三代目 古今亭 志ん朝(ここんてい しんちょう、1938年3… 三代目 古今亭 志ん朝(ここんてい しんちょう、1938年3月10日 - 2001年10月1日)は、東京都文京区本駒込出身の落語家。本名:美濃部 強次(みのべ きょうじ)。出囃子は『老松』。定紋は『鬼蔦』。 五代目古今亭志ん生の次男。十代目金原亭馬生の弟、女優の池波志乃は姪、俳優の中尾彬は義甥にあたる。 七代目立川談志、五代目三遊亭圓楽、五代目春風亭柳朝と共に、若手真打の頃から東京における『落語若手四天王』と呼ばれた。他に、同世代噺家の中では『東の志ん朝、西の枝雀』と称される。 なお、後述の通り、「古今亭志ん朝」を名乗った人物は他に2人いるが、いずれも名乗った期間が極めて短い。そのため、単に「古今亭志ん朝」とした場合、三代目(真打昇進から没するまで40年以上にわたって「志ん朝」を名乗り続けた)を指すことがほとんどである。
7代目(ただし自称5代目)立川 談志(たてかわ だんし、19… 7代目(ただし自称5代目)立川 談志(たてかわ だんし、1936年〈昭和11年〉1月2日 - 2011年〈平成23年〉11月21日)は、東京府小石川区(現:東京都文京区)出身の落語家。落語立川流家元。本名、松岡 克由(まつおか かつよし)。血液型AB型[要出典]。
8代目 雷門 助六(かみなりもん すけろく、1907年4月2… 8代目 雷門 助六(かみなりもん すけろく、1907年4月22日 - 1991年10月11日)は、東京府東京市本郷区壱岐殿坂出身の落語家、喜劇役者。本名∶岩田 喜多二。旧姓は青木。出囃子は『助六ばやし』。愛称は「六さん」。 父は6代目雷門助六。5歳だった1912年から父の門下で小助六の名で人形町末広で初舞台、以降小噺やかっぽれで舞台に立った。 1917年には5代目柳亭左楽の門人となり、小学校の頃は一時中断していた時期もあったが1921年10月には16歳の若さながら睦の五郎の名で真打に昇進。この時睦ノ太郎、睦の三郎とで若手三羽烏として売り出される。 1928年には父の6代目助六が睦会を脱退し独立した際、自身は睦の五郎を返上し雷門五郎に改名する。
3代目 桂 三木助(かつら みきすけ、1902年3月28日〈… 3代目 桂 三木助(かつら みきすけ、1902年3月28日〈戸籍上は1903年2月17日〉- 1961年1月16日)は、日本の落語家。本名:小林 七郎。出囃子:「つくま」。日本芸術協会所属だったが最晩年に脱退し、フリーを経て落語協会に移籍。 当時さほど注目されていなかった落語『芝浜』を独自に練り上げ得意にした。それ以降『芝浜』は夫婦の情愛を美しく描いた名作落語として認識されるようになり、多くの落語家が口演するようになった。現在でも3代目桂三木助のものが傑作と云われることから通称「芝浜の三木助」。他にも通称は「田端の三木助」、「隼の七」。 実家は床屋。後日、養子であることを知るが両親には最後まで聞かなかったと告白している。
6代目雷門 助六(かみなりもん すけろく、1882年9月9日… 6代目雷門 助六(かみなりもん すけろく、1882年9月9日 - 1934年5月6日)は、東京出身の落語家。本名は青木 鏡太郎。8代目助六は弟子で実子。 東京本郷に生まれる。生家は水戸徳川家直属の請負師だった。一時、静岡県沼津に住む。 尋常小学校を出てすぐ11歳で伯父の草履屋に奉公に出ていたがまともに勤まらなかった。15歳の1897年ごろに母の弟であった4代目柳亭左楽(オットセイの左楽)の門下に入って左太郎となる。約5年ほど前座修行を経て1902年に二つ目で左市に改名する。 1904年、5代目助六(後の3代目志ん生)門下に移って3代目都家歌六の名で真打に昇進する。その後日露戦争に従軍したが復員。