スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
谷合 廣紀(たにあい ひろき、1994年1月6日 - )は、… 谷合 廣紀(たにあい ひろき、1994年1月6日 - )は、日本の情報工学者、将棋棋士。東京都中央区出身。お茶の水女子大学附属小学校、獨協中学校・高等学校、東京大学工学部電気電子工学科卒業、同大学院情報理工学系研究科電子情報学専攻博士課程に在籍(2025年現在は休学中)。将棋においては中座真門下。棋士番号は323。 アマ有段者の祖父に教わり6歳から将棋を始める。2006年に新進棋士奨励会に6級で入会。2011年9月に三段に昇段し、同年下期(第50回)より三段リーグに初参戦する。2016年下期(第60回)に3位(次点)があるものの、なかなか上位2名の昇段枠に入れず、都合8年半(17期)にわたり三段リーグに留まる。
濱田 岳(はまだ がく、1988年6月28日 - )は、日本… 濱田 岳(はまだ がく、1988年6月28日 - )は、日本の俳優。東京都出身。スターダストプロモーション所属。本名同じ。獨協高等学校中退。愛称はがっくん。
椎名 豪(しいな ごう、1974年5月16日 - )は、日本… 椎名 豪(しいな ごう、1974年5月16日 - )は、日本の作曲家。埼玉県八潮市出身。本名は椎名豪(しいな まさる)だが、読みやすさを考慮し活動上は椎名豪(しいな ごう)としている。 実家はエレクトーン教室を開いており、自身も幼少時代にエレクトーンを習っていたが、積極的に音楽活動をしているわけではなかった。学生時代にはバンドを組んでいた。 就職活動で46社に落ちた後、1997年にナムコに入社。その後本格的に曲作りを始める。 2005年、ゲーム『テイルズ オブ レジェンディア』で初めてRPGの音楽を手がける。新日本フィルハーモニー交響楽団による演奏を取り入れるなど、従来のテイルズ オブ シリーズのイメージとはまた違った雰囲気の作品となった。
丸山 宗利(まるやま むねとし、1974年4月30日 - )… 丸山 宗利(まるやま むねとし、1974年4月30日 - )は、日本の昆虫学者、著述家。九州大学総合研究博物館准教授。アリやシロアリと共生する昆虫の分類や生態解明が専門分野だが、研究対象は多岐にわたる。 東京都出身。東邦大学理学部卒業。北海道大学大学院農学研究科博士課程修了。博士(農学)。 1974年、母の実家のある静岡県に生まれる。その後、東京都の新宿区、江戸川区で幼少期を過ごす。 獨協高等学校を卒業後、東邦大学理学部生物学科に進学する。大学3年生の3月から千葉県立中央博物館に通い、ハネカクシの分類学的研究を始める。卒業研究ではヒメキノコハネカクシ属27種を扱い、5本の論文として出版された。 1998年に北海道大学大学院農学研究科の昆虫体系学教室に進学する。
Ryo(りょう、1972年11月26日 - )は、日本のミュ… Ryo(りょう、1972年11月26日 - )は、日本のミュージシャン、ラッパー。ヒップホップグループケツメイシのメンバーでMCを担当。兵庫県神戸市須磨区出身。身長162cm、血液型はA型。本名:田中 亮(たなか りょう)。既婚。2児の父。 獨協高校、東京薬科大学出身。 父親は順天堂大学名誉教授、心臓血管外科学医の田中淳。 1993年、Ryoji、大蔵、DJ KOHNOらとケツメイシを結成する。 ケツメイシ、タサツの作品を除く
和田 尚久(わだ なおひさ、1971年 - )は、日本の放送… 和田 尚久(わだ なおひさ、1971年 - )は、日本の放送作家、文筆家。松本 尚久(まつもと なおひさ)名の著作もある。 東京都台東区生まれ。父は作家の前田純敬。旧名、松本尚久。獨協中学校・高等学校卒、関東学院大学卒。(社)日本放送作家協会会員。 学生時代より浅草で「談志を聴く会」を開催、「人形町らくだ亭」(小学館)などを企画。2019年より一般社団法人ふらすこ代表理事。
新井 仁之(あらい ひとし、1959年 - )は、日本の数学… 新井 仁之(あらい ひとし、1959年 - )は、日本の数学者、理学博士。早稲田大学教育・総合科学学術院教授、東京大学名誉教授。専門は、実解析学、調和解析学、ウェーブレット解析、視覚・錯視の数学的研究。 神奈川県横浜市生まれ。1982年、早稲田大学教育学部卒業。1984年、同大学大学院理工学研究科修士課程修了。その後、東北大学理学部助手、講師、助教授、教授、プリンストン大学客員研究員、東京大学大学院数理科学研究科教授を経て、早稲田大学教育・総合科学学術院教授、東京大学名誉教授。 1987年、早稲田大学より理学博士。論文の題は「Brownian Martingaleとその多変数Hardy空間への応用 」。
