草地 博昭(くさち ひろあき、1981年(昭和56年)5月1… 草地 博昭(くさち ひろあき、1981年(昭和56年)5月1日 - )は、日本の政治家。静岡県磐田市長(2期)。元磐田市議会議員(2期)。 静岡県磐田市出身。磐田市立磐田南小学校、磐田市立南部中学校卒業。 2002年3月、豊田工業高等専門学校環境都市工学科卒業。同年4月、東海旅客鉄道に入社。建設工事部にて新幹線品川駅の新設工事に携わる。2005年6月、同社を退社。同年10月、NPO法人磐田市体育協会にアルバイト職員として入会。2006年4月、正職員として採用される。 2013年、磐田市議会議員選挙に無所属で立候補し、得票1位で初当選した。2017年、同選挙にて得票1位で再選。 2020年12月18日、市議会議員を辞職。
塚本 俊雄(つかもと としお、1912年(明治45年)3月2… 塚本 俊雄(つかもと としお、1912年(明治45年)3月29日 - 1990年(平成2年)9月1日)は、昭和から平成初期の地方公務員、政治家。東京都目黒区長(4期)。 静岡県磐田市生まれ。目黒区総務課長、1965年総務部長、監査委員、1970年助役を経て、1975年区長。 1990年9月1日、急性心不全のため任期中に死去。78歳没。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
津倉 亀作(つくら かめさく、1879年(明治12年)9月1… 津倉 亀作(つくら かめさく、1879年(明治12年)9月1日 - 1947年(昭和22年)2月27日)は、昭和時代の政治家。実業家。立憲民政党所属の衆議院議員。 静岡県磐田郡掛塚町長。大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍主計中尉。 静岡県長上郡、のちの磐田郡掛塚町(竜洋町を経て現磐田市)出身。津倉勘六の弟として生まれ先代の津倉録平の養子となり1891年(明治24年)家督を相続する。日露戦争に従軍し、陸軍主計中尉に進む。 掛塚町会議員、磐田郡会議員、浜松市会議員、静岡県会議員、掛塚町長、所得税調査委員などを歴任。また材木商を営み、浜松商工会議所副会頭、浜松倉庫、浜松合同運送各取締役社長、遠州銀行、帝国製帽、浜松貯蓄銀行各監査役を務めた。
中村 四郎兵衛(なかむら しろうべえ、1866年6月11日(… 中村 四郎兵衛(なかむら しろうべえ、1866年6月11日(慶応2年4月28日) - 1930年(昭和5年)5月15日)は、明治から昭和時代初期の政治家。衆議院議員(1期)。 遠江国豊田郡、のちの静岡県豊田郡井通村(磐田郡井通村、豊田村、豊田町を経て現磐田市)に生まれる。浜松町会議員、同評議員、浜松市会議員、同参事会員、静岡県会議員、同議長を歴任したほか、浜松商業会議所議員、浜松瓦斯常務取締役、静岡県消防組連合会常議員を務めた。 1924年(大正13年)5月の第15回衆議院議員総選挙では静岡県第2区から政友本党所属で出馬し当選。衆議院議員を1期務めた。
大橋 頼摸(おおはし らいも、1861年3月19日(万延2年… 大橋 頼摸(おおはし らいも、1861年3月19日(万延2年2月9日) - 1912年(大正元年)11月5日)は、明治時代の政治家。実業家。新聞経営者。衆議院議員。静岡県磐田郡井通村長。 遠江国豊田郡小立野村(静岡県豊田郡井通村、磐田郡井通村、豊田村、豊田町を経て現磐田市)に生まれる。浜松師範を卒業し、西之島学校(現磐田市立豊田南小学校)教員となる。ついで郡書記を経て25歳にして川井村外11宿村戸長に就任し、1888年(明治21年)には静岡県会議員に当選した。15年に渡り県議を務め、さらに県常置委員、県参事会員、井通村長、中遠農会長、磐田郡米穀改良組合長、静岡県農会長などを歴任した。 その後、静岡新報を立ち上げ社長として経営に当たったほか、静岡印刷の社長も務めた。
川島 瀧蔵(かわしま たきぞう、1858年9月17日(安政5… 川島 瀧蔵(かわしま たきぞう、1858年9月17日(安政5年8月11日) - 1930年(昭和5年)3月26日)は、明治から昭和時代初期の政治家、畜産家。衆議院議員(1期)。 遠江国、のちの静岡県山名郡於保村(磐田郡於保村を経て現磐田市)出身。畜産業を営み、興農社、畜産組合、共同競馬会などを創立したほか、獣医養成所、水産物製造伝習所を設立した。ほか、副戸長、村長、静岡県会議員、同参事会員、磐田郡会議員、地方森林会議員を歴任した。1904年(明治37年)3月の第9回衆議院議員総選挙では静岡県郡部から憲政本党所属で出馬し当選。衆議院議員を1期務めた。
村上 太三郎(むらかみ たさぶろう、1857年11月4日〈安… 村上 太三郎(むらかみ たさぶろう、1857年11月4日〈安政4年9月18日〉 - 1915年〈大正4年〉4月25日)は、明治から大正時代前期の政治家、実業家。衆議院議員(1期)。 遠江国長上郡川袋村(掛塚村、磐田郡掛塚村、掛塚町、竜洋町を経て現磐田市)に生まれる。7歳の時に父と死別し、12歳の時に母の勧めで商人を志し横浜に出て回米問屋を開業する。1892年(明治25年)東海屋鉄工場の設立および経営に関与し、以後、日本精製糖、日本石油精製、日本製粉、小樽木材など数々の会社を立ち上げ重役を歴任した。さらに、株式仲買業にも携わり、東京株式取引所仲裁委員、東京商業会議所議員、横浜四品取引所理事などを務めたほか、日本重石、九州炭鉱汽船、日本醤油醸造、宝石油、日本活動写真、東京澱粉各取締役、営口水道電気、旭薬各監査役などを歴任し、鉱山業の経営にも従事した。
寺田 彦太郎(てらだ ひこたろう、1822年3月26日(文政… 寺田 彦太郎(てらだ ひこたろう、1822年3月26日(文政5年2月4日) - 1903年(明治36年)10月6日)は、明治時代の政治家。実業家。国学者。衆議院議員(静岡県第5区選出、当選3回)。号は観海。族籍は静岡県平民。 遠江国山名郡福田村(静岡県山名郡福島村、磐田郡福田町を経て現磐田市福田)の庄屋寺田彦左衛門良賢の子として生まれる。 1836年(天保7年)、藩侯西尾隠岐守より庄屋を命ぜられる。1842年(天保13年)大庄屋となり、同じ西尾藩の庄屋八木美樹と交わり、その父美穂より国学思想を受け継ぎ、のち『国教のもとゐ』などを著した。 さらに国学思想に則り村政に励み、福田港口掘削、河川改修、海岸砂防堤築造、荒蕪地開拓に尽くす。