内藤 大和(ないとう やまと、2004年7月14日 - )は… 内藤 大和(ないとう やまと、2004年7月14日 - )は、山梨県甲府市出身のサッカー選手。Jリーグ・ヴァンフォーレ甲府所属。ポジションはフォワード(FW)。 ヴァンフォーレ甲府のアカデミー出身。2021年9月に2種登録選手としてトップチームに登録され、10月23日のJ2リーグ第35節・V・ファーレン長崎戦でトップチームデビューを飾った。 2022年4月に高校生ながら飛び級でヴァンフォーレ甲府とプロ契約を結んだ。6月1日、天皇杯2回戦の環太平洋大学戦でプロ初ゴールを含む2ゴールを決めた。 この項目は、サッカー選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:サッカー/PJサッカー選手/PJ女子サッカー)。
川﨑 颯太(かわさき そうた、2001年7月30日 - )は… 川﨑 颯太(かわさき そうた、2001年7月30日 - )は、山梨県甲府市出身のプロサッカー選手。ブンデスリーガ・1.FSVマインツ05所属。元日本代表。立命館大学産業社会学部卒業。 ポジションはミッドフィールダーで主に守備的MFやセントラルMFとしてプレーする。 小学校4年生の時、ヴァンフォーレ甲府のアカデミーに入団。U-12時代には山梨県代表として出場した。中学校まで過ごしたヴァンフォーレ甲府を離れ、高校からは京都サンガF.C.U-18へ加入。京都U-18では主将を務め、2019年8月にはトップチームに2種登録された。 2020年より、山田楓喜と共にユースからトップチームに昇格した。2年目に入ると曺貴裁が監督に就任し、アンカーとして開幕戦からレギュラーに定着した。
長沼 洋一(ながぬま よういち、1997年4月14日 - )… 長沼 洋一(ながぬま よういち、1997年4月14日 - )は、甲府市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・浦和レッズ所属。やまなし大使。ポジションはミッドフィールダー、フォワード、ディフェンダー。 2016年、下部組織を経てサンフレッチェ広島へ入団。 2017年4月26日、ルヴァンカップGS第3節のヴィッセル神戸戦でプロ初得点を決めた。 同年8月18日、モンテディオ山形へ育成型期限付きで移籍することが発表された。 2018年よりFC岐阜へ期限付き移籍で加入。 2019年、愛媛FCへ期限付き移籍。レギュラーの1人としてチームに定着し活躍した。 2021シーズンから広島へ復帰。 2022年7月25日、サガン鳥栖への完全移籍が発表された。
小林 岩魚(こばやし いわな、1996年10月17日 - )… 小林 岩魚(こばやし いわな、1996年10月17日 - )は、山梨県甲府市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・ヴァンフォーレ甲府所属。ポジションはミッドフィールダー。 ヴァンフォーレ甲府のアカデミー出身。高校卒業後は専修大学に進学し同校のサッカー部でプレー(同期に中山克広)。2018年6月、2019年シーズンよりヴァンフォーレ甲府に加入することが発表された。 「岩魚」という名前は、釣り好きの父が「どんな環境でも生きていく強い魚」であるイワナにちなんで命名した(なお岩魚当人は釣り好きでは無い)。
太田 修介(おおた しゅうすけ、1996年2月23日 - )… 太田 修介(おおた しゅうすけ、1996年2月23日 - )は、山梨県甲府市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・湘南ベルマーレ所属。ポジションはフォワード(FW)、ミッドフィールダー(MF)。 中学校から6年間、ヴァンフォーレ甲府の下部組織に所属(同期に若杉好輝)。高校卒業時のトップチーム昇格は叶わず、日本体育大学へ進学した。 2018年より、ヴァンフォーレ甲府へ加入。下部組織出身選手が大学を経由し、トップチーム入りした例はクラブ史上初となった。 2020年12月28日、FC町田ゼルビアへの完全移籍が発表された。 2023年、アルビレックス新潟へ完全移籍。J1リーグで開幕から5試合で4ゴールを決めるも、右膝靭帯などを痛めて秋までに戦線離脱を3度も繰り返す苦しいシーズンとなった。