小泉 均(こいずみ ひとし、1958年12月25日 - )は… 小泉 均(こいずみ ひとし、1958年12月25日 - )は、日本のグラフィックデザイナー・タイポグラファー、教育者、版元。茶名は宗字。 東京都出身。獨協中学校・高等学校を経て、1980年に千葉大学工学部画像工学科卒業。学生時代にYMOのスナップ写真撮影のアルバイトをする。その後、森啓デザイン研究室で5年間スタッフとして勤め、月刊誌サイエンティフィック・アメリカンの日本版エディトリアルデザインを中心にデザインを基礎から実践的に学ぶ。1983年にTypeTripというタイポグラフィの研修旅行でMonotype Corporation主催の「Digital typography aids clarity and benefits computer and electronic media」に参加。
加藤 康之(かとう やすゆき、1955年 - )は、日本の経… 加藤 康之(かとう やすゆき、1955年 - )は、日本の経済学者。専門は金融工学。お金のデザイン研究所所長。京都大学経営管理研究部教授、東京都立大学経営学研究科特任教授、日本価値創造ERM学会会長等を歴任。 獨協高等学校を経て、東京工業大学(のちの東京科学大学)理学部情報科学科卒業。1980年同大学大学院総合理工学研究科修士課程システム科学専攻修了、理学修士。同大学大学院イノベーションマネジメント研究科博士後期課程イノベーション専攻中退。 1980年野村総合研究所入社。同研究所システムサイエンス部長、主任研究員を経て、1997年から2010年まで野村證券執行役金融工学研究センター長。2010年マウンテン・パシフィック・インベストメント・アドバイザーズ・マネージング・ディレクター。
上田 善彦(うえだ よしひこ 、1954年(昭和29年)- … 上田 善彦(うえだ よしひこ 、1954年(昭和29年)- )は、日本の医師。獨協中学・高等学校校長、獨協医科大学名誉教授を務めた。 1954年福島県双葉郡浪江町生まれ。1972年に獨協高等学校を卒業。 1979年に獨協医科大学医学部を卒業し、1985年に獨協医科大学医学部の講師になる。2000年には獨協医科大学の教授、そして2019年には名誉教授に就任した。 2021年4月に第23代獨協中学・高等学校校長に就任し、2025年3月に退任した。 1954年 - 福島県双葉郡浪江町にて誕生する。 1972年 - 獨協高等学校を卒業する。 1979年 - 獨協医科大学医学部を卒業する。 1985年 - 獨協医科大学医学部 講師に就任。
松宮 一彦(まつみや かずひこ、1953年〈昭和28年〉12… 松宮 一彦(まつみや かずひこ、1953年〈昭和28年〉12月11日 - 1999年〈平成11年〉9月27日)は、日本のアナウンサー。 東京都豊島区出身。血液型A型。1976年4月にTBS(東京放送)に入社。テレビ『ザ・ベストテン』追っかけマンとして活躍し、「ポスト久米宏」といわれた。ラジオでは『SURF&SNOW』、『胸キュン通信―今週のアイドル』、『三菱RVクルージング どこかへいこうよ』等のパーソナリティーを担当。他にテレビ『JNNニュース22プライムタイム』『おはようクジラ』のスポーツキャスターも務めた。1998年6月にTBSを退社しフリーに転向。1999年9月に自宅マンションで首吊り自殺。
土屋 敬之(つちや たかゆき、1952年〈昭和27年〉2月8… 土屋 敬之(つちや たかゆき、1952年〈昭和27年〉2月8日 - )は、日本の元政治家。元東京都議会議員(4期)。元国会議員第二、第一秘書。国会議員政策担当秘書資格 獨協大学法学部卒、法律専攻科修了、東北歯科大学中退。大学時代は民族派学生組織の全国学生自治体連絡協議会で活動。その後東武百貨店勤務、塩川正十郎・白川勝彦の秘書を経て、小沢鋭仁衆議院第一議員秘書(政策担当秘書資格取得)。 1997年に旧民主党公認として板橋区より都議会議員選挙に出馬し初当選。都議会総務委員長、都議会民主党総務会長(3期)、民主党東京都連常任幹事(2期)、民主党東京都連選対副委員長などを歴任した。2009年東京都議会議員選挙で4選したが、同年実施された第45回衆議院議員総選挙で、「マニフェスト」の中に民主党政策集インデックス2009に「議論の到達点」と書かれている外国人参政権などが明記されておらず、「政策は正直に」との寄稿を「WiLL」におこなう。
戸井田 徹(といだ とおる、1951年11月25日 - )は… 戸井田 徹(といだ とおる、1951年11月25日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(当選2回)。中華人民共和国・河南省生まれで自身のウェブサイトや著作では戸井田とおる名義を使っており、首相官邸ホームページでもそのように記載されている。 1951年、中国河南省にて戸井田三郎の次男として誕生。父三郎は学徒出陣した旧日本軍衛生兵、母は元従軍看護婦であり、両名とも終戦後も医療や看護・衛生の経験・知識のある者として八路軍に徴用され残留、その後結婚した。1953年に両親とともに帰国。父は衆議院議員清瀬一郎の秘書となり、清瀬の死後、後継者として総選挙に立候補し1972年から衆議院議員となった。
