小林 浩康(こばやし ひろやす、1972年 - )は、日本の… 小林 浩康(こばやし ひろやす、1972年 - )は、日本のアニメ監督、CGI監督、デザイナー、実業家。株式会社カラー取締役。新潟県柏崎市出身。武蔵野美術大学大学院造形研究科日本画コース修了。 マットペインターとして映画の世界に入り、CGアーティストを経てスタジオカラー参加。 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』よりCGI監督、デザインワークス等を務める。 2017年7月、カラー・麻生塾・ドワンゴの3社で福岡に設立した、3DCGアニメスタジオ「プロジェクトスタジオQ」の取締役に就任。 2018年12月、ドワンゴ・KADOKAWA・カラー・インクストゥエンター・アソビシステムの5社で設立したバーチャルアニメ&キャラクタースタジオ「リド」の取締役に就任。
矢代 秀己(やしろ ひでき、1953年5月5日 - )は、日… 矢代 秀己(やしろ ひでき、1953年5月5日 - )は、日本の実業家。ジョナサン社長、小僧寿し社長。 新潟県柏崎市出身。1977年 駒澤大学経済学部卒業。同年すかいらーく入社。1992年ジョナス(現ジョナサン)取締役、1994年常務、1996年専務を歴任。2003年3月ジョナサン社長に就任。 2006年3月すかいら-くへ移籍、同社常務執行役員MDカンパニー代表。2008年9月同社常務執行役員人事本部長、同年12月同社取締役人事本部長、ジョナサン取締役会長。2009年10月すかいらーく取締役。2010年3月小僧寿し社長に就任、2012年3月同社取締役会長。
柴野 たいぞう(しばの たいぞう、本名:柴野 多伊三〈読み同… 柴野 たいぞう(しばの たいぞう、本名:柴野 多伊三〈読み同じ〉、旧名:柴野 実〈しばの みのる〉。1951年7月7日 - 2011年9月5日)は、日本の政治家、実業家。 本名や「しばの 実(- みのる)」「武野 義三(たけの よしぞう)」等のペンネームを用いた[要出典]。
近藤 史朗(こんどう しろう、1949年10月7日 - )は… 近藤 史朗(こんどう しろう、1949年10月7日 - )は、日本の技術者、実業家。株式会社リコー代表取締役社長・最高経営責任者や、同社代表取締役会長を務めた。 新潟県柏崎市生まれ。新潟県立柏崎高等学校を経て、1973年新潟大学工学部卒業、リコー入社、厚木事業所電送機器事業部配属。1998年画像システム事業本部プリンタ事業部長。1999年画像システム事業本部副事業本部長。2000年執行役員画像システム事業本部長。2002年上席執行役員。2003年常務取締役。2004年MFP事業本部長。2005年取締役専務執行役員。2007年代表取締役社長執行役員 CEO。2013年代表取締役会長執行役員。2016年代表取締役会長、東北電力取締役。
広瀬 真一(ひろせ しんいち、1913年1月25日 - 19… 広瀬 真一(ひろせ しんいち、1913年1月25日 - 1986年1月20日)は、日本の官僚、経営者。運輸事務次官や、日本通運社長、会長を務めた。「日通中興の祖」と呼ばれた。 新潟県柏崎市出身。1938年に東京帝国大学法科を卒業し、同年に鉄道省に入省し、同期に若狭得治がいた。運輸省鉄道管理局国有鉄道部長、鉄道管理局長などを経て、1964年6月に運輸事務次官に就任した。1968年をもって退官し、地元新潟県選挙区で参議院選挙に自由民主党公認で出馬したが、落選した。1968年11月に日本通運専務に就任し、日通事件で揺れていていた会社の立て直しに尽力していた。1972年に副社長に就任し、1976年に社長に就任した。
柴野 安三郎 (しばの やすさぶろう、1903年 <明治36… 柴野 安三郎 (しばの やすさぶろう、1903年 <明治36年> 8月12日 - 1995年 <平成7年> 1月5日)は、北海道の実業家。北海道交通株式会社代表取締役社長。位階は正五位。 1903年、新潟県刈羽郡荒浜村(現・柏崎市)の漁民安二郎の三男として生まれる。荒浜尋常高等小学校を卒業後、1917年に柏崎の西川鉄工所に就職する。1923年、舞鶴海兵団に徴兵となる。その後、横須賀の海軍機関学校に学び、戦艦「長門」の乗組員となる。1926年、北海道の小樽の佐藤鉄工所に旋盤工として就職する。そこでは工場長に抜擢されるが労働争議に参加し、拘留される経験も持つ。1929年、阿部自動車の運転手となる。 1931年、小樽でタクシー会社の「稲穂タクシー」を自ら創業する。
