内藤 正光(ないとう まさみつ、1964年(昭和39年)1月… 内藤 正光(ないとう まさみつ、1964年(昭和39年)1月29日 ‐ )は、日本の政治家。コンサルタント。 参議院議員(2期)、総務副大臣(鳩山由紀夫内閣、菅直人内閣)などを歴任。 NTT労働組合出身で情報労連の組織内国会議員であった。 愛知県岡崎市出身。愛知県立岡崎高等学校、東京大学理学部物理学科卒業。 1988年、東京大学大学院理学系研究科修了後、NTTに入社。コロンビア大学大学院経営工学研究科修了。1995年、全電通東京地方本部執行委員 。 1997年東京都議会議員選挙に足立区選挙区から立候補(民主党公認)するが次点で落選。翌1998年の第18回参議院議員通常選挙に民主党の比例代表候補として出馬し、初当選した。
柴田 紘一(しばた こういち、1940年11月10日 - )… 柴田 紘一(しばた こういち、1940年11月10日 - )は、日本の政治家。岡崎市長(3期)、愛知県議会議員(4期)、岡崎市議会議員(2期)、東海市長会長、全国市長会副会長などを歴任した。 愛知県額田郡岩津町大字大門(現・岡崎市大門3丁目)の農家に生まれた。名前は「八紘一宇」からとられた。父母は農作業で忙しかったため、祖母に育てられる。近所の大圓寺に設けられた託児所に通所した。 学校教育法が施行された1947年(昭和22年)、岩津町立大樹寺小学校(現・岡崎市立大樹寺小学校)に入学。6年生のとき母親がパーキンソン病に罹り、田1町歩、畑5反歩を父親は一人で耕作しなくてはならなくなった。1953年(昭和28年)4月、岩津町立岩津中学校(現・岡崎市立岩津中学校)に進学するが、田畑は次第に荒れ始めた。
成瀬 守重(なるせ もりしげ、1933年2月6日 - 202… 成瀬 守重(なるせ もりしげ、1933年2月6日 - 2026年2月4日)は、日本の政治家。元参議院議員(2期)。 愛知県岡崎市出身。1957年、早稲田大学政治経済学部卒業。世界救世教教育政治委員会委員長、常任理事、責任役員を務める。1980年、MOA常務理事、産業経済研究協会理事などを務める。1989年の第15回参議院議員通常選挙で比例区に自由民主党から立候補して初当選。2期務める。党内では清和政策研究会(三塚派→森派)に属した。2001年に引退。2003年、勲二等瑞宝章を受章。 2026年2月4日、老衰のため、岡崎市内の病院で死去した。92歳没。死没日付で正四位に叙された。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
内田 喜久(うちだ よしひさ、1925年(大正14年)1月5… 内田 喜久(うちだ よしひさ、1925年(大正14年)1月5日 - )は、日本の政治家、新聞記者。愛知県岡崎市長(3期)、愛知県議会議員(2期)を歴任した。「喜久」を音読みして「きく」と読まれることも多い。 長男の内田康宏を擁立した1980年6月の衆院選で、検挙者128人(うち逮捕者55人)におよぶ空前の選挙違反事件を引き起こした。愛知県警が解明しただけでも計4,424万円の現金をばらまき、自身のほか、県議1人、岡崎市議25人、安城市議7人、幸田町議6人、旧額田町議4人が逮捕された。長年にわたる土建業者との癒着も暴かれ、同年8月、収賄容疑で再逮捕された。 愛知県岩津村井ノ口(現・岡崎市井ノ口町字楼)に、農業を営む父:内田松太郎、母:かまの三男として生まれる。
太田 一夫(おおた かずお、1910年11月19日 - 19… 太田 一夫(おおた かずお、1910年11月19日 - 1990年11月3日)は、日本の政治家、労働運動家。衆議院議員(5期、日本社会党)。保革を問わず「いっぷさん」と親しまれた。 愛知県矢作町大字渡(現岡崎市渡町字宮西)生まれ。碧海郡矢作高等小学校(現岡崎市立矢作中学校)を経て、1927年(昭和2年)に上京。東京市下谷区の岩倉鉄道学校(現岩倉高等学校)に入学。下谷区坂本町4丁目にあった東京朝日新聞の新聞販売店で住み込みで働きながら、昼間は学校に通う。1929年(昭和4年)10月、同校を首席で卒業。12月、名古屋鉄道に入社。 1945年(昭和20年)12月10日、名古屋鉄道労組を結成。1948年(昭和23年)8月、名古屋鉄道労組書記長、私鉄中部地連書記長に就任。
榊原 金之助(さかきばら きんのすけ、1909年11月9日 … 榊原 金之助(さかきばら きんのすけ、1909年11月9日 - 1983年3月12日)は、日本の新聞記者、政治家。『東海新聞』(『東海愛知新聞』の前身)の創立者の一人。東海新聞社の社長を26年間務めた。また、愛知県議会議員を2期務めた。 愛知県額田郡常磐村大字大柳(現・岡崎市大柳町)に生まれる。祖父の事業の失敗から岡崎市の中心部に一家は移住。文選工見習いをしながら家計を助け、額田郡岡崎高等小学校(現・岡崎市立梅園小学校)を卒業。 1915年(大正4年)春、竹内京治が社主を務めていた日刊紙『岡崎朝報』に入る。やや遅れて入社したのが太田光二であった。太田は戯作的色合いの強かった同僚記者とは一線を画し、「時事漫談」という硬派の文章を執筆していたという。
