朝乃山 広暉(あさのやま ひろき、1994年(平成6年)3月… 朝乃山 広暉(あさのやま ひろき、1994年(平成6年)3月1日 - )は、富山県富山市出身で、高砂部屋所属の現役大相撲力士。本名は石橋 広暉(いしばし ひろき)。身長188cm、体重170kg、血液型はA型。得意技は右四つ、寄り、上手投げ。最高位は東大関(2020年9月場所、2021年5月場所)。好物はブリの塩焼きと寿司。好きな音楽は洋楽、好きな漫画は『ザ・ファブル』。体力の衰えや病気などによる成績不振ではなく、不祥事によって大関から陥落するという珍しい経歴を持つ(詳細は後述)。 富山県富山市呉羽町にて出生。出生時の体重は3678g。性格は明るく、幼少期は保育園に行くのが何よりの楽しみだった。
朝乃山 英樹(あさのやま ひでき、1994年3月1日 - )… 朝乃山 英樹(あさのやま ひでき、1994年3月1日 - )は、富山県富山市出身で、高砂部屋所属の現役大相撲力士。本名は石橋 広暉(いしばし ひろき)。身長189cm、体重158kg。得意技は寄り、上手投げ。最高位は東十両7枚目(2017年5月場所)。
駒不動 大助(こまふどう だいすけ、1965年9月15日 -… 駒不動 大助(こまふどう だいすけ、1965年9月15日 - 2025年12月15日)は、富山県富山市出身で放駒部屋(入門時は花籠部屋)に所属した元大相撲力士。本名は新木数人(あらき かずひと)。最高位は西前頭13枚目(1989年9月場所)。身長181cm、体重149kg、得意手は左四つ、寄り、吊り、うっちゃり。趣味はカラオケ。血液型はO型。好物は焼き肉。 小学校ではサッカーをやっていたが、6年生から柔道を始め、富山第一高校に進学してから高校 1年生まで続けたが、柔道部監督が11代花籠(元前頭3・大ノ海)と知り合いだったので、監督に紹介されて花籠部屋へ入門した。1984年1月場所で本名「新木」で初土俵を踏む。
琴ヶ梅 剛史(ことがうめ つよし、1963年10月5日 - … 琴ヶ梅 剛史(ことがうめ つよし、1963年10月5日 - )は、富山県婦負郡八尾町(現・富山市)出身で佐渡ヶ嶽部屋に所属した元大相撲力士。本名は北山 聡。身長180cm、体重187kg。得意技は右四つ、寄り、突き。最高位は東関脇。 「花のサンパチ組」(昭和38年生まれ)の一人。昭和54年3月場所、佐渡ヶ嶽部屋から初土俵。当初は本名の北山で取っていたが二代目梅ヶ谷から梅の一字をもらい「琴ヶ梅」と改名する。午前2時から起きて寺尾や益荒雄と共に相撲教習所へ赴いて稽古をしたその熱心さから新弟子の頃より期待され昭和59年3月場所で新十両、翌昭和60年3月場所で新入幕を果たした。 兄弟子の琴風を一回り小さくしたような風貌で、膝のサポーターまで一緒だった。
琴立山 兼滋(ことたてやま かねしげ、1952年3月15日 … 琴立山 兼滋(ことたてやま かねしげ、1952年3月15日 - )は、富山県富山市出身で佐渡ヶ嶽部屋に所属した元大相撲力士。本名は高井 重明(たかい しげあき)。187cm、112kg。最高位は西十両7枚目。得意技は突き、左四つ、上手投げ。 1967年9月場所に初土俵、1976年11月場所で新十両。長身を活かした左四つからの上手投げを得意としたが、腰痛を患っていたこともあって立ち合いが甘く、十両中位の壁を破れなかった。1981年3月場所限りで廃業。 琴立山は9度改名している。 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709