勝 栄二郎(かつ えいじろう、1950年〈昭和25年〉6月1… 勝 栄二郎(かつ えいじろう、1950年〈昭和25年〉6月19日 - )は日本の大蔵官僚、実業家。第9代財務事務次官。インターネットイニシアティブ取締役。ANAホールディングス株式会社経営諮問委員会委員。読売新聞東京本社非常勤監査役。日本テレビ放送網非常勤取締役。血液型はB型。 獨協高校卒業後、1969年度の東京大学の入学試験が中止となったため、早稲田大学法学部に入学。その後、学士入学で東京大学法学部第1類(私法コース)に入り、卒業後1975年に大蔵省に入省した。入省成績は下から2番目だったといわれている。 入省時に配属された主税局国際租税課には、課長に大竹宏繁、課長補佐に杉崎重光、係長に志賀櫻がいた。
高島 直樹(たかしま なおき、1950年(昭和25年)5月1… 高島 直樹(たかしま なおき、1950年(昭和25年)5月13日 - 2023年(令和5年)10月2日)は、日本の政治家。位階は正五位。 東京都議会議員(6期)、東京都議会議長(第46代)、東京都議会オリンピック・パラリンピック推進対策特別委員長、2016年東京オリンピック招致委員会理事、2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会理事、自由民主党東京都支部連合会幹事長、東京都議会自由民主党幹事長・政務調査会長、足立区議会議員(3期)等を歴任した。 東京都足立区千住生まれ。獨協中学校・高等学校を経て獨協大学経済学部卒業。1976年3月に東京都議会議員の秘書となる。1981年3月からは実家の株式会社高島製餡所に3代目として従事した。
小谷 進(こたに すすむ、1950年4月12日 - )は、日… 小谷 進(こたに すすむ、1950年4月12日 - )は、日本の実業家。パイオニア株式会社代表取締役社長を経て、同社取締役会長。 鳥取県出身。獨協高等学校を経て、1975年明治学院大学経済学部卒業、パイオニア入社、国際部配属。1997年モーバイルエンタテインメントカンパニー海外営業部長。2000年Pioneer Electronics (USA) Inc.社長。2002年Pioneer Europe NV 社長。2003年執行役員 Pioneer Europe NV 会長兼社長。2006年執行役員国際部長。2007年常務執行役員ホームエンタテインメントビジネスグループ本部長。2008年常務取締役ホームエンタテインメントビジネスグループ本部長。
筑紫 磐井(つくし ばんせい、1950年1月14日 - )は… 筑紫 磐井(つくし ばんせい、1950年1月14日 - )は、日本の俳人・評論家・文部科学官僚。俳誌「豈」発行人。本名は國谷実。東京都出身。 東京都豊島区生まれ。獨協中学校・高等学校を経て、一橋大学法学部に入学。大学在学中の1971年「馬酔木」に投句し、1973年「沖」に入会、能村登四郎に師事。1974年に大学卒業した後は科学技術庁に入庁、官僚として勤めながら俳人、俳句評論家として活動する(職歴参照)。1990年「豈」に入会、1991年より同誌編集人、2001年より同発行人を務める。 諧謔味の強い句風で、第一句集『野干』は「女狐に賜る位・扇かな」「みちのくに戀ゆゑ細る瀧もがな」といった、王朝文学の世界を素材とした擬古典的な句を収め、第二句集『婆伽梵』では同じ路線で万葉時代から昭和戦中期までの世界を表現している。
新井 孝重(あらい たかしげ、1950年1月1日 - )は、… 新井 孝重(あらい たかしげ、1950年1月1日 - )は、日本の日本史学者、獨協大学教授。 埼玉県入間郡日高町(現:日高市)生まれ。1973年早稲田大学第一文学部日本史学科卒業。1983年同大学院博士課程満期退学。2001年「東大寺領黒田荘の研究」で博士(文学)。獨協中学校・高等学校教諭、獨協大学経済学部助教授、教授(日本社会史)。
田川 博己(たがわ ひろみ、1948年1月2日 - )は、日… 田川 博己(たがわ ひろみ、1948年1月2日 - )は、日本の経営者。JTB社長、会長を務めた。東京都出身。 1966年に獨協高等学校、1971年に慶應義塾大学商学部を卒業し、同年に日本交通公社(のちのJTB)に入社した。2000年に取締役に就任し、2002年に常務、2005年に専務を経て、2008年6月に社長に就任。2014年6月に会長に就任。2020年6月から取締役相談役を務めた。
糸山 英太郎(いとやま えいたろう、1942年〈昭和17年〉… 糸山 英太郎(いとやま えいたろう、1942年〈昭和17年〉6月4日 - )は、日本の政治家、実業家。参議院議員(1期)、衆議院議員(3期)。 東京生まれ。ゴルフ場経営で財を築いた実業家で新日本観光興業(現:新日本観光株式会社)の創立者である佐々木真太郎(1969年には所得日本一となった)と妾との間に出来た子。佐々木は二人の正妻との間には5人の子を儲け、娘婿に井口三郎(井口良二三男)がいる。幼少時は虚弱児で、4歳の時には疫痢で死線をさまよった。 東京府豊島師範学校附属幼稚園を経て、5歳のとき療養で藤沢市に転居。男の子についていけないことを危惧した母の判断により、私立の女子校である聖園女学院附属小学校(2004年に廃校)に入れられたが、女の子ばかりの学校に適応できず、4か月で私立湘南学園小学校に転校。
