山本 隆夫(やまもと たかお、1972年7月10日 - )は… 山本 隆夫(やまもと たかお、1972年7月10日 - )は、日本のパティシエ、経営者。滋賀県八日市市出身。血液型はA型。全国で24店舗を構える「CLUB HARIE」(クラブハリエ)のグランシェフであり、代表取締役。また洋菓子の世界大会である「ワールド・ペーストリー・チームチャンピオンシップ」では日本代表のキャプテンとして出場し優勝の他、「クープ・ド・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー」では準優勝の実績を持つ。 1972年 滋賀県近江八幡市の和菓子屋たねやの次男として八日市市に生まれる。 1991年 株式会社たねや入社 1995年 洋菓子店レザンジュ(鎌倉)で修行を重ねる。 1996年 株式会社クラブハリエ役員に就任 1999年 バームクーヘン専門店「B-studio 梅田阪神店」を阪神百貨店(梅田本店)にオープン 2002年 株式会社クラブハリエ 常務取締役グランシェフに就任 2003年 株式会社クラブハリエ 専務取締役グランシェフに就任 2010年 滋賀県彦根市にパン専門店「ジュブリルタン」をオープン 2011年 株式会社クラブハリエ 代表取締役社長に就任 2014年 東京・日本橋にフランス菓子専門店「オクシタニアル」をオープン 2015年 滋賀県近江八幡市に「ラ コリーナ近江八幡」をオープン 2020年 東京駅一番街(東京ギフトパレット)にエコをコンセプトにした「CLUB HARIE e-challenge」をオープン 2021年 羽田空港(第2ターミナル 2F 金の翼)に「CLUB HARIE 羽田空港店」をオープン、千葉県・イクスピアリ(2階トレイル&トラック)に「CLUB HARIE 舞浜イクスピアリ店」をオープン 2023年 「ラ コリーナ近江八幡」内に「バームファクトリー」をオープン
塚本 喜左衛門(6代)(つかもと きざえもん、1948年12… 塚本 喜左衛門(6代)(つかもと きざえもん、1948年12月16日 - )は、日本の実業家。きもの、宝石、毛皮、補正下着の製造卸、ウエディング衣裳のレンタル、不動産のリーシングを行うツカキグループのオーナーであり、塚喜商事株式会社の代表取締役社長を務める。 滋賀県の五個荘(現・東近江市)で、先代塚本喜左衛門 (5代)(幼名:四郎)の長男(幼名:喜一郎)として生まれ、1984年に喜左衛門(6代目)を襲名。 近江商人の語り部として、全国へ行脚
田附 政次郎(たづけ まさじろう、文久3年12月15日(18… 田附 政次郎(たづけ まさじろう、文久3年12月15日(1864年1月23日) - 昭和8年(1933年)4月26日)は、日本の近江商人、実業家。大阪紡績取締役。東洋紡・日清紡ホールディングス・江商(現・兼松)の設立に関与した。また、綿糸相場師として活躍し『田附将軍』と呼ばれた。「売りの田附」として有名。ニュース・キャスターの国谷裕子の曾祖父。 文久3年(1864年)に近江国佐生村(後の滋賀県神崎郡五峰村佐生、神崎郡能登川町佐生を経て現・東近江市佐生町)に産まれる。船場八社の一つの田附商店を開業し、綿花取引や、綿業界をリードする存在であった。また、社会貢献として、京都大学に財団法人田附興風会、郷里の神崎郡五峰村に公益財団法人五峰興風会、帝塚山学院、大阪市に北野病院などを開設している。
野口正章(のぐち まさあき、嘉永2年(1849年) - 大正… 野口正章(のぐち まさあき、嘉永2年(1849年) - 大正10年(1921年)11月)は、明治維新期の近江商人・実業家。『十一屋』主人、日本初の市販国産ビールを作った。 野口正章は、滋賀県蒲生郡綺田村(後の桜川村、現東近江市綺田町)で造酒業を営む十一屋の跡取りとして誕生した。父である野口正忠は美術愛好家で漢詩家、柿村と号し近江・京の多くの文人と親交厚く、富岡鉄斎は正忠との交遊から長く野口家に居候をしていた。正章も父の影響を受け関西南画壇の重鎮である日根対山に師事し、絵画を学んでいた。明治10年(1877年)、画業を通じ予てより野口家と親交があり、また師(日根対山)を同じくする小蘋こと松村親と結婚し、翌年に娘の郁子(後に小蕙と号す)が生まれた。
阿部 彦太郎(あべ ひこたろう、天保11年7月21日(184… 阿部 彦太郎(あべ ひこたろう、天保11年7月21日(1840年8月18日) - 明治37年(1904年)5月5日)は、明治維新期の近江商人・実業家。阿部市郎兵衛家の分家。 阿部彦太郎は、近江国神崎郡能登川村(現・滋賀県東近江市能登川町)に生まれた。本家筋にあたる5代阿部市郎兵衛の三男が分家した阿部市次郎の長男である。 彦太郎は『布彦』と呼ばれ、父と共に攘夷運動が激しかった文久年間(1861年-1863年)に、室町姉小路に唐金巾(とうかなきん、キャラコ)・唐木綿・唐糸・唐縞・唐紅・唐桟に加えラシャ・ケット・モヘール・シャッポン・洋紙・インキ・鉛筆・靴・蝙蝠傘・シャツ・メリヤス・石鹸・洋酒類等の洋物を取り扱う『唐物店』を開いた。
3代 阿部 市太郎(あべ いちたろう、天保11年(1840年… 3代 阿部 市太郎(あべ いちたろう、天保11年(1840年) - 大正12年(1923年))は、明治維新期の近江商人・実業家。日本の産業と人材の育成に務めた。 3代目阿部市太郎は、天保11年(1840年)に近江国神崎郡能登川村(現・滋賀県東近江市能登川町)に生まれた。父である2代市太郎は本家に当たる阿部市郎兵衛家第5代当主の次子で、初代市太郎に継子なく養子となった。また、兄は本家の養子となり7代目市郎兵衛となり、弟は市三郎家に養子に入り2代目市三郎となった。 3代目家督相続後、明治4年(1871年)本家市郎兵衛家と共に大阪(現大阪市東区)に支店を出し、家業である麻布販売と共に持ち船を回漕して塩・蜜柑を北陸地方・東北地方で売り、帰路北海道に立ち寄り物産を仕入れ大阪で販売した。