石田 正人(いしだ まさと、1933年3月21日 - )は… 石田 正人(いしだ まさと、1933年3月21日 - )は、日本の政治家。元長野県飯山市長(1期)。旭日双光章。 現在の飯山市出身。下高井農林学校(現長野県下高井農林高等学校)卒業。昭和39年(1969年)から飯山市常盤農協に勤務しコシヒカリの品種「幻の米」のブランド育成と販路開拓に貢献し、北信州みゆき農協組合長を務めた。平成18年(2006年)飯山市長選挙に当選し、1期務めた。同年黄綬褒章受章。2013年秋の叙勲で旭日双光章を受章。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
小野沢 静夫(おのざわ しずお、1921年(大正10年)10… 小野沢 静夫(おのざわ しずお、1921年(大正10年)10月10日 - 1999年(平成11年)5月6日)は、昭和から平成初期の政治家。長野県飯山市長。位階は従五位。 長野県下高井郡下木島村(現飯山市)で、小野沢広輔、ちよ の長男として生まれた。1939年(昭和14年)旧制飯山中学(現長野県飯山高等学校)卒業。戦後、木島連合青年団長から自民党長野県連青年部副部長として青年団運動に活躍し、飯山南高や飯山北高のPTA副会長、木島消防団長、飯山市農業委員会委員等を経て、1962年(昭和37年)12月、飯山市議会議員となり、同議長を務めた。 1978年(昭和53年)9月、飯山市長選挙に当選し、1890年(平成2年)9月まで3期務めた。
荻原 克巳(おぎわら かつみ、1911年(明治44年)5月2… 荻原 克巳(おぎわら かつみ、1911年(明治44年)5月20日 - 2008年(平成20年)1月31日)は、日本の政治家。長野県飯山市長。 長野県下水内郡飯山町(現飯山市)で、荻原善蔵、こま の長男して生まれた。1928年(昭和3年)旧制飯山中学(現長野県飯山高等学校)卒業1947年(昭和22年)4月、同郡柳原村長となり1期在任。1951年(昭和26年)4月、長野県議会議員となり、1955年(昭和30年)には副議長を務めた。 1958年(昭和33年)飯山市長選挙に当選し1期務めた。在任中は豪雪対策、小中学校の統廃合、スキー場観光の振興などに尽力した。その他、旭町農業協同組合長、長野県信連や共済連の各理事長、長野県植物防疫協会会長を務めた。
春日 佳一(かすが かいち、1903年(明治36年)6月24… 春日 佳一(かすが かいち、1903年(明治36年)6月24日 - 1981年(昭和56年)11月13日)は、昭和期戦後の政治家。長野県飯山市長。位階は従五位。勲四等旭日小綬章。 長野県下水内郡外様村(現飯山市)で、春日寿平、とも の四男として生まれた。1921年(大正10年)3月、旧制飯山中学(現長野県飯山高等学校)卒業。同年、外様村小学校教諭を勤め、1931年(昭和6年)に退職。 1947年(昭和22年)4月、外様村長に就任し1期在任。1954年(昭和29年)12月には合併後の飯山市議会議員となり、1956年(昭和31年)に議長となる。1961年(昭和36)飯山市教育委員に就任し翌年まで在任した。
三ッ井 卯三男(みつい うさお、1903年(明治36年)3月… 三ッ井 卯三男(みつい うさお、1903年(明治36年)3月8日 - 1977年(昭和52年)8月14日)は、日本の政治家。第16代鹿児島市長。位階は正四位。 長野県飯山市出身。東京高等商業学校(現・一橋大学)選科修了、九州帝国大学法文学部卒業。卒業後は長野、山形、福岡の各県の中学教師となる。1938年福岡県庁に入り、社会教育、振興、厚生の各課長を経て、1943年海軍司政官になる。帰国後の1947年福岡県秘書課長から鹿児島県庁に転じ、教育、総務の各部長、副知事を歴任する。 1959年の鹿児島市長選に保守系から立候補したが、元串木野市長で革新系の平瀬實武に敗れて落選した。4年後の1963年の市長選に現職の平瀬に挑戦する形で再び立候補し、前回と同じ保革対決となり、選挙の結果、現職の平瀬を破り当選した。
篠井 恵四郎(しのい えしろう、1902年(明治35年)2月… 篠井 恵四郎(しのい えしろう、1902年(明治35年)2月21日 - 1965年(昭和40年))は、日本の政治家。長野県飯山市長。 長野県下水内郡飯山町(現飯山市)生まれ。1919年(大正8年)3月、旧制飯山中学(現長野県飯山高等学校)卒業。飯山町議会議員、同町消防団長、同町助役を経て、1953年(昭和28年)9月、飯山町長に当選し、昭和の大合併では1町6村の新設合併を実現した。 1954年(昭和29年)飯山市制施行に伴い初代市長となり、1958年(昭和33年)9月まで1期務めた。在任中は市庁舎の竣工や照岡ダムの建設、市内有線放送の整備などに力を入れた。
3代 小林 万次郎(こばやし まんじろう、1863年12月1… 3代 小林 万次郎(こばやし まんじろう、1863年12月15日(文久3年11月5日)- 1919年(大正8年)9月27日)は、日本の地主、実業家、政治家。衆議院議員、長野県下高井郡中野町長。旧名・清水直。 信濃国水内郡温井村(長野県下水内郡岡山村を経て現飯山市)の清水家で生まれ、高井郡松川村(下高井郡中野町松川を経て現中野市)の素封家・2代小林万次郎の養子となる。3代小林万次郎を襲名した。生糸商を営んだ。 1901年(明治34年)中野町長に就任。1903年(明治36年)長野県会議員に選出され1期在任した。1904年(明治37年)3月、第9回衆議院議員総選挙で長野県郡部から選出された石塚重平の死去に伴い、1907年(明治40年)9月に行われた補欠選挙で当選し、立憲政友会所属で衆議院議員を1期務めた。
島津 忠貞(しまづ たださだ、1845年2月17日〈弘化2年… 島津 忠貞(しまづ たださだ、1845年2月17日〈弘化2年1月11日〉 - 1907年〈明治40年〉6月27日)は、日本の政治家。衆議院議員。 信濃国水内郡飯山城下に飯山藩士の子として生まれる。信濃島津氏の流れを汲む。幼名は謹二。明治維新後、戸長となる。第6大学区第15中学区第4小区の取締役、長野師範学校監事を歴任し、第二十四国立銀行の取締役となる。 自由民権運動に参加し、1879年(明治12年)下水内郡選出の長野県会議員に当選した。県会常置委員に推挙された。1882年(明治15年)北信自由党を結成。自由党系地方政党としては全国有数規模であった。 1885年(明治18年)長野県産牛馬組合創立に際して本部会議長となり、翌1886年(明治19年)長野県蚕糸業組合委員会の議長となり、蚕糸業中央部会議を東京に開くにあたり、総代として上京し、副議長に推挙される。