大沢 悠里(おおさわ ゆうり、1941年(昭和16年)2月1… 大沢 悠里(おおさわ ゆうり、1941年(昭和16年)2月11日 - )は、日本の男性フリーアナウンサー。 東京府東京市浅草区(現在の東京都台東区)の出身で、1964年(昭和39年)4月1日にTBSアナウンサー第9期生として入社。1991年2月に50歳でTBSを退社してからは、個人事務所「大沢企画」を拠点に活動している。 ※TBSラジオでのCMをメインに担当している。 第二次世界大戦の最中に浅草で出生すると、4歳の頃まで浅草で暮らした。当時からラジオ番組を聴いていた影響で、ラジオから流れる「東部軍管区情報」(大本営発表)を真似ながら実家の近所を触れ回っていたことから、「大本営」との異名を取ったという。
沢辺 瀞壱(さわべ せいいち、1940年(昭和15年)4月2… 沢辺 瀞壱(さわべ せいいち、1940年(昭和15年)4月23日 - )は、日本の政治家。 飯能市議会議員(1期)、埼玉県議会議員(3期)、飯能市長(3期)を歴任。2019年春の叙勲で旭日中綬章を受章。 埼玉県英霊にこたえる会会長。飯能市英霊にこたえる会会長。明治神宮崇敬会飯能支部支部長。 飯能自動車学校の設置者。一男四女の父。 代々埼玉県飯能市岩沢の素封家として栄えてきた沢辺家は、瀞壱の祖父沢辺庄太郎が入間郡加治村の村長、父の沢辺浩(こう)が飯能町の町議会議員を務めるなど、地域のリーダーシップを取っていた。 飯能町立加治小学校の教員をしていた父の浩が1937年(昭和12年)に朝鮮全羅南道に一家で出向し、巨文島の小学校に校長として赴任している中、1940年(昭和15年)4月に誕生した。
岡田 隆彦(おかだ たかひこ、1939年9月4日 - 199… 岡田 隆彦(おかだ たかひこ、1939年9月4日 - 1997年2月26日)は、日本の詩人・美術評論家。 祖父は第35代衆議院議長・岡田忠彦。妻は俳人・岡田史乃。長女は俳人・辻村麻乃。 東京府出身。永田町小学校(現麹町小学校)、麹町中学校、獨協高等学校、慶應義塾大学文学部卒業。「三田詩人」復刊に参画。1961年、会田千衣子、井上輝夫、鈴木伸治、吉増剛造と詩誌「ドラムカン」創刊。大学卒業後は美術出版社に就職し、20代の終わりにはヴェネツィア・ビエンナーレのコミッショナーを務めていた。 1968年、中平卓馬、高梨豊、多木浩二らと写真批評詩「provoke」創刊。1985年『時に岸なし』で高見順賞受賞。
三代目 古今亭 志ん朝(ここんてい しんちょう、1938年3… 三代目 古今亭 志ん朝(ここんてい しんちょう、1938年3月10日 - 2001年10月1日)は、東京都文京区本駒込出身の落語家。本名:美濃部 強次(みのべ きょうじ)。出囃子は『老松』。定紋は『鬼蔦』。 五代目古今亭志ん生の次男。十代目金原亭馬生の弟、女優の池波志乃は姪、俳優の中尾彬は義甥にあたる。 七代目立川談志、五代目三遊亭圓楽、五代目春風亭柳朝と共に、若手真打の頃から東京における『落語若手四天王』と呼ばれた。他に、同世代噺家の中では『東の志ん朝、西の枝雀』と称される。 なお、後述の通り、「古今亭志ん朝」を名乗った人物は他に2人いるが、いずれも名乗った期間が極めて短い。そのため、単に「古今亭志ん朝」とした場合、三代目(真打昇進から没するまで40年以上にわたって「志ん朝」を名乗り続けた)を指すことがほとんどである。
古井 由吉(ふるい よしきち、1937年11月19日 - 2… 古井 由吉(ふるい よしきち、1937年11月19日 - 2020年2月18日)は、日本の小説家、ドイツ文学者。いわゆる「内向の世代」の代表的作家と言われている。代表作は『杳子』(1970年)、『聖』(1976年)『栖』(1979年)『親』(1980年)の三部作、『槿』(1983年)、『仮往生伝試文』(1989年)、『白髪の唄』(1996年)など。精神の深部に分け入る描写に特徴があり、特に既成の日本語文脈を破る独自な文体を試みている。 東大独文科卒。1971年に男女の愛の微妙な心理の揺れをついた『杳子』で芥川賞受賞。その後『行隠れ』、『聖』『栖』『親』三部作などで、民俗学や病理学を駆使した刺激的な作風を展開している。
中原 爽(なかはら そう、1936年(昭和11年)1月26日… 中原 爽(なかはら そう、1936年(昭和11年)1月26日 - 2022年(令和4年)9月21日)は、日本の政治家、医師、歯科医師。 参議院議員(2期)、日本歯科医師会会長を務めた。 東京都出身。獨協高等学校卒業、日本歯科大学卒業、同大学院修了し、1964年歯学博士。論文の題は「オリゴジナミー作用に対する感受性菌に就いての研究」。日本大学医学部卒業し、医師になる。 日本歯科大学の理事長や学長、日本歯科医師会会長を経て1995年、第17回参議院議員通常選挙において自由民主党の比例区候補として出馬し初当選。派閥は平成研究会に所属した。 2000年7月、第2次森内閣で総理府政務次官を務める。 2001年、第19回参議院議員通常選挙で再選。