寄特 直人(きどく なおと、1994年5月12日 - )は、… 寄特 直人(きどく なおと、1994年5月12日 - )は、山梨県甲府市出身のサッカー選手。SC相模原所属。ポジションは、ディフェンダー。
堀米 勇輝(ほりごめ ゆうき、1992年12月13日 - )… 堀米 勇輝(ほりごめ ゆうき、1992年12月13日 - )は、山梨県甲府市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・北海道コンサドーレ札幌所属。ポジションはミッドフィールダー(MF)。 2007年にU-15日本代表に初選出されて以降、プラチナ世代と呼ばれる激戦区において常に世代別代表に選出。2009 FIFA U-17ワールドカップでは全試合で先発出場している。 中学生のときからヴァンフォーレ甲府のアカデミーで育ち、U-18在籍中の2010年4月に2種登録選手としてトップチームに登録され、同年8月にプロC契約を結んだ。 2011年の開幕戦で途中出場しJリーグデビュー。この年は途中出場で3試合に出場するも、チームはJ2に降格した。
桐畑 和繁(きりはた かずしげ、1987年6月30日 - )… 桐畑 和繁(きりはた かずしげ、1987年6月30日 - )は、山梨県甲府市出身のサッカー指導者、元プロサッカー選手。現役時代のポジションはゴールキーパー。 柏レイソルの下部組織出身。2006年にトップチームに昇格した。 2007年、権田修一の負傷により、繰り上げでU-20ワールドカップに臨むU-20日本代表に選出された。 2010年7月25日、J2第19節ジェフユナイテッド市原・千葉戦で菅野孝憲の退場により、Jリーグ初出場を記録した。 チームがJ1に復帰してからも菅野の控えだったが、2011年6月25日のヴァンフォーレ甲府戦で菅野の負傷によりJ1デビューを飾った。この年は菅野不在時にゴールを守ったが、安定した守りでその穴を感じさせず昇格1年目でのJ1初優勝に貢献した。
鶴見 智美(つるみ ともよし、1979年10月12日 - )… 鶴見 智美(つるみ ともよし、1979年10月12日 - )は、山梨県甲府市出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 スピードはないが、人に対する強さと正確なフィードがあり、本職はボランチだが守備的なポジションならどこでもこなしていた。 1999年のユニバーシアード代表、U-20日本代表に選ばれる。筑波大学の時には日本代表との練習試合で三浦知良を抑え注目を集める。 プロデビューした2002年には甲府の主力として8得点を挙げる活躍をする。2003年には大木武監督に連れられる形で清水エスパルスへ期限付き移籍し、コンスタントに出場機会を得るなどして翌2004年には完全移籍する。
宮沢 正史(みやざわ まさし、1978年4月24日 - )は… 宮沢 正史(みやざわ まさし、1978年4月24日 - )は、山梨県出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー(主にボランチ)。現中央大学学友会サッカー部監督。 小学3年生(8歳)時にサッカーを始める。帝京第三高等学校を経て、1997年に中央大学に進学。同大学のサッカー部に所属し、関東大学リーグのベストイレブンに3年連続で選出されるなど活躍した。3年時には1999年夏季ユニバーシアードに出場。 2001年にFC東京に入団。加入当初は2列目の選手としてプレーしており、フィジカル面での課題があったことなどからトップでの出場機会が少なかったが、翌2002年に原博実が監督に就任すると「(キックの)フォームが誰よりも綺麗」と ボランチのレギュラーに抜擢され、同年のJリーグ優秀新人賞を受賞するなど活躍。
土橋 宏由樹(どばし ひろゆき、1977年11月27日 - … 土橋 宏由樹(どばし ひろゆき、1977年11月27日 - )は、山梨県甲府市出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィルダー。 ヴァンフォーレ甲府に在籍していた土橋功は実兄。 高校卒業後、ドイツ留学を経て1998年にヴァンフォーレ甲府へ入団。守備的MFとしてレギュラーを獲得していたが負傷を頻発させ、年単位での出場試合数にばらつきがあった。同じ地元・山梨出身の仲田建二とともに経営危機問題に直面していた甲府を支え続けていたが、世代交代や怪我の影響により2005年は出場機会がなく、チームのJ1昇格が決まる直前に戦力外通告を受けた。なおフランチェスコ・トッティにならった「ドッティ」というニックネームはこの当時の同僚だった小倉隆史の命名。
