永島田 輝斗(ながしまだ きらと、2003年11月30日 -… 永島田 輝斗(ながしまだ きらと、2003年11月30日 - )は、神奈川県相模原市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。 2歳上の兄の影響で野球を始め、相模原市立大沢中学校時代は軟式野球部で捕手を務めていた。 進学した立花学園高等学校でも1年夏までは捕手をしていたが、監督に肩の強さと投球フォームの良さを買われ、1年秋に投手に転向した。転向時は135km/hだった最高球速が半年後には最速143km/hまでアップ。3年になると最速150km/hに到達し、その急成長ぶりが注目され一躍ドラフト候補に浮上した。3年の春季大会で投手として公式戦デビューし、夏の神奈川県大会は背番号10で4試合中2試合に登板したが、5回戦で日大藤沢にサヨナラ負けを喫し甲子園出場はならなかった。
山本 一輝(やまもと いつき、1998年6月28日 - )は… 山本 一輝(やまもと いつき、1998年6月28日 - )は、神奈川県相模原市生まれ、愛知県名古屋市天白区育ちの元プロ野球選手(投手)。左投左打。 名古屋市立天白小学校3年生の時に軟式クラブチーム「メジャーボーイズ」で野球を始め、中学では軟式野球部に所属。 愛知県立東郷高校では最速141km/hのストレートを武器に、チームを第98回夏の愛知大会ベスト32に導いた。 その後、東郷高校近くにあるレストランのオーナーが中京大学の関係者と親しかった縁で、中京大学のグラウンドを訪れる機会を得て、その環境に感銘を受け推薦入試を経て入学。2年時の春季リーグで、優勝がかかる名城大学との試合で先発を任され、栗林良吏と投げ合い、6イニングを1失点に抑えてリーグ優勝に貢献しスカウトに注目された。
伊藤 克(いとう すぐる、1996年10月10日 - )は、… 伊藤 克(いとう すぐる、1996年10月10日 - )は、神奈川県相模原市中央区出身の元プロ野球選手(投手)。 中学卒業後に就職しており、高校野球経験がないながらもNPB入りを目指すという、異色な経歴を持つ独立リーグ野球選手だった。 父親と叔父が野球好きという野球一家に生まれ、物心がついたときからボールを握り、父親から厳しく野球指導を受けていた。しかし、幼い時に両親が離婚、母親のもとで育つ。 相模原市立田名小学校入学後、1年生のときから「陽原Jr.パイレーツ」で野球を始め、投手として活躍。相模原市立田名中学校在学中は「相模原リトルシニア」に所属。2年生の頃からエースとして活躍し、チームは南関東2位になり、第38回日本リトルシニア野球選手権大会に出場した。
山田 幸恵(やまだ ゆきえ、1996年2月 - )は、神奈川… 山田 幸恵(やまだ ゆきえ、1996年2月 - )は、神奈川県相模原市出身の高校野球指導者。2020年より箕面自由学園高等学校硬式野球部の顧問を務めていた。 2021年時点で、大阪府内の高校では唯一の女性による男子硬式野球部監督で、府内初の女性監督ともいわれた。 2人の兄の影響で小学2年生から軟式野球を始める。進学した中学校は野球部がなくなったばかりだったため、陸上短距離走に取り組んだ。高校ではバドミントンの選手だったが、東京女子体育大学では軟式野球部(関東六大学女子軟式野球連盟所属)に所属し、野球を再開した。大学では、1年目からベンチ入り。2年目からスタメン出場するようになり、4年目には主将を務めた。
桝澤 怜(ますざわ りょう、1993年8月1日 - )は、神… 桝澤 怜(ますざわ りょう、1993年8月1日 - )は、神奈川県相模原市出身の元社会人野球選手。右投右打。 8歳の時に野球を始め、相模原市立淵野辺東小学校時代は中渕少年野球部に所属し、相模原市立共和中学校に進学後は硬式野球(シニアリーグ)の海老名リトルシニアに所属した。 高校は東京都八王子市の八王子学園八王子高校に進学。秋春ともにベスト4進出し、春は関東大会出場。夏は東日本大震災の影響で予選中止となったことから、全校ノーシードとなる。抽選の結果、東海大菅生と初戦で激突し、コールド負け。甲子園出場経験はない。 高校卒業後は亜細亜大学に進学。3年秋に初めて大学日本代表に召集され、4年時の2015年7月には第28回夏季ユニバーシアードに出場し優勝を果たした。
菅野 智之(すがの ともゆき、1989年10月11日 - )… 菅野 智之(すがの ともゆき、1989年10月11日 - )は、神奈川県相模原市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。読売ジャイアンツ所属。
深江 真登(ふかえ まさと、1987年9月5日 - )は、神… 深江 真登(ふかえ まさと、1987年9月5日 - )は、神奈川県相模原市出身のプロ野球選手(外野手)。