松浦 豊明(まつうら とよあき、1929年10月5日 - 2… 松浦 豊明(まつうら とよあき、1929年10月5日 - 2011年8月16日)は、日本のピアニスト。上野学園大学名誉教授。 大阪府豊中市出身。8歳でピアノを始め、上野児童音楽学園で永井進に師事。東京音楽学校(現東京芸大)ピアノ科に入学するが中退。 1948年、第17回日本音楽コンクールピアノ部門で第1位と特賞を受賞。1950年、デビュー・リサイタルを行い、NHK交響楽団定期演奏会にも参加(プロコフィエフ第3番)。1958年、第1回チャイコフスキー国際コンクールで入賞し、後にメロディアレコードへの録音、1960年・1962年の旧ソ連主要都市巡演につながる。 1958年に国立ベルリン高等学院に留学し、ヘルムート・ロロフに師事。
藤富 保男(ふじとみ やすお、1928年8月15日 - 20… 藤富 保男(ふじとみ やすお、1928年8月15日 - 2017年9月1日)は、東京府小石川区(現・文京区)生まれの詩人。 詩誌『gui』同人。獨逸学協会中学(現・獨協高等学校)、東京外国語大学モンゴル語学科卒。日本現代詩人会、日本文藝家協会会員。 1950年、北川冬彦の詩会「時間」に参加。またカミングス研究会で新国誠一と知り合い、新国と共に詩的実験を試みるグループ、芸術研究協会(ASA)を設立。視覚と音律から日常の言語を再構築する独特の詩法をもち、ユーモラスな作風を得意とする。代表的な詩集に『コルクの皿』『正確な曖昧』『新聞紙とトマト』など。詩集は30冊を超えるほか、翻訳書、編著書も多数。 サッカーが得意であり、アマチュアチームの指導者や、実業団や関東大学リーグの審判を務めていた経験を持つ。
安岡 昭男(やすおか あきお、1927年9月12日 - 20… 安岡 昭男(やすおか あきお、1927年9月12日 - 2016年7月27日)は、日本の歴史学者。法政大学名誉教授、文学博士(法政大学・論文博士・1971年)。専門は日本近代史。 1927年、後に山梨県知事となる安岡正光の子として兵庫県神戸市に生まれる。1945年、獨逸学協会学校中等部卒業、東京工業専門学校機械科第二へ進学(のち中退)。1949年、法政大学高等師範部歴史地理科卒業、法政大学二部文学部史学科に入学。1953年、法政大学二部文学部史学科卒業、川村高等学校教諭に着任するかたわら、法政大学大学院人文科学研究科日本史学専攻修士課程へ進学。1956年、川村短期大学専任講師に着任。1957年、法政大学大学院人文科学研究科日本史学専攻修士課程修了、同博士課程へ進学。
安良城 盛昭(あらき もりあき、1927年5月10日 - 1… 安良城 盛昭(あらき もりあき、1927年5月10日 - 1993年4月12日)は、昭和期の歴史学者。沖縄大学学長などを歴任する。 東京府の出身であるが、両親はともに沖縄県の出身 であり、そのことが彼の研究にも影響を与えることとなる。 1949年に第一高等学校を卒業後、東京大学経済学部に入る。1953年の大学卒業時に書いた太閤検地に関する卒業論文が雑誌『歴史学研究』に掲載されると、学界に「安良城旋風」(服部之総)と呼ばれる衝撃を与えた(経済学部出身ではあるが、古文書読解は児玉幸多より手ほどきを受け、研究面では永原慶二、所三男、林基、山口啓二らの指導を受けた。)。安良城も石母田正の「中世的世界の形成」の影響を受けた(石母田正著作集第13巻月報13「石母田さんと私」)。
栗山 昌良(くりやま まさよし、1926年(大正15年)1月… 栗山 昌良(くりやま まさよし、1926年(大正15年)1月18日 - 2023年(令和5年)6月23日)は、日本の演出家、オペラ演出家、教育者。国立音楽大学名誉教授。劇団青年座座友。妻は声楽家(メゾソプラノ)の松内和子。 東京出まれ。獨逸学協会学校中学部卒業。 1946年(昭和21年)千田是也、伊藤道郎主宰の舞台芸術アカデミーに入所、舞台芸術への道を歩み始める。舞台芸術アカデミー卒。1949年(昭和24年)劇団俳優座に入り、1950年(昭和25年) - 1965年(昭和40年)俳優座演劇研究所所員として近代リアリズム演劇の表現手法を研究。同時に附属俳優養成所発足に伴い、講師として演劇映画界の俳優養成にあたる。
謝 国権(しゃ こくけん、1925年6月28日 - 2003… 謝 国権(しゃ こくけん、1925年6月28日 - 2003年11月12日)は、日本の医師(産婦人科)。日本医科大学医学博士。著書『性生活の知恵』で知られ、奈良林祥、ドクトル・チエコと並ぶ日本の性医学評論のパイオニアとして活動した。日本赤十字社本部産院(現在の日本赤十字社医療センター産科)産婦人科医局長在任当時、同書がベストセラー(100万部)となった。元・謝国権診療所所長。 1925年(大正14年)6月28日、東京府(現在の東京都)に、台湾出身の詩人・謝溪秋(1892年 - 1959年)の三男として生まれる。 1959年(昭和34年)、「新生児の核黄疸に関する研究」で日本医科大学医学博士。 1960年(昭和35年)、『性生活の知恵』を執筆・発表し、ミリオンセラーとなる。
