吉本 祥二(よしもと しょうじ、1993年6月26日 - )… 吉本 祥二(よしもと しょうじ、1993年6月26日 - )は、東京都足立区出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 父親からグラブとバットを買い与えられたのがきっかけで小学校1年から野球を始め、2年から投手を勤める。中学校時代は軟式野球チームでプレーし、3年生の夏には東京都大会で優勝。都内の強豪校からの誘いもあったが、厳しい上下関係が嫌との理由から断り足立学園高に進学。1年生の夏からベンチ入りし、2年時夏の東東京予選1回戦の都科学技術高戦で先発登板し4回を投げて10奪三振でノーヒットに抑え、3回戦東洋高戦では5回をヒット1本に抑えベスト16入りするも、4回戦の修徳高戦では一転して制球に苦しみ、3回5安打を打たれて降板した。
秋吉 亮(あきよし りょう、1989年3月21日 - )は、… 秋吉 亮(あきよし りょう、1989年3月21日 - )は、東京都足立区出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学1年生の時に足立ジュニアヤンガースに入団。6年生の時に関東大会優勝を果たしている。足立区立江北中学校へ進学後は、同校の軟式野球部と軟式クラブ足立ヤンガースに所属。内野手、外野手をこなしつつ、2年生の時には捕手に指名されたという。 中学卒業後は「試合に出ることを考えて選んだ」という理由として東京都立足立新田高等学校へ進学。1年時の頃から一塁手としてスタメンへ定着、後に投手へ転向しエースとして活躍。2年生の秋の大会では早稲田実業高校と対戦し1対3で敗れはしたが、中盤まで早実打線をノーヒットに抑える好投。
大場 翔太(おおば しょうた、1985年6月27日 - )は… 大場 翔太(おおば しょうた、1985年6月27日 - )は、東京都足立区出身の元プロ野球選手(投手)、YouTuber。右投右打。愛称は「ばっさん」。 八千代松陰高校時代は春に関東大会出場があるものの、夏は県大会ベスト8が最高で甲子園出場はなかった。進学した東洋大学では一年秋からリーグ戦に登板し、二年春には二試合連続完封を挙げるなど青学大高市俊と共にリーグトップの防御率をマーク。以降先発に定着した。三年時に行われたIBAFインターコンチネンタルカップでは最優秀防御率を獲得。 大学4年時は、春はリーグ2位タイ記録の9勝・リーグ新記録の115奪三振。秋にも8勝を挙げ同大学初の東都大学リーグ戦春秋連覇に貢献し、二季連続でMVP・最優秀投手・ベストナインの三冠に輝いた。
阿久根 鋼吉(あくね こうきち、1974年6月22日 - )… 阿久根 鋼吉(あくね こうきち、1974年6月22日 - )は、東京都足立区出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。 花咲徳栄高等学校ではエースの池田郁夫と同期、1学年上に品田操士、1学年下にその弟・寛介がいた。1993年に創価大学に進学。東京新大学リーグでは1994年春季リーグ戦からの8連覇のうち、6連覇に貢献。自身も2年秋から4年春までベストナイン受賞。大学では1学年上の武藤孝司と三遊間を組み、1学年下に中村隼人がいた。 社会人野球のNTT関東では1998年の日本選手権で3試合連続本塁打を打つなど優勝に貢献し最優秀選手に選出された。また同年のバンコクアジア大会決勝の韓国戦で朴賛浩から本塁打を打った。
清水 隆行(しみず たかゆき、1973年10月23日 - )… 清水 隆行(しみず たかゆき、1973年10月23日 - )は、東京都足立区出身の元プロ野球選手(外野手、右投左打)、野球解説者・野球評論家。 2009年から2012年までの登録名は清水 崇行(読み同じ)。 江戸川ポニーでは中学3年時に全国準優勝。浦和学院高等学校から東洋大学へ進学。高校のチームメイトには鷹野史寿がおり、通算20本塁打を放つが2年夏の県大会準優勝が最高であった。東洋大学時代の同期には川中基嗣と塩崎真(塩崎は中退)、3学年先輩に和田孝志、2学年先輩に関口伊織、1学年後輩に今岡誠、2学年後輩に田中充、3学年後輩に福原忍がおり、川中とはプロで再びチームメイトとなった。東都大学リーグ通算78試合出場、253打数71安打、打率.281、6本塁打、46打点。
成田 文男(なりた ふみお、1946年10月2日 - 201… 成田 文男(なりた ふみお、1946年10月2日 - 2011年4月21日)は、東京都足立区出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。 幼少期は秋田県で過ごす。足立区立第四中学校の同級生にはビートたけしがいた。修徳高校では1年生の時、1962年夏の都大会決勝に進み、春の選抜で準優勝した日大三高のエース・井上治男(早大 - 日本石油)と投げ合うが、倍賞明(日大 - 全鐘紡 - 日産自動車、倍賞千恵子の弟で倍賞美津子の兄)に適時打を喫し完封負け。 3年生の1964年夏も都大会決勝に進出。出澤堯・大矢明彦のいた早実高を破り、第46回全国高等学校野球選手権大会に出場。修徳高を春夏通じて初の甲子園出場に導いた。
石井 晶(いしい あきら、1939年11月21日 - 201… 石井 晶(いしい あきら、1939年11月21日 - 2013年7月15日)は、東京都足立区出身のプロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者。ニックネームは「ゴジ」。 足立高校卒業後は1958年に東京鉄道管理局へ入社し、河野安男(のち近鉄)と共に中心打者として第29回全国鉄道大会の優勝に貢献。同大会の首位打者となり、1959年にはプロ入りした河野の後継の4番・一塁手を務め、都市対抗の予選などで活躍。 1960年に阪急ブレーブスへ入団し、当初から背番号「6」で即戦力として期待されていた。1年目の同年は主に控え三塁手として33試合出場にとどまるが、2年目の1961年には三塁手のレギュラーを人見武雄と争い80試合に先発出場。