2代 小林 米三郎(こばやし よねさぶろう、1886年(明治… 2代 小林 米三郎(こばやし よねさぶろう、1886年(明治19年)11月20日 - 1968年(昭和43年)6月25日)は、大正・昭和期の実業家、政治家。位階は正五位。 参議院議員(1期)、小林酒造社長、栗山町名誉町民。旧姓は田中、旧名は栄。 1886年(明治19年)11月20日、新潟県刈羽郡(のちの刈羽郡二田村、現・柏崎市)に田中九平太の二男として生まれた。生家は造り酒屋の素封家であり、6人兄弟姉妹の5番目だった。出生名は田中栄であり、当地出身の田中角栄の遠縁にあたる。 1903年(明治36年)に新潟県立柏崎中学校(現・新潟県立柏崎高等学校)を卒業。 17歳の時に北海道夕張郡角田村(現・栗山町)の初代小林米三郎の養子となり、2代米三郎を襲名して酒造業を継承した。
原 吉郎(はら きちろう、1874年〈明治7年〉9月30日 … 原 吉郎(はら きちろう、1874年〈明治7年〉9月30日 - 1955年〈昭和30年〉12月17日)は、明治後期から昭和前期の実業家、政治家。衆議院議員(2期)、新潟県刈羽郡枇杷島村(のち同郡柏崎町、現在の柏崎市)長、同郡柏崎町長、初代柏崎市長。 現在の新潟県柏崎市出身。東京専修学校(現専修大学)に学び、日露戦争に参加する。その後は代々続く造酒屋(原酒造)の四代目として経営、同社の中興の祖となる。枇杷島村会議員、同村長、刈羽郡会議員を歴任した。1903年(明治36年)、新潟県会議員選挙に刈羽郡選挙区から進歩党公認で立候補して当選した。同年10月から1904年(明治37年)3月まで第17代新潟県会副議長を務めた。
内藤 久寛(ないとう ひさひろ、1859年8月20日(安政6… 内藤 久寛(ないとう ひさひろ、1859年8月20日(安政6年7月22日)- 1945年(昭和20年)1月29日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員、貴族院勅選議員。幼名・駒二郎、旧名・道二郎。明治期の石油産業の開拓者であり、日本石油を設立し「日本の石油王」と呼ばれた。 越後国刈羽郡石地村(現新潟県柏崎市西山町石地)で、代々里正を務めた名家の内藤久之、貞子夫妻の二男として生まれる。兄と姉が幼くして死去したため一人息子のように育った。柏崎県黌、横浜の高島学校、新潟英語学校で学んだが、退学して衰退した実家の再建のため懸命に働いた。 1879年(明治12年)4月、戸長に就任。1885年(明治18年)新潟県会議員に当選した。
関矢 儀八郎(せきや ぎはちろう、1858年12月3日(安政… 関矢 儀八郎(せきや ぎはちろう、1858年12月3日(安政5年10月28日)- 1924年(大正13年)11月22日)は、明治から大正期の実業家、政治家。衆議院議員。号・剣山人。 越後国刈羽郡剣野村(新潟県刈羽郡枇杷島村大字剣野、柏崎町を経て現柏崎市剣野)で、関矢福右衛門の長男として生まれる。1880年(明治13年)9月に家督を相続した。 柏崎県立学校などで学び、上條義塾の漢学教師を務めた。自由民権運動に加わり、1883年(明治16年)の高田事件で検挙された。その後、新潟市に移り、北越学館漢学教師を務め、東北日報、自由新報の記者となった。沿海州の漁業、ロシアとの貿易に着目して、北陸地方の発展のための必要性を訴えた。
初代 板谷 宮吉(いたや みやきち、1857年2月4日(安政… 初代 板谷 宮吉(いたや みやきち、1857年2月4日(安政4年1月10日) - 1924年(大正13年)5月13日)は、日本の実業家、政治家。北海道の海運王と呼ばれた。 越後国刈羽郡宮川村(のち新潟県刈羽郡高浜町大字宮川、現柏崎市)で板谷善左衛門の四男として生まれ、兄・常太の養嗣子となる。 明治3年(1870年)北海道渡島国松前に渡り、1875年、小樽に移って海産物商に奉公した。1882年に独立して米穀雑貨の販売業を営む。1893年、小型汽船を購入し、これが海運業を営むきっかけとなった。1899年、兄・常太と板谷合名を創立し、物産販売、倉庫業、醸造業、海運業、鉱業、農業、漁業を営んだ。1912年、板谷合名を板谷商船に改組した。
高橋 直治(たかはし なおじ、1856年3月4日(安政3年1… 高橋 直治(たかはし なおじ、1856年3月4日(安政3年1月28日) - 1926年(大正15年)2月18日)は、明治から大正期の実業家、政治家。衆議院議員、貴族院多額納税者議員。 越後国刈羽郡石地村(現・柏崎市)で高橋喜惣八の長男として生まれる。1875年(明治8年)小樽に渡り荒物商の店員となる。1878年(明治11年)に独立し合羽荒物雑貨商を開業し、さらに米穀海産委託問屋、味噌醤油製造、石炭販売、精米所、回漕業を営んだ。1896年(明治29年)弟・喜蔵と共に高橋合名会社を組織し代表社員に就任。事業を米雑穀業に転換した。第一次世界大戦により日本からヨーロッパへ菜豆類の輸出が急増した際に、大量の大豆を貯蔵し直輸出を行い、日本やロンドン市場を左右するほどの影響を与えたことから「小豆将軍」と称された。