高 英男(こう ひでお、本名:吉田 英男、1918年10月9… 高 英男(こう ひでお、本名:吉田 英男、1918年10月9日 - 2009年5月4日)は、樺太(現・サハリン)出身の日本の歌手、俳優。日本人のシャンソン歌手の先駆けであり、シャンソン音楽普及の第一人者である。フランスでも活躍。独自のムードを醸し出す歌手・俳優として知られた。 大正7年(1918年)10月9日、樺太泊居町で8人兄弟の末っ子として生まれた。生後すぐ、母方の伯母の嫁ぎ先へ戸籍上の養子になっている。芸名である高英男の姓である「高」は旧姓(実家の姓)であり、自身は日本人である。デビュー以来「日本人ではないのでは」という問い合わせが少なからずあった。「高」という姓は大陸名のように思われがちであるが、日本に存在しない苗字ではなく、韓国には同姓同名の映画監督がかつていた。
大久間 喜一郎(おおくま きいちろう、1917年(大正6年)… 大久間 喜一郎(おおくま きいちろう、1917年(大正6年)12月13日 - 2012年(平成24年)3月24日)は、日本の国文学者・歌人。明治大学名誉教授。若い頃にはラジオアナウンサーを務めた経歴も持つ。 東京府東京市浅草区(現・東京都台東区)に生まれる。1940年、國學院大學文学部国文科を卒業。卒業後、日本放送協会アナウンサーから満洲電信電話勤務となる(満州電信電話には森繁久弥もアナウンサーとして勤務していた)。 戦後、獨逸学協会中学校(現・獨協中学校・高等学校)教師を経て、明治大学経営学部助教授となり、1962年に教授に就任。1972年「古代文学の構想」で國學院大學より文学博士の学位を取得。
灰田 勝彦(はいだ かつひこ、1911年8月20日 - 19… 灰田 勝彦(はいだ かつひこ、1911年8月20日 - 1982年10月26日)は、日本の歌手、ウクレレ奏者。本名及び幼名:灰田 稔勝(はいだ としかつ)。ハワイアンやヨーデル、流行歌で、第二次世界大戦前後に数々のヒット曲を飛ばして一世を風靡した昭和を代表する流行歌手である。伸びのある裏声が特徴で、日本の流行歌に都会の香りを持ち込んだ。また、映画俳優としても華々しく活躍した。作曲家でスチールギター奏者の灰田晴彦は兄(のちに有紀彦に改名)。 保谷市(現:西東京市)を気に入り、居を構えていた。 灰田稔勝(のちの勝彦)は、明治政府の移民政策によって広島(現:広島市南区)からハワイに移住した医師・灰田勝五郎の三男として、ハワイのホノルルで生まれた。
清水 幾太郎(しみず いくたろう、1907年7月9日 - 1… 清水 幾太郎(しみず いくたろう、1907年7月9日 - 1988年8月10日)は、日本の社会学者・評論家。学習院大学教授などを歴任。 1907年、東京市日本橋区(現在の東京都中央区)の竹屋の息子として生まれた。祖父は江戸幕府旗本であった。獨協中学、旧制東京高校を経て、東京帝国大学文学部社会学科卒業。文学部社会学科時代の恩師は戸田貞三。在学中からオーギュスト・コントの研究にいそしむ。中学時代にドイツ語を学んで堪能であったが、フランス語は大学時代に習得したものである。 大学卒業後、1931年東京帝国大学社会学研究室副手に採用された。社会学研究室副手の2代前の副手が同じ戸田貞三門下の兄弟子牧野巽で、牧野は清水を弟と思い、清水は牧野を兄と思い親しくしていた。
井染 四郎(いぞめ しろう、1907年3月8日 - 1943… 井染 四郎(いぞめ しろう、1907年3月8日 - 1943年6月23日)は、日本の俳優である。本名は齋藤 四郎(さいとう しろう)。伊染 四郎と表記に揺れがある。日活太秦撮影所、日活多摩川撮影所などで活躍した二枚目俳優の一人である。 1907年(明治40年)3月8日、東京府東京市日本橋区久松町(現在の東京都中央区日本橋久松町)に生まれる。 旧制獨逸学協会中学校(現在の獨協高等学校)を経て法政大学文科に進学するが、中退。大学在学中、築地小劇場のエキストラに応募するも落選してしまい、結局は自動車会社に勤務する、とされている。1934年(昭和9年)に発行された『日本映画俳優名鑑 昭和九年版』(映画世界社)等によれば、築地小劇場に加入して初舞台を踏むが、僅か1年余りで退いてしまい、自動車会社を3ヶ月勤務した後、失業生活を半年ほど過ごしたという旨が記されている。