若見山 幸平(わかみやま こうへい、1943年4月16日 -… 若見山 幸平(わかみやま こうへい、1943年4月16日 - 没年不明)は、富山県富山市西田地方町出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は熊野 敏彦(くまの としひこ)。最高位は西関脇(1965年11月場所・1966年1月場所)。現役当時の体格は177cm、176kg。得意手は右四つ、寄り、極め出し。 14歳の時に立浪部屋へ入門し、1957年11月場所にて初土俵。同場所では番付外で好成績を残したため後半より新序に出世して相撲を取り、負け越したものの、翌場所では序ノ口を飛び越していきなり序二段に付いた。当初の四股名は、本名と同じ「熊野」。 その後も順調に出世し、1963年5月場所で十両に昇進した。
緑岩 三郎(みどりいわ さぶろう、1933年9月9日 -没年… 緑岩 三郎(みどりいわ さぶろう、1933年9月9日 -没年不明 )は、立浪部屋に所属した元力士。本名は大城 三郎(おおしろ さぶろう)。現在の富山県富山市出身。174cm、88kg。最高位は西十両18枚目。得意技は左四つ、寄り。 1950年9月場所に初土俵。1958年7月場所に十両昇進し3場所務めた。1959年1月場所に幕下に陥落。幕下陥落後の1959年5月場所の11日目から廃業する9月場所まで弓取りを務めた。1959年9月場所に26歳で廃業。廃業後はプロレスラーに転向した。
若太刀 芳之助(わかたち よしのすけ、1898年7月19日 … 若太刀 芳之助(わかたち よしのすけ、1898年7月19日 - 1974年1月28日)は、富山県富山市出身で友綱部屋、東関部屋、高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は松井 芳之助。171cm、90kg。最高位は西前頭6枚目。 1914年5月初土俵。入門時は太刀山峯右エ門の弟子であった。1919年1月十両昇進。1924年5月入幕し、1925年1月場所初日には横綱常ノ花を破る殊勲の星を挙げた。1926年5月に廃業。廃業後は映画出演の傍ら素人相撲の指導者も務めた。
剣岳 吉五郎(つるぎだけ きちごろう、1896年1月1日 -… 剣岳 吉五郎(つるぎだけ きちごろう、1896年1月1日 - 1950年4月19日)は、富山県富山市出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は五十里 吉次郎。身長174cm、体重94kg。 富山県富山市出身。立浪部屋に入門し、1916年1月場所に初土俵を踏む。新十両が1925年5月場所、新入幕が1927年5月場所と、昇進のスピードは緩やかだったが、1928年には、大関大ノ里萬助や常陸岩英太郎からも勝ち星を挙げたり、新進気鋭の武蔵山武にも初顔から連勝したりと、時折存在感を示した。その風格について「古武士」と評されたこともある。 右四つからの寄り、蹴返しなどを持ち味とした取り口であった。 1932年1月場所の番付では、東前頭16枚目に位置していたが、その場所前に起きた春秋園事件で、協会を脱退、天竜三郎たちと行動を共にし、以後相撲協会には復帰しなかった。
敷嶌 猪之助(しきしま いのすけ、1887年11月9日 - … 敷嶌 猪之助(しきしま いのすけ、1887年11月9日 - 1957年1月29日)は、現在の富山県富山市出身で友綱部屋に所属した力士。本名は持田 猪之助。9代熊ヶ谷を襲名し、熊ヶ谷部屋を経営した。身長170cm、体重96kg。最高位は東前頭4枚目。 1907年5月新序、1912年1月十両昇進。1916年5月入幕し7勝3敗の成績。右四つからの寄りや櫓投げを得意とし、1917年5月最高位の前頭4枚目、新大関栃木山戦で土俵際でうっちゃりを見せ、40分の協議ののち預かりとなる相撲を取り3勝6敗1預。その後は後援会の幹事の頼みで会員の寡婦と握手をさせられた事が刑事問題となり、不振となった。1921年1月幕下に陥落して引退し熊ヶ谷を襲名、長く理事、監事を歴任した。
