内田 有紀(うちだ ゆき、1975年〈昭和50年〉11月16… 内田 有紀(うちだ ゆき、1975年〈昭和50年〉11月16日 - )は、日本の女優、歌手。東京都出身。所属事務所はバーニングプロダクションを経てテンビーンズ合同会社。 異父妹は、ラジオパーソナリティ、タレントである澪奈(れいな)。 東京都広尾生まれ、裕福な家庭に育つ。 小学6年の頃に母親と一緒にモデルにスカウトされ、中学2年生からモデル活動を開始。CMにも出演するなどしていた。 1992年(平成4年)のテレビドラマ『その時、ハートは盗まれた』(フジテレビ)への出演で女優デビューし、同年冬には、ユニチカの1993年 水着キャンペーンモデルと『フジテレビビジュアルクイーン』に選出された。この頃、
江戸家 まねき猫(えどや まねきねこ、1967年〈昭和42年… 江戸家 まねき猫(えどや まねきねこ、1967年〈昭和42年〉10月31日 - )は、東京都中央区出身の寄席芸人(動物ものまね)、歌手、女優。本名∶岡田 富士子。 父は三代目江戸家猫八、異母兄は四代目江戸家猫八。 1975年、「猫八ファミリー」のメインボーカルとして『チキンソング』で歌手デビュー。高校卒業後の1986年3月、父に弟子入りし、付き人修行を経て、1989年9月に江戸家まねき猫として高座デビューを果たす。 出囃子は『猫じゃ猫じゃ』。高座では落語家と同じように座布団に座って動物の物まね芸を披露する。『枕草子』の一節を引用したネタが十八番である。 1989年4月から、かつて父・3代目江戸家猫八が所属した落語芸術協会に所属している(ただし、兄の4代目江戸家猫八は落語協会に所属した)。
山口 果林(やまぐち かりん、本名:山口 静江(やまぐち し… 山口 果林(やまぐち かりん、本名:山口 静江(やまぐち しずえ)、1947年〈昭和22年〉5月10日 - )は、日本の女優。 東京都中央区出身。実家は日本橋兜町の老舗の外商専門書店「千代田書店」。 お茶の水女子大学附属中学校・高等学校、桐朋学園大学短期大学部卒業後、俳優座に入る(若手時代の愛称は「かりんとう」)。 1970年3月、桐朋学園大学演劇専攻科を卒業すると森川時久監督の『若者の旗』で映画デビュー。同年行われたNHK長編ドラマ『繭子ひとり』(1971年放映)の選考会では150人を相手に勝ち抜き主役の座をつかみ好演した。 1979年、俳優座を離れ、フリーとなる。テレビドラマや映画で活動する一方、舞台女優としての経歴も長い。
川口 知子(かわぐち ともこ、1936年5月21日 - 19… 川口 知子(かわぐち ともこ、1936年5月21日 - 1969年1月19日)は、1960年代に文学座で活動した、日本の新劇女優。テレビ・ドラマや映画にも出演し、1960年には日本映画製作者協会新人賞を受賞した。 東京、銀座で、両親とも長唄の師匠という家に生まれる。 親類の田村秋子に影響を受け、女優を志し、共立女子学園高等部を卒業して俳優座養成所に入った(川口は、田村秋子の姪とする記述と、従妹とする記述がある)。 1959年に俳優座養成所を卒業し、文学座に入って研究生となり、同年9月の公演『黄色と桃色の夕方』で大役に抜擢された。 1960年には、映画『赤坂の姉妹より 夜の肌』に、映画初出演にして淡島千景、新珠三千代とともに主演し、この年の日本映画製作者協会新人賞を受賞した。
