坂上 富男(坂上 冨男、さかがみ とみお、1927年1月2日… 坂上 富男(坂上 冨男、さかがみ とみお、1927年1月2日 - 2018年4月9日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員を通算3期務めた。 新潟県三条市出身。1949年、日本大学法文学部政経学科卒業。新潟県内の小学校教員となる。 1952年、弁護士税理士事務所を開設。燕三条税理士法人の代表社員になる。三条市議会議員、新潟県弁護士会会長を務める。 1982年4月25日に行われた新潟県知事選挙に社会党・共産党の推薦を得て立候補。現職の君健男との一騎打ちに敗れ落選。 1986年の第38回衆議院議員総選挙に旧新潟3区から、社会党の統一候補として立候補し初当選。 1990年の第39回衆議院議員総選挙で社会党は坂上と前県議の目黒吉之助の二人に公認を出す。
稲村 順三(いなむら じゅんぞう、1900年9月30日 - … 稲村 順三(いなむら じゅんぞう、1900年9月30日 - 1955年2月21日)は、日本の農民運動家・政治家。衆議院議員(5期)。本名は「稲村 順蔵」、ペンネームは「村上 進」。 新潟県三条市出身。稲村道三郎の二男として生まれた。北海道帝国大学予科から東京帝国大学へ入学するが、兄・稲村隆一の影響を受け農民運動に関わるようになり大学を中退。1926年に労働農民党に入党し、雑誌「マルクス主義」の編集者。無産大衆党書記や社会大衆党書記を務め、1927年『労農』同人。1928年に日本大衆党に参加するが翌1929年5月21日に除名処分を受ける。1932年には秋田、新潟の農民運動に参加するも、1937年人民戦線事件で検挙され、釈放の後に帝国農業会嘱託や中央農会副参事として勤務する。
亘 四郎(わたり しろう、1899年〈明治32年〉11月8日… 亘 四郎(わたり しろう、1899年〈明治32年〉11月8日 - 1977年〈昭和52年〉4月4日)は、日本の政治家。位階は正三位、勲等は勲一等。衆議院議員(8期)、新潟県知事(公選第7・8代、在任1966年 - 1974年)、参議院議員(1期)。日魯漁業創業者の堤清六は実兄。 呉服商「近清」7代目の堤清七・千代の四男(第7子)として新潟県南蒲原郡三条町上町に出生。長兄の清六とは19歳も離れていた。幼くして寺泊の廻船問屋亘信治の養子となる。 寺泊町立尋常科寺泊小学校を経て旧制新潟県立三条中学校を卒業後、アメリカ合衆国ニュージャージー州のラトガーズ大学に留学。建築学や数学を学ぶ一方で、アメリカンフットボール部でも活躍した。
堤 清六(つつみ せいろく、1880年〈明治13年〉2月15… 堤 清六(つつみ せいろく、1880年〈明治13年〉2月15日 - 1931年〈昭和6年〉9月12日)は、日本の実業家、衆議院議員。日魯漁業株式会社(現株式会社マルハニチロ)の創業者。実弟は新潟県知事・参議院議員を歴任した亘四郎。 堤清六は1880年2月15日 に、新潟県南蒲原郡三条町上町(現三条市)の呉服商「近清」(堤家)7代目の清七、千代の長男(第1子)として生まれた。三条町立尋常高等小学校(現三条市立三条小学校)を卒業後、北米教校に進学した。1895年 には、祖父の東京出張に同行していたが、その祖父が急死し遺骨を持ち帰ることになる。1904年 には、 日露戦争で御用商人(酒保)を志願、満州に渡る1906年、清六はアムール川下流のブロンゲ岬で平塚常次郎と出会う。
渡辺 兼二(渡邉、わたなべ けんじ、1866年2月11日〈慶… 渡辺 兼二(渡邉、わたなべ けんじ、1866年2月11日〈慶応元年12月26日〉 - 1928年〈昭和3年〉12月9日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍少将。新潟市長。 越後国蒲原郡一ノ木戸村(現新潟県三条市)で渡辺正友の二男として生まれる。1885年12月、陸軍教導団砲兵科に入団。1890年7月26日、陸軍士官学校(1期)を卒業、ちなみに 1890年(明治23年)7月29日の官報によると、陸軍士官学校第1期を工兵科1番/8名で卒業している。1891年3月26日、陸軍工兵少尉に任官し工兵第1大隊附となる。 日清戦争に工兵第1大隊第2中隊小隊長として出征。1895年11月、陸軍砲工学校(3期)を優等で卒業。
大谷 岩太郎(おおたに いわたろう、元治元年8月26日(18… 大谷 岩太郎(おおたに いわたろう、元治元年8月26日(1864年9月26日) - 昭和25年(1950年)10月10日)は、旭川市の実業家、政治家。#大谷酒造株式会社の創業者。新潟県出身。真宗大谷派旭川別院檀家総代。旭川村(現旭川市)への鉄道誘致、日本放送協会北海道放送局開設、百貨店丸井今井旭川支店にも深く携わった。1928年(昭和3年)6月紺綬褒章。 現在の旭川市6条6丁目にあった酒造会社。 明治42年下村正之助の酒造場を買収し創業、43年度から生産を始め、同年の造石高 672 石、44年 1,051 石を生産して千石蔵に仲間入りした。 代表的な銘柄は、旭正宗・旭自慢 昭和19年企業整備令により、旭川酒類工業会社に合併され、第四工場として稼働。
西潟 為蔵(にしかた ためぞう、1845年11月14日(弘化… 西潟 為蔵(にしかた ためぞう、1845年11月14日(弘化2年10月15日)- 1924年(大正13年)9月6日)は、日本の政治家。衆議院議員。 越後国蒲原郡下田郷福岡新田(現:新潟県三条市)で、地主・西潟浅五郎の長男として生まれる。目黒市左衛門、村松藩士・山上謙之助から漢籍を学ぶ。慶応2年(1866年)1月から3月にかけて東山・東海・南海・山陽・畿内・北陸を旅行して見聞を広めた。慶応4年8月29日(1868年10月14日)鹿峠・長沢組一揆の際に、百姓惣代として請願十ヶ条を纏め村松藩と交渉を行った。 明治5年9月(1872年10月)地主惣代として壬申地券交付取調、1874年、地租改正掛、1876年、第十八大区小八区村位等級調査委員となり地租改正事業で実績を残した。
栗林 五朔(くりばやし ごさく)は戦前日本の実業家、政治家。… 栗林 五朔(くりばやし ごさく)は戦前日本の実業家、政治家。新潟県三条市出身。北海道室蘭市で物流事業を起こし、栗林商会、栗林商船等を創立。「北の海に栗林あり」「海運王」と呼ばれた。登別温泉軌道を経営する一方、北海道会議員、衆議院議員を歴任し、室蘭港及び登別温泉の開発に尽力した。晩年の号は蕙堂。登別温泉発展への功績をしのび、頭山満翁揮毫の瀧本金蔵・栗林五朔頌徳碑が現地にある。 旧暦慶応2年5月1日(1866年)、越後国蒲原郡西大崎村の豪農栗林得太郎の長男として生まれた。西大崎村宝蔵寺小学校を経て、新暦1876年(明治9年)官立新潟英語学校に入学、1879年(明治12年)三島郡遠藤軍平の西軽塾に移るも廃校となり、1880年(明治13年)河根川村青柳剛斎の菁莪学舎に入門、1882年(明治15年)帰郷して大崎校訓導兼校長田沢忠松に学び、1883年(明治16年)東大崎村北溟義塾で山田錫に学んだ。