西巻 豊佐久(にしまき とよさく、安政元年(1854年)4月… 西巻 豊佐久(にしまき とよさく、安政元年(1854年)4月23日 - 明治43年(1910年)8月26日)は、日本の実業家、銀行家。横浜正金銀行の幹部として上海・神戸・ロンドン各支店の経営を担い、同銀行の国際金融展開を支えた人物。日本人による初のキリスト教団体「福音会」の創設者の一人でもある。 越後国刈羽郡田尻村(現在の新潟県柏崎市)に生まれる。明治10年(1877年)、志を抱いて渡米し、サンフランシスコで苦学生生活を送りながら学んだ。同地では、美山貫一、小方仙之助らと共に日本人初のキリスト教団体「福音会」を設立した。この福音会は、後の日本プロテスタント史における初期留学生信徒グループとして知られている。
牧口 義方(まきぐち よしかた、1853年1月13日(嘉永5… 牧口 義方(まきぐち よしかた、1853年1月13日(嘉永5年12月4日)- 1899年(明治32年)12月20日)は、明治期の実業家、政治家。衆議院議員。幼名・正太郎。 越後国刈羽郡荒浜村(新潟県刈羽郡荒浜村を経て現柏崎市荒浜)で、代々村の組頭役を務め、回船業を営む牧口家4代当主・庄三郎の息子として生まれた。同郡比角村の星野鏡里に師事し漢学を修め、さらに同郡南条村の藍沢朴斎につき、柏崎県立学校で学んだ。 海運業を営み、柏崎銀行頭取、直江津取引所理事長、新潟商業銀行取締役、新潟銀行監査役などを務めた。 1881年(明治14年)12月、新潟県第18中学区第18小学区学務委員に就任。以後、荒浜村戸長、所得税調査委員などを務めた。
飯塚 弥一郎(彌一郎、いいづか やいちろう、1852年8月2… 飯塚 弥一郎(彌一郎、いいづか やいちろう、1852年8月21日(嘉永5年7月7日)- 1923年(大正12年)9月18日)は、明治から大正期の地主、農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員、新潟県刈羽郡日高村長。 越後国刈羽郡新道村、のちの新潟県刈羽郡日高村(高田村を経て現柏崎市新道)で、大地主・飯塚弥兵衛の長男として生れた。藍澤南城の三余堂学寮で漢学、洋学を学んだ。1868年(明治元年6月)に家督を相続。農業を営む。 実業界などでは、1882年(明治15年)1月、第百三十九国立銀行取締役に就任。その他、同行監査役、日本石油監査役、柏崎銀行取締役、同頭取、柏崎米穀取引所理事、北浜酒造監査役、北越植民監査役、日本赤十字社特別会員、帝国義勇艦隊名誉会員、恩賜財団済生会名誉会員などを務めた。
関矢 孫左衛門(せきや まござえもん、1844年3月12日(… 関矢 孫左衛門(せきや まござえもん、1844年3月12日(弘化元年1月24日) - 1917年(大正6年)6月21日)は、明治時代の政治家、銀行家、実業家。衆議院議員(1期)。北海道開拓者。号・道菴、北海道人。 越後国刈羽郡新道村(新潟県刈羽郡日高村、高田村を経て、現柏崎市新道)出身。飯塚七十郎の子として生まれ、1858年(安政5年)魚沼郡並柳新田(新潟県北魚沼郡並柳村、下条村、広瀬村、広神村を経て現魚沼市)の関矢家の養子となった。戊辰戦争では居之隊に属して新政府軍とともに各地に転戦した。西南戦争にも従軍した。 1870年(明治3年)帰郷後、大区長に就任。のち三等警部、地租改正御用掛、北魚沼郡長兼南魚沼郡長を歴任する。
松村 文次郎(まつむら ぶんじろう、1839年4月15日(天… 松村 文次郎(まつむら ぶんじろう、1839年4月15日(天保10年3月2日) - 1913年(大正2年)9月23日)は、明治時代の政治家、実業家。自由民権運動家。衆議院議員(2期)。 越後国刈羽郡柏崎村(現新潟県柏崎市)の町年寄の家に生まれた。原修斎に学び漢学を修めた。町年寄を務め、その後、柏崎県に出仕し学区取締に就任。1879年(明治12年)新潟県会議員に当選し、初代議長となった。ほか自由民権を唱え、北辰自由党に加わった。実業家としては柏崎活版印刷社長などを歴任した。1889年(明治22年)鈴木昌司、西潟為蔵、山際七司らと越佐同盟会を結成し評議員に就任。1890年(明治23年)6月に県会議員を辞職し、同年7月の第1回衆議院議員総選挙では新潟県第6区から出馬し当選。