三島 雅夫(みしま まさお、1906年〈明治39年〉1月2日… 三島 雅夫(みしま まさお、1906年〈明治39年〉1月2日 - 1973年〈昭和48年〉7月18日)は、日本の俳優。本名・長岡 正雄(ながおか まさお)。 東京都で生まれ、新潟県三島郡与板町(現・長岡市)に育つ。本名は長岡 正雄(ながおか まさお)。元与板藩士で、陸軍軍人となり三條中学校の助教諭や、帝国生命保険の書記などを務めた父・茂雄と母・マツの間に6人兄弟(男4人・女2人)の長子、長男として生まれた。1924年(大正13年)に獨協中学校(旧制中学校)を卒業し、茂雄がのめりこんでいた影響で演劇(新劇)の世界に足を踏み入れる(茂雄も演者として舞台に立っていたようである)。同年に『ヴェニスの商人』で初舞台を踏んだ。
岩倉 具実(いわくら ともざね、1905年2月1日 - 19… 岩倉 具実(いわくら ともざね、1905年2月1日 - 1978年10月18日)は、日本の言語学者。同志社大学名誉教授。東京府出身。 公爵岩倉具張の次男として東京市麹町区裏霞ヶ関に生まれる。母方の祖父は西郷従道。1917年に学習院初等科を卒業して学習院中等科に進んだが、母から陸軍大将になることを望まれたため2年次の途中で退学し、1918年、陸軍中央幼年学校に入学。1921年、陸軍士官学校に入ったが肺炎カタルのため療養を命じられ、1922年に健康上の理由で陸軍士官学校を退学し、獨逸学協会学校中等部4年次に編入学。1924年に獨逸学協会学校中等部を卒業し、静岡高等学校理科乙類に入学。1925年、持病の脚気により静岡高校を退学し、1926年、成城高等学校入学。
市川 秀雄(いちかわ ひでお、1901年〈明治34年〉7月2… 市川 秀雄(いちかわ ひでお、1901年〈明治34年〉7月27日 - 1964年〈昭和39年〉10月31日)は、日本の法学者。刑法学者・労働法学者。1961年、博士(法学)(中央大学)題は「刑法における市民法思想と社会法思想」。専門はドイツ刑法。東京都生まれ。 明治天皇の侍医・市川賢亮の三男。1919年独逸学協会中学校(現・獨協中学校・高等学校)卒業。1925年第一高等学校卒業。1930年東京帝国大学法学部卒業。1932年東京帝国大学大学院(旧制)法学研究科修了。少年保護司。1942年中央大学法学部専任講師。1946年中央大学法学部教授。1964年10月30日中央大学在職中に逝去、63歳没。1964年中央大学名誉教授。
内村 祐之(うちむら ゆうし、1897年(明治30年)11月… 内村 祐之(うちむら ゆうし、1897年(明治30年)11月12日 - 1980年(昭和55年)9月17日)は、日本の医学者、精神科医。専攻は臨床精神医学、神経病理学。東京大学名誉教授、日本学士院会員。プロ野球コミッショナー。 キリスト教思想家として著名な内村鑑三を父、内村の4度目の妻内村静子を母として、東京府に誕生する。 獨逸学協会学校中等部から第一高等学校(医科)を経て、東京帝国大学に進む。一高野球部と草創期の東大野球部でも活躍し、特に一高時代の1918年、同校の野球投手として三高(京都)、学習院のほか、早稲田と慶應義塾を久しぶりに撃破するなど、15年ぶりに事実上の全国制覇を果たした。学生野球界で、当時隆盛を極めた左腕投手としてその名を馳せた。
石橋 長英(いしばし ちょうえい、1893年4月26日 - … 石橋 長英(いしばし ちょうえい、1893年4月26日 - 1990年9月25日)は、日本の医学者である。千葉市出身。 1918年、東京帝国大学に留学。1920年東京女子医科大学教授に就任。1925年公益財団法人日本国際医学協会を組織し。1936年から日独医学協会長を務めた。1973年獨協医科大学初代学長に就任。
水原 秋桜子(旧字体: 水原 秋櫻子、みずはら しゅうおうし… 水原 秋桜子(旧字体: 水原 秋櫻子、みずはら しゅうおうし、1892年〈明治25年〉10月9日 - 1981年〈昭和56年〉7月17日)は、日本の俳人・医師。学位は医学博士。 本名は水原 豊()。松根東洋城、ついで高浜虚子に師事。短歌に学んだ明朗で叙情的な句風で「ホトトギス」に新風を吹き込んだが、「客観写生」の理念に飽き足らなくなり同誌を離反、俳壇に反ホトトギスを旗印とする新興俳句運動が起こるきっかけを作った。「馬酔木」主宰。別号に喜雨亭。 はじめ窪田空穂に師事、短歌で独自の叙情性を育てたが、のちに俳句へ転じた。高浜虚子から指導を受け、昭和初期の「ホトトギス」を彩る四Sの一人として活躍。従来の俳句に短歌的表現を取り入れるなど、新鮮な句作を行った。
角尾 晋(つのお すすむ、1892年(明治25年) - 19… 角尾 晋(つのお すすむ、1892年(明治25年) - 1945年(昭和20年)8月22日)は、日本の医学者。原爆被災時の長崎医科大学学長として知られる。東京出身。 東京・下谷に生まれる。獨協中学、一高を経て東京帝国大学医科に入学、内科学を修めいわゆる「銀時計組」(成績優等者)として卒業。長崎医科大学助教授となり、2年間の海外留学を経て帰国後教授に昇任、第二内科を担当した。1936年(昭和11年)7月、第5代長崎医大学長に就任し、1940年5月より1944年3月まで戦時期の医師速成のため設置された臨時附属医学専門部の部長を兼ねた。また1942年5月以降は新設の「東亜風土病研究所」の所長も兼任した。
