初代 五十嵐 甚蔵(いがらし じんぞう、1845年(弘化2年… 初代 五十嵐 甚蔵(いがらし じんぞう、1845年(弘化2年10月) - 1911年(明治44年)3月20日)は、明治時代の政治家。銀行家。大地主。貴族院多額納税者議員。諱は信澄、号は梅雨山人。 越後国蒲原郡金屋村(新潟県北蒲原郡金屋村、笹岡村、笹神村を経て現阿賀野市)出身。19歳の時、父が没し家督を相続する。 1870年(明治3年)越後府により治河会議所会計方試補に任ぜられ、1872年(明治5年)小区戸長となった。1875年(明治8年)第22大区長を最後に官職を辞した。 1879年(明治12年)同志と共に第百十六国立銀行を設立し、頭取に就任した。1897年(明治30年)私立銀行に転換後は取締役を務めた。
田辺 久蔵(田邊 久藏、たなべ きゅうぞう、1839年(天保… 田辺 久蔵(田邊 久藏、たなべ きゅうぞう、1839年(天保10年9月)- 1909年(明治42年)9月19日)は、幕末の村役人、明治期の政治家、実業家。衆議院議員。号・晴雲。 越後国蒲原郡大野地村(新潟県蒲原郡大野地村、北蒲原郡大野地村、堀越村大野地、水原町を経て現阿賀野市大野地)で、庄屋を務める田辺家に生まれた。大野地村庄屋を務めた。 明治維新後、新潟県地券下掛、第二大区小二区戸長、副大区長、地租改正実地検査顧問などを務めた。 政治活動に熱心で立憲改進党に所属し、1888年(明治21年)新潟県会議員に選出され、同常置委員、同副議長を務めた。1894年(明治27年)9月、第4回衆議院議員総選挙(新潟県第2区、立憲改進党)で当選し、その後、進歩党に所属し衆議院議員に1期在任した。
安孫子 石太郎(あびこ いしたろう、生年不明 - 1906年… 安孫子 石太郎(あびこ いしたろう、生年不明 - 1906年〈明治39年〉)は、日本の商人(柏屋、荒物小間物商並びに蝋燭製造)、政治家。新潟県北蒲原郡水原町長。名は石、字は頑夫、通称は石太郎、号は城南。 新潟県北蒲原郡水原町(現・阿賀野市)の人で、安孫子貽堂の孫。諏訪山の大野耻堂塾に学ぶ。更に東京へ出て安井息軒に就いて2年学んで帰郷する。後に再び上京し、大野楳華に、次いで中村敬宇の同人社に投じ2年留まる。 両親が高齢のため遂に郷里の営業に戻ることとなり、推されて町長となり、又郵便局長となる。 安孫子家は水原の安孫子氏の一族に相違ないが、何処から分かれた家かはっきりしない。蝋燭を製し紙を売って生業とし、傍ら質屋を営んだ。