山下 清司(やました きよし、1957年11月13日 - )… 山下 清司(やました きよし、1957年11月13日 - )は、日本の政治家。岐阜県関市長(1期)、長良川鉄道株式会社代表取締役社長。 岐阜県関市生まれ。岐阜県立武義高等学校、東京農業大学農学部卒業後、1980年に関市役所に入庁。商工課長や市長公室長などを経て、2019年11月から2023年8月まで副市長を務めた。 2023年9月10日投開票の、関市長選挙に立候補。12年ぶりの選挙戦(前回、前々回は無投票)となり、市長選では引退を表明した尾関健治市長の政策継承を掲げ、各種団体などから幅広い支持を得た山下が、経営コンサルトの三輪知生との一騎打ちを大差で制し初当選した。 当日有権者数は7万115人(男性3万4062人、女性3万6053人)。
尾藤 義昭(びとう よしあき、1946年〈昭和21年〉2月1… 尾藤 義昭(びとう よしあき、1946年〈昭和21年〉2月14日 - )は、日本の政治家。元関市長。岐阜県議会議員(自由民主党)。 2007年(平成19年)、関市長選で当選。2011年(平成23年)に落選するまで1期4年を務めた。 関市生まれ。岐阜県立関高等学校卒業。中京大学商学部卒業。1970年(昭和45年)、松野幸泰の秘書となった。1982年(昭和57年)、関市議会議員に当選して2期務める。1991年(平成3年)の岐阜県議会議員選挙に関市選挙区から自民党公認で立候補して、初当選を果たした。2006年(平成18年)5月9日から2007年(平成19年)5月8日まで、第114代岐阜県議会副議長を務めた。
早川 六三郎(はやかわ ろくさぶろう、1870年11月3日(… 早川 六三郎(はやかわ ろくさぶろう、1870年11月3日(明治3年10月10日) - 1946年(昭和21年)4月21日)は、明治から昭和時代戦前の政治家。実業家。衆議院議員。 早川勇治郎の長男として、岐阜県武儀郡八幡村(南武芸村、武芸村、武芸川町を経て現関市)に生まれる。1893年(明治26年)12月、家督を相続する。 農業を営み、南武芸村会議員、学務委員、武儀郡会議員、同参事会員を歴任した。また財界では、美濃銀行、美濃電気軌道各取締役、八幡産業会社重役、上有知銀行監査役を務めた。 1912年(明治45年)5月の第11回衆議院議員総選挙では岐阜県郡部から出馬し当選。衆議院議員を1期務めた。
武藤 嘉門(むとう かもん、旧姓・辻、1870年10月27日… 武藤 嘉門(むとう かもん、旧姓・辻、1870年10月27日(明治3年10月3日) - 1963年(昭和38年)8月11日)は日本の政治家・実業家。岐阜県知事・衆議院議員、岐阜県名誉県民。岐阜商工会議所会頭。 元衆議院議員の武藤嘉一は長男。衆議院議員を務め外務大臣、総務庁長官などを歴任した武藤嘉文は孫にあたる。曾孫は衆議院議員の武藤容治。 岐阜県山県郡千疋村(現:関市千疋)出身。辻丈助の二男。岐阜県岐阜尋常中学校(現:岐阜県立岐阜高等学校)を経て、東京法学院(現:中央大学)を中退。 その後、稲葉郡会・岐阜県会の議員をつとめる一方、家業の酒造業(『菊川』)を経営するほか、食糧営団・電力会社・地方鉄道・地方新聞(岐阜日日新聞、岐阜合同新聞)の会社などを経営して経済界の発展のために数数の業績を残した。
花村 覚三郎(はなむら かくさぶろう、1867年5月29日(… 花村 覚三郎(はなむら かくさぶろう、1867年5月29日(慶応3年4月26日) - 1952年(昭和27年)4月8日)は、明治から昭和時代の政治家。衆議院議員。 美濃国武儀郡、のちの岐阜県武儀郡東武芸村(武芸村、武芸川町を経て現関市)出身。普通学を修める。 農業を営み(注:戦後の「農業」ではなく、豪農・大地主による農地・山林経営である。特筆すべきは、その所有する山林の広大さであった)、岐阜県会議員、相続税審査委員、所得税調査委員を歴任した。 1908年(明治41年)5月の(満25歳以上で直接国税10円以上を納める男子のみが選挙権を有した)第10回衆議院議員総選挙では岐阜県郡部から出馬し当選。衆議院議員を1期務めた。
河村 喜助(かわむら きすけ、1853年10月30日(嘉永6… 河村 喜助(かわむら きすけ、1853年10月30日(嘉永6年9月28日) - 1937年(昭和12年)10月14日)は、明治から昭和時代戦前の政治家。衆議院議員。 美濃国武儀郡、のちの岐阜県武儀郡関町(現関市)に生まれる。和漢学を修める。 関町会議員、岐阜県会議員、同常置委員、地方衛生会委員、郡所得税調査委員、武儀郡会議員、同副議長、郡茶業組合組長、郡蚕糸業組合組長、県茶業組合連合会議長を歴任した。 1903年(明治36年)3月の第8回衆議院議員総選挙では岐阜県郡部から出馬し当選。衆議院議員を1期務めた。
吉田 常三郎(よしだ つねさぶろう、1843年(天保14年1… 吉田 常三郎(よしだ つねさぶろう、1843年(天保14年1月) - 1918年(大正7年)5月23日)は、明治から大正時代の政治家。銀行家。衆議院議員。岐阜県武儀郡吉田村長。 美濃国武儀郡吉田村(岐阜県武儀郡関町を経て現関市)出身。漢学を修める。 戸長、地租改正地価監定役、岐阜県会議員、武儀郡学務委員、郡書記、郡徴兵参事員、吉田村長、所得税調査委員、吉田村会議員となる。ほか、吉田倉庫銀行頭取、上有知銀行取締役を歴任した。 1894年(明治27年)9月の第4回衆議院議員総選挙では岐阜県第5区から出馬し当選。衆議院議員を1期務めた。