中田 英寿(なかた ひでとし、1977年1月22日 - )は… 中田 英寿(なかた ひでとし、1977年1月22日 - )は、山梨県甲府市出身の元プロサッカー選手、実業家。現役時代のポジションはミッドフィールダー。元日本代表。国際サッカー評議会(IFAB)諮問委員・一般財団法人「TAKE ACTION FOUNDATION」代表理事・観光庁「アドバイザリー・ボード」メンバー・株式会社JAPAN CRAFT SAKE COMPANY代表取締役。 日本代表のFIFAワールドカップ(以下W杯)3大会連続出場に貢献。FIFA100選。アジア年間最優秀選手賞2回。イタリア政府よりイタリア共和国功労勲章(カヴァリエーレ)受章。U-17世界選手権(現在のU-17W杯)、ワールドユース(現在のU-20W杯) 、U-23オリンピック 、コンフェデレーションズカップ 、W杯 、以上のナショナルチーム主要世界大会すべてでゴールをあげた唯一の日本人選手。
堀井 岳也(ほりい がくや、1975年7月3日 - )は、山… 堀井 岳也(ほりい がくや、1975年7月3日 - )は、山梨県甲府市出身の元プロサッカー選手。ポジションはFW。 1984年に貢川サッカースポーツ少年団に入団。昭和町立押原中学校を経て山梨県立韮崎高等学校に入学してサッカー部に入部。在学中、1991年、1993年の2回全国高等学校サッカー選手権大会に出場した。中田英寿は1年後輩。卒業後は青山学院大学に入学し、サッカー部でプレーした。 大学卒業後地元山梨県に戻り、当時旧JFL所属だったヴァンフォーレ甲府に入団。翌年甲府は新設されたJリーグ2部に参入した。堀井は2年間で49試合に出場して合計8得点を挙げた。 2000年にモンテディオ山形に移籍。2001年9月、コンサドーレ札幌にレンタル移籍で加入した。
大柴 健二(おおしば けんじ、1973年11月19日 - )… 大柴 健二(おおしば けんじ、1973年11月19日 - )は、山梨県甲府市出身で浦和レッドダイヤモンズ等に所属した元プロサッカー選手。ポジションはフォワード。 1996年に国士舘大学から浦和レッドダイヤモンズに加入。俊足のフォワードで相手DFの裏へ抜け出してボールを受けると、そのまま一気にドリブルで駆け上がりゴールへ流し込むスタイル。浦和時代には、さらさらのロングヘアだったことから、同僚の岡野雅行との2トップの時には「野人コンビ」と呼ばれ、活躍した。1997年のオフに結婚。1998年には豊富な運動量を武器に、14得点でチームの得点王になった。 2001年セレッソ大阪に移籍したが古巣の浦和に非常に強く、2度の対戦で計3得点を挙げた。
篠田 善之(しのだ よしゆき、1971年6月18日 - )は… 篠田 善之(しのだ よしゆき、1971年6月18日 - )は、山梨県甲府市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)。現役時代のポジションはミッドフィールダー(主にボランチ)。 山梨県立機山工業高等学校を卒業後、1年間のみ地元の甲府サッカークラブ(現 ヴァンフォーレ甲府)でプレーし、中京大学に進学。大学卒業後の1995年、当時ジャパンフットボールリーグに所属していた福岡ブルックス(現 アビスパ福岡)に練習生として入団。以後、プロとしてのキャリア全てを福岡で過ごす。 Jリーグ初得点は1999年の浦和戦、記憶に残るロングシュートであった(J1長距離ゴール史上4位)。ブルックス時代からの生え抜きボランチで福岡に最も長く在籍し、1999年と2003年には主将を務めた。