新垣 勇人(あらかき はやと、1985年10月21日 - )… 新垣 勇人(あらかき はやと、1985年10月21日 - )は、神奈川県相模原市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。右投右打。 合同会社カキシード代表。プロ野球引退後は社会人野球の東芝野球部で投手コーチを務めた。現在は石狩レッドフェニックスでコーチを務めている。 相模原市立上溝中学校への入学時からシニアリーグの「相模原南シニア」に所属。当時のチームメイトである市川友也とは、後に日本ハムでもバッテリーを組んでいる。 相模原南シニアを1年足らずで辞めて、中学校の野球部へ入部。2年時からエースを任されると、3年時には神奈川県大会で優勝。この優勝によって臨んだ関東中学校軟式野球大会では、準決勝で成瀬善久を擁する小山市立桑中学校に勝利したが、決勝戦で千葉県旭市立第二中学校に敗れた。
川口 隼人(かわぐち はやと、1985年8月7日 - )は、… 川口 隼人(かわぐち はやと、1985年8月7日 - )は、神奈川県相模原市出身の元プロ野球選手(外野手)。 神奈川県相模原市出身。双子の兄である川口寛人と、大月短大附高、山梨学院大学で二遊間を組んだ。 大学卒業後、隼人はOBC高島へ、寛人は西多摩倶楽部へそれぞれ入団した。2009年末にOBC高島で起きた騒動により滋賀・高島ベースボールクラブに移籍。同チームでは主に1番打者として活躍し、チーム初の都市対抗野球2次予選出場に貢献した。 2010年10月28日、プロ野球ドラフト会議にて東北楽天ゴールデンイーグルスから育成3位指名を受けた。また、寛人も読売ジャイアンツから育成7位指名を受けたため、双子のプロ野球選手が誕生した。
川口 寛人(かわぐち ひろと、1985年8月7日 - )は、… 川口 寛人(かわぐち ひろと、1985年8月7日 - )は、神奈川県相模原市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。プロでは育成選手であった。 2011年の現役引退後は、道とん堀が運営する「アスリートセカンドキャリアサポート」(ASS)を立ち上げる。現在は、日本リアライズ株式会社のPSS(プロフェッショナル・セカンドキャリア・サポート)事業部に所属。元プロ野球選手のセカンドキャリアをサポート活動を行っている。 なお、東北楽天ゴールデンイーグルスに所属していた川口隼人は双子の弟。 大月短大附高・山梨学院大学時代は二塁手。遊撃手である実弟の隼人とともに二遊間を守った。 大学卒業後にクラブチームの西多摩倶楽部へ加わると、肩の強さを買われて遊撃手へ転向。
近藤 一樹(こんどう かずき、1983年7月8日 - )は、… 近藤 一樹(こんどう かずき、1983年7月8日 - )は、神奈川県相模原市出身の元プロ野球選手(投手)、プロ野球コーチ、アマチュア野球指導者。右投右打。野球解説者。 小学3年の時、大野台アニマルズに入団。中学時代はボーイズリーグ「相模原ホワイトイーグルス」に所属。2年夏と3年春に全国大会出場。日大三高では3年生の時にエースとして内田和也、千葉英貴、都築克幸、齋藤達則らと共に第73回選抜高等学校野球大会、第83回全国高等学校野球選手権大会に春夏連続出場。第83回全国選手権では同校の初優勝に貢献した。 2001年度ドラフト会議にて大阪近鉄バファローズから7巡目指名を受けて入団。背番号は「65」。なお、前述の内田、千葉、都築も同年のドラフトで指名された。
川岸 強(かわぎし つよし、1979年9月12日 - )は、… 川岸 強(かわぎし つよし、1979年9月12日 - )は、神奈川県出身の元プロ野球選手(投手)。現役時代は中日ドラゴンズ、東北楽天ゴールデンイーグルスに在籍した。
小田嶋 正邦(おだじま まさくに、1979年4月12日 - … 小田嶋 正邦(おだじま まさくに、1979年4月12日 - )は、神奈川県相模原市出身の元プロ野球選手、指導者。 旧姓は郡田(こおりだ)。 相模原シニアから進学した東海大山形高校1年生の1995年、第77回全国選手権出場を果たす。1年秋は東北大会初戦敗退、2年秋は同大会ベスト8。3年夏は県大会決勝で延長11回サヨナラ負け。卒業後は東海大学へ進学。上級生になるまでは打撃を生かして一塁手、指名打者で出場した。3年秋に久保裕也とのバッテリーで明治神宮大会準優勝。4年時にも久保とのコンビで全日本大学野球選手権で優勝。首都大学リーグ通算71試合出場、272打数83安打、打率.305、5本塁打、61打点。1999年春季リーグ首位打者。
稲嶺 茂夫(いなみね しげお、1978年8月13日 - )は… 稲嶺 茂夫(いなみね しげお、1978年8月13日 - )は、神奈川県相模原市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は、横浜DeNAベイスターズのスカウト。