玉椿 憲太郎(たまつばき けんたろう、1883年(明治16年… 玉椿 憲太郎(たまつばき けんたろう、1883年(明治16年)11月10日 - 1928年(昭和3年)9月19日)は、富山県中新川郡下条郷上砂子坂村(現・富山市)出身で雷部屋に所属した大相撲力士。本名は森野 健次郎。小兵でありながら多彩な技としぶとい相撲で関脇まで上り詰め、「名人」「怪力士」などと呼ばれた。現役時代の体格は159cm、90kg。 父と兄が草相撲の強者だったことから、これに影響を受けて力士を志すようになる。1895年(明治28年)ごろ、知人を通して梅ノ谷に紹介してもらい、その師匠である雷部屋に入門。1897年(明治30年)1月場所初土俵。この時の四股名は湊山。1900年(明治33年)の一場所のみ玉ヶ関と改名するが、これは兄弟同様にしていた玉ヶ関という力士が死去したため、弔いの意味で付けたものであった。
恵比寿洋 直三郎(えびすなだ なおさぶろう、1883年 - … 恵比寿洋 直三郎(えびすなだ なおさぶろう、1883年 - 1915年8月10日)は、富山県旧婦負郡野積村(富山市八尾町)出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は邑崎 直次郎(むらさき なおじろう)。 1883年に富山県旧婦負郡野積村(現富山市八尾町)に生まれ、その後地元の布谷小学校(現富山市立八尾小学校)を卒業した。上京後、25歳でヱビスビールに関係する会社に勤務。身長約185cmの大柄な体格から、同社の重役に角界入りを勧められた。初めは断ったものの、横綱常陸山ら大相撲関係者の熱心な誘いで、27歳だった1911年に出羽海部屋に入門。しこ名はヱビスビールにちなんだ。出羽海部屋へ入門後は自身の武器である怪力を活かして番付を上げ、1915年1月場所において、序ノ口から所要8場所で新十両へと昇進するというスピード出世を果たした。
梅ヶ谷 藤太郎(うめがたに とうたろう、1878年3月11日… 梅ヶ谷 藤太郎(うめがたに とうたろう、1878年3月11日 - 1927年9月2日)は、現在の富山県富山市水橋大町(出生時は石川県新川郡水橋西大町)出身で雷部屋に所属した大相撲力士。第20代横綱。本名は押田 音次郎(おしだ おとじろう)で、後に小江 音松(おえ おとまつ)となる。 1878年に、現在でいう「富山の薬売り」である売薬商の四男として生まれる(誕生日には異説もある)。1891年に初代西ノ海嘉治郎・劔山谷右エ門の一行が富山県へ巡業に来た際、恵まれた体格の少年を見つけた劔山から熱心な勧誘を受け、雷部屋へ入門、早くも同年1月に初土俵を踏んだ。師匠・雷(元横綱・初代梅ヶ谷)の「ワシ(梅ヶ谷)の弟子ということで四股名は“梅ノ谷”だ」という発言で四股名はあっさりと決定、番付には「梅ノ谷 音松」と書かれた。
太刀山 峯右エ門(たちやま みねえもん、1877年8月15日… 太刀山 峯右エ門(たちやま みねえもん、1877年8月15日 - 1941年4月3日)は、現在の富山県富山市吉作(出生時は石川県婦負郡吉作村)出身で友綱部屋に所属した大相撲力士。第22代横綱。本名は老本 弥次郎(おいもと やじろう)。 1877年に呉羽丘陵の近くの、農業の傍ら製茶業、豆腐業を営む老本治助の次男として生まれた。秀業小学校(現・富山市立呉羽小学校)卒業とされている。老本家の茶は品評会で常に一等で、幼い頃から茶葉の手揉みを手伝っていたことから怪力が付き、これによって針のごとく鋭い優良品を生み出し、茶の品評会では必ず優勝したという。兵役検査での優秀な成績が評判になり、友綱が貴重な逸材として欲しがったが本人は相撲に興味が無く、実家も長男を早く失っているので猛反対された。