浅岡 齋(あさおか ひとし、1906年10月17日 - 19… 浅岡 齋(あさおか ひとし、1906年10月17日 - 1983年3月22日)は、日本の官吏、政治家、実業家。岡崎市役所職員として戦災復興と都市計画事業に大きく貢献。また、岡崎市助役として3期12年にわたって竹内京治・太田光二市政を支えた。愛知県議会議員を1期務めた。 愛知県額田郡広幡町大字伊賀(現・岡崎市伊賀町)に生まれる。両親は岡崎町大字松本(現・岡崎市松本町)で置屋「浅岡」を営んでいた。上京し東京実業学校に学んだが2年で中退。19歳の時に豊橋市の騎兵連隊に入隊。1929年(昭和4年)、母親を心臓病で亡くす。意気阻喪した浅岡は除隊し、樺太の造林会社に活路を見出した。森林から伐採した木材を積んだイカダに一旦乗った以上、イカダをつなぐ一本の綱が切れたら一巻の終わりという過酷な仕事に「どこをどうしても貫き通すつもりで」打ち込んだものの、会社の事業不振から2年足らずで内地に引き揚げることとなる。
千賀 康治(せんが こうじ、1892年9月11日 - 195… 千賀 康治(せんが こうじ、1892年9月11日 - 1956年2月24日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)、愛知県会議員(3期)、岡崎市会議員(4期)などを歴任した。横に大きく伸びた口ひげから「おひげさん」の愛称で親しまれた。 愛知県額田郡岡崎町連尺(現・岡崎市)で木綿問屋を営む千賀伝三郎の五男として生まれる。愛知県第二師範学校附属小学校、愛知県立第二中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)卒業。木綿織物業に従事する。 1928年(昭和3年)10月5日に行われた岡崎市会議員選挙に立候補し初当選。千賀は立憲民政党の岡崎支部である岡崎民政倶楽部に属していたが、当選の翌月、他の若手の民政党員と共に分派し岡崎民政青年団を結成した。
千賀 千太郎(せんが せんたろう、1882年11月24日 -… 千賀 千太郎(せんが せんたろう、1882年11月24日 - 1962年2月21日)は、日本の実業家、政治家。近代岡崎の商工業者の第一人者として知られる。岡崎商工会議所の会頭を3期(通算約12年)、衆議院議員を1期務めた。長女の夫は一宮市の実業家・四代目豊島半七。 愛知県額田郡岡崎連尺町(現・岡崎市)の呉服商の老舗大島屋に生まれる。額田郡高等小学岡崎学校(現・岡崎市立梅園小学校)を卒業後、名古屋市の簿記学校に進む。1903年(明治36年)、父の死去により年若くして家業を継いだ。 家業の呉服商に木綿部を増設して千賀合名会社を設立し、三河木綿の生産に着手した。当時特産品として知られた三河木綿は零細な家内工業によるものであったため、生産量はごくわずかであった。
菅野 経三郎(かんの つねさぶろう、1877年11月17日 … 菅野 経三郎(かんの つねさぶろう、1877年11月17日 - 1956年12月18日)は、日本の政治家。第7-9代岡崎市長(3期)、愛知県会議員、岡崎市会議員を歴任した。 名は經三郎とも表記される。 愛知県額田郡岡崎連尺町(現・岡崎市)で岡崎藩士の子として生まれる。額田郡高等小学岡崎学校(現・岡崎市立梅園小学校)卒業後の1893年(明治26年)、東京市本郷の伊勢屋呉服店へ入店。1898年(明治31年)12月、連尺町で姫路屋呉服店を開業した。その後長く岡崎商業界の重鎮をなした。 42歳の時に政界へ進出。1920年(大正9年)9月3日、岡崎市会議員に就任する。1923年(大正12年)、国道1号の整備をめぐって市会内で、今ある路線を改修するという派と、新たに南側に路線を作るという派との対立が生まれる。
本多 敏樹(ほんだ としき、1874年2月27日 - 196… 本多 敏樹(ほんだ としき、1874年2月27日 - 1968年2月8日)は、日本の政治家。第2-4代岡崎市長(3期)。 旧藩主本多家の出身であったことから「殿様市長」として親しまれた。旧岡崎藩主17代目の本多忠敬(ただあつ)は実兄。 愛知県岡崎市生まれ。学習院、札幌農学校を経て、1901年(明治34年)、東京帝国大学法科大学に入学。大学を中退したあと、1904年(明治37年)、陸軍歩兵少尉として日露戦争に従軍。勲六等単光旭日章受章。退役後、北海道庁技師に任官し未開地開発にとりくむ。勲五等瑞宝章を受章。 1918年(大正7年)7月12日、郷里岡崎の初代市長・千賀又市が公務執務中にたおれ、その日のうちに49歳で死去。
小瀧 喜七郎(おだき きしちろう、1872年6月23日(明治… 小瀧 喜七郎(おだき きしちろう、1872年6月23日(明治5年5月18日) - 1951年(昭和26年)12月14日)は、日本の政治家。第4代岡崎市長(1期)。助役時代より岡崎公園の修築・改修に力を入れたため、公園助役、公園市長とよばれた。企業の誘致にも積極的で、日清レーヨン、日本レーヨンなどを誘致した。 額田県八町村(現・愛知県岡崎市八帖南町)で岡崎藩士の子として生まれる。1886年(明治19年)2月、真宗三河教校に入学し英語を学ぶ。1887年(明治20年)7月8日、同校を卒業。1891年(明治24年)1月から1892年(明治25年)10月まで名古屋市の私立誠心塾で漢学・剣道を修める。同年12月11日から数度にわたり兵役につき、日清戦争と日露戦争に従軍した。