伊藤 剛(いとう たけし、1976年12月17日 - )は、… 伊藤 剛(いとう たけし、1976年12月17日 - )は、神奈川県相模原市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。右投右打。現在は北海道日本ハムファイターズのファーム投手コーチを務める。 中学時代は相模原市立上溝中学校に通いボーイズリーグの相模原ホワイトイーグルスに所属した。 山梨県の日大明誠高校では3年春に県大会3位で関東大会へ出場し、初戦で東海大菅生高の中野渡進と投げ合うも敗戦。夏の県大会はベスト4。社会人野球のNTT関東に進み、1998年の日本選手権準決勝で先発勝利して優勝に貢献した。 1998年のドラフト会議にて日本ハムファイターズから6位指名を受け、入団。ドラフト下位入団だが球威の良さは早くから注目されていた。
菊地原 毅(きくちはら つよし、1975年3月7日 - )は… 菊地原 毅(きくちはら つよし、1975年3月7日 - )は、神奈川県相模原市出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)、プロ野球コーチ。 小学3年から野球を始め、地元の野球チーム「並木ヤンキース」に所属する。神奈川県立相武台高等学校時代は1年秋からエースとなり関東屈指の左腕投手と言われ、夏の全国高等学校野球選手権神奈川大会では28回連続無失点、33イニングで44奪三振を記録するなど大活躍を見せた。無名校ながら甲子園出場が期待されたが、準々決勝で副島孔太や高橋由伸を擁する桐蔭学園高等学校にコールド負けを喫し、甲子園出場は果たせなかった。 1992年のドラフト会議において、ヤクルトスワローズと広島東洋カープの2球団から2位指名され、抽選で広島の指名権が確定し、入団。
川越 英隆(かわごえ ひでたか、1973年6月8日 - )は… 川越 英隆(かわごえ ひでたか、1973年6月8日 - )は、神奈川県相模原市出身の元プロ野球選手(投手)、コーチ。右投右打。 小さい頃から野球に興味を持ち、幼稚園の時に駄々をこね父兄同伴で小学生の野球チームに参加を認められたことがある。その頃から投手を務め、相模原市立桜台小学校、相模原市立相模台中学校を卒業後、甲子園出場を目指して福島県の学校法人石川高等学校に野球留学した。娯楽の無い環境で野球に打ち込み、3年時には第63回選抜高等学校野球大会、第73回全国高等学校野球選手権大会に春夏連続出場するも両大会共に2回戦敗退。 高校卒業後は、監督の河原井正雄から熱心な勧誘を受け東都大学野球連盟所属の青山学院大学に進学した。
鶴見 信彦(つるみ のぶひこ、1966年7月19日 - )… 鶴見 信彦(つるみ のぶひこ、1966年7月19日 - )は、神奈川県相模原市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。 向上高時代は、3年次の夏にチームメイトの高橋智、大塚義樹らとともに神奈川県大会決勝に進出するが、桐蔭学園高に敗れ甲子園出場はならなかった。 高校卒業後は、1985年に社会人野球の三菱自動車川崎に入団。1986年 - 1988年と3年連続で都市対抗野球に出場(1988年は補強選手として出場したが試合出場なし)。 1988年のプロ野球ドラフト会議で阪神タイガースから2位指名を受け入団。同僚の清水雅治、四條稔と野手が指名され、会社からプロ入りを拒否されたため交渉は難航し、年末になってようやく合意に至ったため1人だけの入団発表となった。
大塚 義樹(おおつか よしき、1966年4月6日 - )は… 大塚 義樹(おおつか よしき、1966年4月6日 - )は、神奈川県相模原市出身の元プロ野球選手(捕手)。 向上高では同期の高橋智とバッテリーを組む。同期に鶴見信彦がいた。 1984年のプロ野球ドラフト会議で南海ホークスから3位指名を受け入団。 プロ2年目の1986年に一軍初出場を果たす。 1990年はマイナーリーグA級のサリナス・スパーズ(英語版)に野球留学した。ホークスでは香川伸行や吉田博之などがいたため7年間で25試合しか出場できず、1991年オフに新浦壽夫との交換トレードで横浜大洋ホエールズへ移籍した。 横浜では1994年シーズン終盤に代打で2打席連続本塁打を記録している。 1995年に34試合に出場し、秋元宏作や谷繁元信との正捕手争いに加わった。
渡辺 伸治(わたなべ しんじ、1963年9月8日 - )は、… 渡辺 伸治(わたなべ しんじ、1963年9月8日 - )は、神奈川県出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。