羽中田 昌(はちゅうだ まさし、1964年7月19日 - )… 羽中田 昌(はちゅうだ まさし、1964年7月19日 - )は、山梨県甲府市出身の元サッカー選手、サッカー指導者、解説者およびスポーツエッセイスト。JFA 公認S級コーチ(2006年取得)。 甲府市丸の内で家具商を営む羽中田家の次男として生まれる。6歳上の兄の影響で小さいころからサッカーに親しみ、甲府市立春日小学校(現:甲府市立舞鶴小学校)3年時にサッカー少年団が設立されるとこれに入部してサッカーに熱中するようになった。少年時代から切れ味鋭いドリブル突破が持ち味のフォワードとしてプレーし、小学校5年生の時に湯田少年団の一員として全国サッカー少年団大会(全日本少年サッカー大会の前身)に出場。翌年には春日少年団の一員として同大会に出場し、2年連続で優秀選手に選ばれ全国的に名前が知れ渡るようになった。
塚田 雄二(つかだ ゆうじ、1957年12月28日 - )は… 塚田 雄二(つかだ ゆうじ、1957年12月28日 - )は、山梨県甲府市出身 の元サッカー選手、サッカー指導者。Uスポーツクラブ代表。 中学1年の途中からサッカーを始める。山梨県立韮崎高等学校時代にはインターハイに優勝し、体育教師を目指して日本体育大学に進学。卒業後は山梨に戻り高校の教員としてサッカー部を指導していたが、その後、高校を辞めて幼稚園で体育の指導および園児たちを対象としたサッカー教室を始める。またそれらと並行して日本サッカーリーグ2部(JSL2部)に在籍していた甲府サッカークラブ(現 ヴァンフォーレ甲府)で選手として1980年より9年間活動した。 ドイツのケルンで見た地域に根ざしたスポーツクラブのあり方に感化され、1989年に「Uスポーツクラブ」を設立する。
数野 篤人(かずの あつひと、1954年 - )は、山梨県甲… 数野 篤人(かずの あつひと、1954年 - )は、山梨県甲府市出身の元サッカー選手。山梨県立機山高等学校、日本体育大学卒業。 山梨県立機山工業高等学校を経て、1973年に日本体育大学に進学。日体大時代は2年次からレギュラーとなり、1974年度の春季対抗戦(関東大学サッカーリーグ戦一部)優勝、1975年度の全日本大学選手権大会優勝に貢献した。卒業後は郷里の山梨県で教師を務める傍ら日本サッカーリーグ(JSL)2部の甲府サッカークラブ(日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)加盟のヴァンフォーレ甲府の前身)に在籍。1978年シーズンにJSL2部で12得点を挙げ得点王に輝き、リーグ戦3位の原動力となった。 教職としては山梨県北杜市立小淵沢中学校校長、甲府市立甲運小学校校長、甲府市立上条中学校校長などを歴任後2014年3月に退職[要出典]。
塩澤 敏彦(しおざわ としひこ、1947年3月8日)は、山梨… 塩澤 敏彦(しおざわ としひこ、1947年3月8日)は、山梨県甲府市出身の元サッカー選手(DF)・サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)、サッカー解説者。 強豪校・城北高校でサッカーを始める。テクニックに難のある塩澤にはポジション獲得は至難の業であったが、俊足と身体能力を買われて左FBのポジションを獲得し、以来現役生活を通じてDFとしてプレー。 明治大学卒業後の1970年にJSLの名古屋相互銀行へ入部するが、名相銀のメンバーは昼は窓口業務や営業をこなす普通の銀行マンで、練習時間は少なく毎年のように入替戦を戦っていた。2年目の1971年にはリーグ最下位となり、12月30日の入替戦で藤和不動産に敗れた結果、会社が休部を発表した。
保坂 司(ほさか つかさ、1937年3月3日 - 2018年… 保坂 司(ほさか つかさ、1937年3月3日 - 2018年1月21日)は、山梨県甲府市出身の元サッカー選手、サッカー指導者、政治家。 積翠寺温泉(甲府市)の旅館「古湯坊 坐忘庵」の保坂家の22代目であり、サッカーは山梨県立甲府第一高校の3年次より始めた。当初はウィングであったが、その後にGKにポジションを変更し、同年の第9回国民体育大会では準優勝を経験した。進学した明治大学でもサッカー部に所属、1年次よりスタメンに定着した。 大学卒業後は古河電工サッカー部に入部。古河では実業団初となる天皇杯獲得に貢献した。 1960年11月6日の韓国代表戦で日本代表として初出場。1964年の東京五輪でもレギュラーと目されていたが、大会直前の遠征で手を骨折してしまい、横山謙三にポジションを譲る事になった。