梅園 龍子(うめぞの りゅうこ、1915年11月28日 - … 梅園 龍子(うめぞの りゅうこ、1915年11月28日 - 1993年4月30日)は、日本の女優。 梅園 竜子と表記されることもある。 1915年(大正4年)11月28日、植草正枝として東京市日本橋区村松町(現在の東京都中央区東日本橋)に生まれる。 三崎英語学校在学中の1929年(昭和4年)に榎本健一の第2次カジノ・フォーリーの旗揚げ公演に踊り子で出演した。 1931年(昭和6年)退団し、1932年(昭和7年)パイオニヤ・クインテット舞踊団、益田隆のトリオ舞踊団に入団した。 1935年(昭和10年)P.C.L.映画製作所準専属で『乙女ごころ三人姉妹』で映画デビューした。 1936年(昭和11年)に専属となり、1937年(昭和12年)『夜の鳩』、『江戸の白鷺』、1938年(昭和13年)『エノケンの猿飛佐助 ありゃありゃの巻』、『泣蟲小僧』などに出演した。
三代目 市川 翠扇(いちかわ すいせん、1913年(大正2年… 三代目 市川 翠扇(いちかわ すいせん、1913年(大正2年)12月16日 - 1978年(昭和53年)9月27日)は、昭和時代に活躍した新派の女優、舞踊家。歌舞伎舞踊市川流三世家元。本名は堀越 喜久榮(ほりこし きくえ)。 東京都東京市京橋区築地の生まれ。父は歌舞伎役者の五代目市川新之助、母は九代目市川團十郎の次女の二代目市川旭梅。二代目市川翠扇は伯母にあたる。千代田高等女学校(現在の武蔵野大学附属千代田高等学院)卒業。 1929年(昭和4年)6月歌舞伎座『戻り駕』の禿で市川紅梅(いちかわ こうばい)を名乗って初舞台。翌年日本俳優学校の1期生となる。1931年(昭和6年)11月より新派に参加。
河原崎 しづ江(かわらざき しづえ、1908年1月25日 -… 河原崎 しづ江(かわらざき しづえ、1908年1月25日 - 2002年1月1日)は、日本の女優。旧姓は山岸。初期の芸名は山岸 静江(後に山岸 しづ江)など。しづ江をしず江と表記することもある。 東京市日本橋区(現在の東京都中央区)生まれ。石川県出身。1923年、帝国劇場附属技芸学校(帝国女優養成所)の7期生として卒業。同期に飯島綾子らがいる。子爵家の長男大河内信威と結婚し、男児・信具を儲ける。1931年、前進座の創設に参加し、山岸しづ江の芸名で舞台に立った他、1933年以降は前進座がユニット出演した映画に出演した。1932年に夫の信威が共産党事件で逮捕される。 信威とは離婚し、1936年、前進座座員の河原崎長十郎と結婚。
梅村 蓉子(うめむら ようこ、1903年10月21日 - 1… 梅村 蓉子(うめむら ようこ、1903年10月21日 - 1944年3月8日)は、日本の女優である。本名は鈴木 花子(すずき はなこ)。 1903年(明治36年)10月21日、東京府東京市日本橋区日本橋蛎殻町(現在の東京都中央区日本橋蛎殻町)の瀬戸物問屋に「鈴木花子」として生まれる。 旧制小学校に上がる1910年(明治43年)には、東京市本郷区(現在の文京区本郷)の本郷座で新派の初舞台を踏む。有楽座のお伽芝居の舞台にも立つ。 1922年(大正11年)、松竹蒲田撮影所に入社し、翌1923年(大正12年)公開、島津保次郎監督の『散りにし花』で映画界にデビューする。同年9月1日の関東大震災によって同撮影所は稼動を停止し、京都の松竹下加茂撮影所に異動になる。
川上 貞奴(かわかみ さだやっこ、戸籍名 川上 貞(旧姓:小… 川上 貞奴(かわかみ さだやっこ、戸籍名 川上 貞(旧姓:小山)、明治4年7月18日(西暦1871年9月2日) - 昭和21年(1946年)12月7日)は、戦前の日本の女優。 東京・日本橋の両替商・越後屋の12番目の子供として誕生。生家の没落により、7歳の時に芳町の芸妓置屋「濱田屋」の女将、可免吉の養女となる。伝統ある「奴」名をもらい「貞奴」を襲名。芸妓としてお座敷にあがる。日舞の技芸に秀で、才色兼備の誉れが高かった貞奴は時の総理伊藤博文や西園寺公望など名立たる元勲から贔屓にされ、名実共に日本一の芸妓となった。 1894年、自由民権運動の活動家で書生芝居をしていた川上音二郎と結婚した。しかし当初は苦労も多く、音二郎の2度もの衆議院選挙落選により資金難に陥る。