受けて大宮工業に進学。2年秋からエースになる。3年夏の埼玉大会ではベスト16で敗れたが、速球を評価され読売ジャイアンツ(巨人)や西武ライオンズから獲得の打診もあったという。しかし、高校野球部の監督の勧めもあって東洋大学へ進学。 東洋大野球部では1学年下に1年春のリーグ戦でMVPを獲得した銭場一浩の存在などもあってすぐに起用は増えなかったが、3年秋にはリーグ戦で完封勝利を挙げている。
原口 哲也(はらぐち てつや、1967年4月14日 - )は… 原口 哲也(はらぐち てつや、1967年4月14日 - )は、埼玉県熊谷市出身の元プロ野球選手(投手)である。 熊谷商業高では1985年の春のセンバツに出場。チームメイトにはお笑いコンビ「TIM」のゴルゴ松本(三塁ベースコーチ)がいた。 同年のプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズから3位指名を受け入団。 プロ3年目の1988年に一軍初出場を果たすが、出場機会は増えずに1993年オフに自由契約となり退団、翌1994年に福岡ダイエーホークスに移籍するが、一軍出場機会はなく同年限りで現役を引退した。 現在は地元の熊谷市で焼き鳥屋(居酒屋32)を経営する傍ら、かつてのチームメイトである大久保博元が開講した野球教室「デーブベースボールアカデミー」にて非常勤講師も務めている。
山中 重信(やまなか しげのぶ、1959年6月3日 - )は… 山中 重信(やまなか しげのぶ、1959年6月3日 - )は、埼玉県熊谷市出身の元プロ野球選手(捕手)。 上尾高では2年夏、秋の県大会は準優勝、3年夏は県大会ベスト4。1977年のドラフト6位でクラウンライターライオンズに入団。1年目の1978年は一軍での試合出場機会はなく、球団が地元・埼玉に移転して西武に変わった2年目の1979年は、打撃力と俊足を生かすために捕手から内野手へコンバートされた。同年も一軍での試合出場は果たせなかったが、内野手としての経験を積むために二軍の試合では積極的に起用された。イースタン・リーグの試合では、内野手として一塁手7試合、三塁手17試合に出場した一方で外野手でも13試合に出場。
君波 隆祥(きみなみ たかよし、1958年7月20日 - )… 君波 隆祥(きみなみ たかよし、1958年7月20日 - )は、埼玉県熊谷市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投左打。1993年のみ登録名「君波 威嘉」(読み同じ)。 熊谷商業高では、1975年秋季関東大会県予選準々決勝に進むが、春日部高にコールド負け。1977年に卒業後は中央大学に進学。1年上に大学日本代表捕手の長井研介(本田技研)がおり、3年生までは外野手も兼ねる。東都大学野球リーグでは1年上のエース香坂英典を擁し、1979年春季リーグに優勝。同年の全日本大学野球選手権大会では決勝で早大を降し優勝している。大学同期に高木豊のほか、末次秀樹捕手などがいる。 1980年オフに、ドラフト外でヤクルトスワローズに入団。
橋本 敬司(はしもと けいじ、1958年6月20日 - )は… 橋本 敬司(はしもと けいじ、1958年6月20日 - )は、埼玉県熊谷市出身の元プロ野球選手(投手)である。左投左打。 熊谷農業高から社会人野球の富士重工業に進み、主として救援投手として起用される。1981年の都市対抗に出場。同年の日本選手権では、エースの向田佳元とともに活躍しチームの初優勝に貢献。準決勝では河合楽器を降し勝利投手となる。 同年のドラフト会議で読売ジャイアンツから4位指名を受け、翌1982年シーズン終了後に入団。 1年目の1983年終盤に一軍昇格を果たし、2年ぶりのリーグ優勝に貢献した。1984年にはローテーションに定着できなかったものの7試合に先発。ヤクルト戦では3勝と活躍し、「ヤクルトキラー」と呼ばれていた。
関口 正巳(せきぐち まさみ、1935年8月13日 - )は… 関口 正巳(せきぐち まさみ、1935年8月13日 - )は、埼玉県出身の元プロ野球選手。 熊谷商工高校から1954年に入団。 1955年に大洋ホエールズへ移籍。1958年に再び読売ジャイアンツへ移籍し、同年退団した。
荻原 隆(おぎわら たかし、1931年4月26日 - )は、… 荻原 隆(おぎわら たかし、1931年4月26日 - )は、日本の元プロ野球選手(投手)。右投右打。埼玉県熊谷市出身。 埼玉県立熊谷高等学校2年の時、南関東大会にて県川口戦(県営大宮)で完全試合(8-0で勝利)を達成し、一躍注目を浴びた。翌1949年夏、甲子園に出場(埼玉県勢として初の夏の甲子園でもあった。1回戦で倉敷工に1-9と大敗した)。 1950年に大洋ホエールズに入団。5月26日の大阪戦(甲子園球場)でデビューを果たし、プロ初勝利も挙げた。 1952年には開幕投手を務めた。1953年に松竹と大洋の球団合併に伴い、大洋松竹ロビンスの選手として復帰。1954年オフに引退した。シュートとドロップが武器の投手であった。