恩地 孝四郎(おんち こうしろう、1891年(明治24年)7… 恩地 孝四郎(おんち こうしろう、1891年(明治24年)7月2日 - 1955年(昭和30年)6月3日)は、東京府南豊島郡淀橋町出身の版画家・装幀家・写真家・詩人。長女は児童文学翻訳家の恩地三保子。 創作版画の先駆者のひとりであり、日本の抽象絵画の創始者とされている。前衛的な表現を用いて、日本において版画というジャンルを芸術として認知させるに至った功績は高く評価されている。 木版画、装幀、写真など様々な分野で活躍した。版画においては、抽象絵画の創始者であるワシリー・カンディンスキーらの影響を受け、日本における最初期の抽象版画作品を制作している。大正期には具象・非具象問わず数々の版画の名作を生みだしたが、第二次世界大戦後はもっぱら抽象版画に傾倒し、葉や紐、木片などを用いる手法(マルチブロック)も編み出した。
森 於菟(もり おと、1890年〈明治23年〉9月13日 -… 森 於菟(もり おと、1890年〈明治23年〉9月13日 - 1967年〈昭和42年〉12月21日)は、日本の医学者。専門は解剖学。専門書の他に、父・森鷗外の回想記と随筆を著した。 1890年9月13日に東京府で、森鷗外と最初の妻・登志子(海軍中将赤松則良の長女)との間に長男として生まれた。その直後に両親が離婚、生まれて間もない授乳期の於菟は、数え年の5歳まで本郷森川町(現・文京区本郷6丁目辺り)のタバコ屋、平野甚三方(歌人平野万里の実家)に預けられた。森家に引き取られると、支配的な祖母の峰によって厳しく育てられ、父鷗外と同じように熱心な教育を受けた。1900年に生き別れた実母が病死、1902年に父鷗外が再婚し、新しい母ができたことを喜んだが、義母の志げは於菟に冷たかった。
根岸 博(ねぎし ひろし、1889年(明治22年)10月19… 根岸 博(ねぎし ひろし、1889年(明治22年)10月19日 - 1980年(昭和55年)3月24日)は、日本の泌尿器科学者である。 東京府(現在の東京都)に医師だった根岸三郎の長男として生まれる。その後埼玉県北埼玉郡埼玉村(現在行田市)に住し、東京帝国大学医科大学(現在の東京大学医学部)に入学する。卒業後も大学に残り、同大学内の伝染病研究所の所員として活動した。その後は同大学教授であった土肥慶蔵の元、同大学の助教授となる。その後は大学を離れ、1931年(昭和6年)からは岡山医科大学(現在の岡山大学医学部)にて教鞭を執った。 その後は岡山大学病院の院長を3期務め、以後6年間評議員と兼任して活動する。
田村 憲造(たむら けんぞう、1889年(明治22年)2月1… 田村 憲造(たむら けんぞう、1889年(明治22年)2月18日 - 1953年(昭和28年)8月19日)は、日本の医学者、薬理学者。医学博士、東京帝国大学名誉教授。 1889年(明治22年)2月18日、愛知県渥美郡二川村(現豊橋市)で米穀商「駒屋」を営む旧家に生まれる。小学校を卒業後は上京して獨逸学協会学校、旧制第一高等学校へ進む。東京帝国大学医科大学医学科へ入学し、第3年以降は特待生となるが、卒業は1年遅れた。1941年(昭和16年)1月に軽い脳卒中発作を起こし、疎開がてら郷里に戻って療養生活を送った。1950年(昭和25年)、日本学士院(当時の第二部自然科学部門)会員になる。新会員一同は、昭和天皇から皇居に招かれたが田村は欠席した。
高木 憲次(たかぎ のりつぐ(けんじ)、明治22年(1889… 高木 憲次(たかぎ のりつぐ(けんじ)、明治22年(1889年)2月9日 - 昭和38年(1963年)4月8日)は、大正から昭和後期にかけて活動した医学者、整形外科医。 1926年(大正13年)、東京帝国大学教授、後に日本医科大学教授を歴任した。日本の肢体不自由児教育の創始者といわれている。日本の「肢体不自由児の父」と呼ばれる。「夢の楽園教療所」を提唱し,日本で初めて「肢体不自由児調査」という根拠に基づいて肢体不自由養護施設が日本に必要であると説いた。クリュッペルハイムの概念を日本へと持ち込み、日本初の肢体不自由療育施設である整肢療護園(現:心身障害児総合医療療育センター整肢療護園)の創設者で初代理事長。
額田 晋(ぬかだ すすむ、1886年(明治19年)12月22… 額田 晋(ぬかだ すすむ、1886年(明治19年)12月22日 - 1964年(昭和39年)9月29日)は、日本の医師、医学者(内科学)、医学博士、理学博士。東邦大学および額田医学生物学研究所の創立者。 1886年(明治19年)、岡山県邑久郡に医師の次男として生まれた。旧制一高を経て東京帝国大学医科大学に進学した。1917年(大正6年)から翌年にかけ、アメリカのハーバード大学に自費留学し、医学博士を取得し帝国大学附属病院の講師を務めた。中国の北京協和医学校に赴任後、帰国した額田は1925年(大正14年)に兄の額田豊と共に帝国女子医学専門学校(東邦大学の前身)を創設した。1926年(大正15年)には理学博士も取得し、神田に額田内科病院、千葉県稲毛に額田医学生物学研究所を設立した。