麻生 三郎(あそう さぶろう、1913年(大正2年)3月23… 麻生 三郎(あそう さぶろう、1913年(大正2年)3月23日 - 2000年(平成12年)4月5日 )は、東京都生まれの洋画家である。 武蔵野美術大学名誉教授。戦中戦後を通して焼けただれ、焦げ付いたような暗褐色に彩られた家族を中心とした人物像や自己の内面を解体デフォルメし、闇の中から浮かび上がるように描き出す作風で知られる。彫刻家の麻生マユは実娘。 1913年(大正2年)3月23日、東京市京橋区本湊町(現在の東京都中央区湊)に麻生惣兵衛、喜代の三男(3男3女の4番目)として生まれる。麻生家は100年以上の歴史をもつ炭問屋、屋号は「山惣」。実家は当時築地の居留区があった明石町にほど近く、洋館が立ち並ぶその場所に麻生は毎日通い、お小遣いでラスクやレーズンなどを買っていた。
岩岡 とも枝(いわおか ともえ、1896年(明治29年)6月… 岩岡 とも枝(いわおか ともえ、1896年(明治29年)6月15日 - 1933年(昭和8年)11月7日)は、大正末から昭和の初めにかけて活動した挿絵画家、日本画家。雅号に岩岡花僊、岩岡周和。 戸籍上の名前はともゑ。弁護士の父・岩岡伊代治(長野県南安曇郡倭村出身)と母・ふくの間に東京市日本橋区浜町に生まれ育った。日本画を学び、池田輝方の曙会に所属する。弁護士の傍ら衆議院議員を1期務めた父・伊代治が1921年(大正10年)11月に亡くなった後、児童雑誌などに挿絵を描き始めた。『コドモノクニ』、『コドモアサヒ』、『金の星』などの雑誌のほか、楠山正雄、小川未明などの児童書に挿絵を描いた。1933年11月7日、「長らく心臓を悩んでおりましたが遂に病気昂進の為め」現在の東京都済生会中央病院で死去した。
池田 輝方(いけだ てるかた、1883年(明治16年)1月4… 池田 輝方(いけだ てるかた、1883年(明治16年)1月4日 - 1921年(大正10年)5月6日)は明治、大正期の浮世絵師、日本画家。本名池田正四郎。女性日本画家・池田蕉園の夫。 1883年(明治16年)1月4日、東京府京橋区(現在の東京都中央区)木挽町で建具職人池田吉五郎の次男として誕生。1895年(明治28年)に水野年方に内弟子として入門。1899年(明治32年)から一年余りを岡山で過ごした後帰京、再び年方のもとで学ぶ。1902年(明治35年)に日本絵画協会と日本美術院の共催による第12回絵画共進会で「山王祭」が、同13回展では「婚礼」がともに1等褒状を得、翌1903年(明治36年)の第14回展では「江戸時代の猿若町」が銅賞3席となった。
磯田 長秋(いそだ ちょうしゅう、1880年(明治13年)5… 磯田 長秋(いそだ ちょうしゅう、1880年(明治13年)5月5日 - 1947年(昭和22年)10月25日、本名は磯田 孫三郎)は日本画家。歴史画に長じ、後半生は現在の船橋市に住んで多くの作品を残した。 東京市日本橋区新和泉町(現在の東京都中央区日本橋人形町に生まれ、当時の姓は「内田」。1889年(明治22年)に磯田家へ養子に入った。 若くして日本画(大和絵)を学び、当初は狩野派の芝永章につき、のちに土佐派の流れを汲む小堀鞆音に師事。1898年(明治31年)、鞆音同門の安田靫彦や小山栄達らと紫紅会を結成し、1900年(明治33年)に同会へ松本楓湖門下の今村紫紅が加わったことで紅児会に改称した後も同会に所属し、主に歴史画について研鑽を積んだ。
片山 春帆(かたやま しゅんぱん、1880年(明治13年) … 片山 春帆(かたやま しゅんぱん、1880年(明治13年) - 没年不詳)は、明治時代から大正時代の挿絵画家。 1880年、東京の築地に生まれる。俗称は片山春雄。武内桂舟、大出東皐、河合玉堂に師事した。明治期に『中外商業新報』において挿絵を描いていたといわれ、1897年(明治30年)には春陽堂から出版された村井弦斎の『日出島 曙の巻(上)』の口絵も描いている。また、博文館の社中にその名が見られ、『中学世界』、『文芸倶楽部』、『女学世界』などで専属の挿絵画家として活動した。1910年(明治43年)頃には東京市牛込区新小川町に在住しており、1926年(大正15年)発行の『大正震災画集』第5輯(日本版画社刊)には、春帆の関東大震災のスケッチを基とした木版画2作品も収められている。
淡島 寒月(あわしま かんげつ、本名: 淡島 寶受郎()、安… 淡島 寒月(あわしま かんげつ、本名: 淡島 寶受郎()、安政6年10月23日(1859年11月17日) - 1926年(大正15年)2月23日)は、明治時代の日本の作家、画家、古物収集家。父親は画家の淡島椿岳。長女は教育者・政治家の木内キヤウ(公立小学校校長となり第1回参議院議員選挙で参議院議員ともなった)。幕末の大富豪の伊藤八兵衛は伯父、その娘で渋沢栄一の後妻になった兼子は従姉にあたる。 広範な知識を持った趣味人であり、元禄の作家井原西鶴を再評価し、幸田露伴や尾崎紅葉などとともに文壇に紹介したエピソードで有名である。 収集家としても有名であり、住居の梵雲庵には3000あまりの玩具と江戸文化の貴重な資料があったが、関東大震災の際に全て焼失した。
尾形 月耕(おがた げっこう、OGATA Gekko、安政6… 尾形 月耕(おがた げっこう、OGATA Gekko、安政6年9月15日〈1859年10月10日〉 - 大正9年〈1920年〉10月1日)は、日本の明治から大正期の浮世絵師、日本画家。 安政6年9月15日(1859年10月10日)、名鏡清次郎の子として江戸京橋弥左衛門町(現在の銀座4丁目3番地)に生まれる。本名・正之助。別号・桜斎、名鏡斎、華暁楼。名鏡家は葛飾の地主で、祖父長兵衛は大名家や江戸屋敷、豪商に人材を斡旋する口入屋と、塵芥蒐集の利権を握り、「江戸の三長兵衛」のひとりと謳われるほど羽振りが良かった。しかし、明治9年(1876年)数え17歳で父を病で失うと、利権も他家に移り家は没落、京橋弓町に移り住む。