三須 和泰(みす かずやす、1957年2月28日 - )は、… 三須 和泰(みす かずやす、1957年2月28日 - )は、日本の実業家。カンロ代表取締役社長、全日本菓子工業協同組合連合会副理事長等を経て、2024年よりひらまつ代表取締役社長。2022年から日本ホッケー協会会長を務める。 静岡県沼津市出身。静岡県立沼津東高等学校在学中にホッケー部に所属し、一橋大学でも体育会ホッケー部主将を務めた。蓼沼宏一元一橋大学学長は部の後輩である。 1979年一橋大学商学部を卒業後、三菱商事株式会社に入社。2011年に執行役員に就任。 在籍中は、コカ・コーラ セントラル ジャパン取締役、菱食取締役、明治屋商事取締役、FSN取締役、米久取締役などを兼務。 2016年、カンロ株式会社代表取締役社長に就任。
飯村 幸生(いいむら ゆきお、1956年6月17日 - )は… 飯村 幸生(いいむら ゆきお、1956年6月17日 - )は、日本の技術者、実業家。東芝機械代表取締役社長を経て、同社代表取締役会長最高経営責任者、日本工作機械工業会会長。 静岡県沼津市生まれ。1980年同志社大学工学部機械工学科卒業、東芝機械入社。2000年射出成形機技術部長。2004年微細転写事業部長。2006年取締役。2008年取締役技術統括部長。2009年から代表取締役社長を務め、東芝グループからの離脱を行うなどした。2017年代表取締役会長最高経営責任者、日本工作機械工業会会長。2021年日本工作機械工業会相談役。日本産業機械工業会常任幹事なども務めた。
小原 芳春(おばら よしはる、1936年3月21日 - )は… 小原 芳春(おばら よしはる、1936年3月21日 - )は、日本の実業家。株式会社デニーズジャパン第3代代表取締役社長を務めた。 静岡県沼津市出身。小樽商科大学卒業後、1960年東レ入社。1971年イトーヨーカ堂入社。1993年からデニーズジャパン代表取締役社長を務め、業務改革を進め、サービス水準の向上にあたった。1998年沼津市ぬまづ大使。2001年緑丘会理事長。2002年デニーズジャパン相談役。2003年ヤギ監査役。
大賀 典雄(おおが のりお、1930年1月29日 - 201… 大賀 典雄(おおが のりお、1930年1月29日 - 2011年4月23日)は、日本の実業家、声楽家(バリトン歌手)。位階は従三位。勲等は勲一等。 実業家として、CBS・ソニーレコード株式会社社長(初代)、ソニー商事株式会社社長、東京商工会議所副会頭、ソニー株式会社社長・最高経営責任者(初代)・会長、社団法人経済団体連合会副会長などを歴任した。財団法人東京フィルハーモニー交響楽団会長・理事長、東京文化会館館長を務めた。 東京芸術大学音楽学部声楽科を卒業し、西ドイツに留学してベルリン国立芸術大学音楽学部を卒業した声楽家でもあった。30代半ばだった1964年の時点では、バリトン歌手として活発に活動しており、実業家(ソニー商事株式会社取締役広報部長)と二足の草鞋を履いていた。
阿部 英雄(あべ ひでお、1922年7月20日 - 2007… 阿部 英雄(あべ ひでお、1922年7月20日 - 2007年7月10日)は富士経済グループ代表取締役(会長)であった財界人。 静岡県沼津市出身で、千本松原に程近い場所に生家がある。地元で静岡県立沼津商業高等学校(卒業の後に同校は駿東郡清水町に移転)卒業まで過ごした。 地元で腕白な子供の一人として育ち、小学生時代には学校の道すがら空腹から学友の家の乾物屋(綾市商店)が露天に干していた乾物をくすねてかじったこともあったという。 明治大学文学部史学科で東洋史学を専攻。卒業論文の題は「”世説新語”とその思想―特に老荘思想について―」であった。同大卒業後、1962年にマーケティング調査会社富士経済を設立。
岡野 喜一郎(おかの きいちろう、1917年2月19日 - … 岡野 喜一郎(おかの きいちろう、1917年2月19日 - 1995年8月13日)は、日本の経営者、銀行家。駿河銀行頭取、会長を務めた。静岡県沼津市出身。 1941年に慶應義塾大学法学部を卒業。三井銀行での勤務を経て、1949年に駿河銀行に転じ、1954年11月に取締役に就任し、1958年に常務、1963年に専務を経て、1964年8月には頭取に就任した。1981年3月に会長に就任。 1995年8月13日心不全のために死去。78歳没。
松城 兵作(まつしろ ひょうさく、1874年(明治7年)4月… 松城 兵作(まつしろ ひょうさく、1874年(明治7年)4月26日 - 1942年(昭和17年)2月8日)は、明治から昭和時代前期の政治家、実業家。衆議院議員(1期)。 静岡県田方郡戸田村(現沼津市)出身。先代松城兵作の長男として生まれ、1892年(明治25年)1月、家督を相続する。 農業を営む傍ら、静岡県会議員、地方森林会議員、静岡県山林会常議員、同水産会、同漁業連合会各顧問を歴任した。財界では、松崎水力電気取締役、沼津回漕店取締役社長を務めた。1912年(明治45年)5月の第11回衆議院議員総選挙では静岡県郡部から立憲政友会所属で出馬し当選。衆議院議員を1期務めた。
伊達 文三(だて ぶんぞう、1844年3月26日(弘化元年2… 伊達 文三(だて ぶんぞう、1844年3月26日(弘化元年2月8日) - 1901年(明治34年)10月25日)は、明治時代の政治家、実業家。衆議院議員(2期)。旧姓・羽田。 羽田家の三男として伊豆国君沢郡三津村(静岡県君沢郡内浦村、田方郡内浦村を経て現沼津市)に生まれ、20歳の時に富士郡神谷村(須津村、吉原市を経て現富士市)の伊達松翁の養子となる。土木請負業を営む傍ら静岡県会議員を務め、1881年(明治14年)岳南自由党に参加した。沼川石水門の工事に私財を投じ、伊達組を興して山陽本線の工事を請け負うなど公共のために尽くした。 1898年(明治31年)3月の第5回衆議院議員総選挙では静岡県第2区から出馬し当選。