奥田 準二(おくだ じゅんじ、1958年 - )は、京都府福… 奥田 準二(おくだ じゅんじ、1958年 - )は、京都府福知山市出身の消化器外科医であり、現在、大阪医科大学 一般・消化器外科 准教授、及び同大学附属病院 消化器外科 医長を務める。腹腔鏡下大腸手術を専門とする。 この項目は、医学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:医学/Portal:医学と医療)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
大志万 直人(おおしまん なおと、1954年4月 - ) は… 大志万 直人(おおしまん なおと、1954年4月 - ) は、日本の地球物理学者。京都大学名誉教授。京都大学防災研究所所長や、国立大学附置研究所・センター長会議会長を務めた。専門は地球電磁気学。 京都府福知山市生まれ。1973年京都府立福知山高等学校卒業。1978年東京理科大学理学部物理学科卒業。1980年東京工業大学大学院理工学研究科応用物理学専攻修士課程修了。1983年東京工業大学大学院理工学研究科応用物理学専攻博士後期課程修了、日本大学文理学部応用地学科副手。1986年日本大学文理学部応用地学科助手。1991年日本大学文理学部専任講師。1992年京都大学防災研究所地震予知センター地震予知計測研究領域助教授。
浅野 哲夫(あさの てつお、1949年9月20日 - )は、… 浅野 哲夫(あさの てつお、1949年9月20日 - )は、日本の計算機科学者。専門は、アルゴリズム、計算幾何学。 北陸先端科学技術大学院大学元学長。博士(工学)(大阪大学) 京都府福知山市出身。京都府立福知山高等学校卒業後、大阪大学基礎工学部に進学。昭和47年3月に大阪大学基礎工学部を卒業後、昭和49年3月に大阪大学大学院基礎工学研究科修士課程を修了し、昭和52年3月に大阪大学大学院基礎工学研究科博士課程修了。昭和54年4月に大阪電気通信大学工学部助教授を経て、昭和63年4月に同大学の教授に就任。平成9年4月には、北陸先端科学技術大学院大学情報科学研究科教授に就任し、平成11年4月から12年3月に同大学の学長補佐となる。
矢野道雄(やの みちお、1944年6月 - )は、日本の数学… 矢野道雄(やの みちお、1944年6月 - )は、日本の数学者、インド数学・インド占星術研究者、京都産業大学名誉教授。 京都府福知山市生まれ。1967年京都大学文学部印度哲学科卒、1972年同大学院梵語梵文学博士課程中退(専攻はインド学および科学史)、薮内清等に師事。主として古代インドを軸に、科学史から天文学・数学・占星術の進展研究・原典訳を行っている。 1973年京都産業大教養部講師、1977年助教授、1979年同・国際言語科学研究所助教授、1984年に教授、のち所長(第9代)。2000年に同文化学部教授に異動、2010年4月定年退任し特任教授。2015年4月に退職し名誉教授。 1996年「クーシュヤールの占星術書写本の校訂研究」で文学博士(京大)。
塩見 邦雄(しおみ くにお、1943年3月15日 - )は、… 塩見 邦雄(しおみ くにお、1943年3月15日 - )は、日本の教育心理学者。兵庫教育大学名誉教授。京都府福知山市出身。1966年京都大学教育学部教育心理学科卒、71年同大学院教育学研究科博士課程満期退学、1980年「人格構造の二元性についての実験的研究」で京大教育学博士。京大助手、鳥取大学教育学部助教授、1984年兵庫教育大学助教授、1988年教授、2006年定年退官、名誉教授、相愛大学人間発達学部教授、人間発達研究所所長。2013年退職。臨床心理士・学校心理士。
塩見 治人(しおみ はるひと、1943年 - )は、日本の経… 塩見 治人(しおみ はるひと、1943年 - )は、日本の経済学者、名古屋市立大学・名古屋外国語大学名誉教授。専攻は経済史、経営史。 京都府福知山市生まれ。1968年京都大学経済学部卒業、1973年同大学院経済学研究科博士課程満期退学、1980年「現代大量生産体制論 その成立史的研究」で経済学博士。 1973年名古屋市立大学経済学部専任講師、1981年助教授、1986年教授、1998-2000年経済学部長・経済学研究科長、2006年定年退官、名誉教授、名古屋外国語大学現代国際学部教授、2014年名誉教授。
下村 脩(しもむら おさむ、1928年(昭和3年)8月27日… 下村 脩(しもむら おさむ、1928年(昭和3年)8月27日 - 2018年(平成30年)10月19日)は、生物学者(有機化学・海洋生物学)。 学位は理学博士(名古屋大学、1960年)。位階は従三位。ボストン大学名誉教授、ウッズホール海洋生物学研究所特別上席研究員、名古屋大学特別教授。 有機化学・海洋生物学を専門とする生物学者、中でも生物発光研究の先駆者であり第一人者。旧制長崎医科大学、名古屋大学、プリンストン大学、ボストン大学、ウッズホール海洋生物学研究所などに在籍し、発光生物についての研究を継続。その中の一つ、オワンクラゲの緑色蛍光タンパク質の発見は、その後生命科学、医学研究用の重要なツールに発展して2008年(平成20年)のノーベル化学賞受賞に結びついた。
梶村 昇(かじむら のぼる、1925年1月1日 - )は、日… 梶村 昇(かじむら のぼる、1925年1月1日 - )は、日本の仏教学者、浄土宗僧侶、亜細亜大学名誉教授。 京都府福知山市生まれ。1950年大正大学文学部仏教学科卒。1953年同研究科修了。1952-1960年ニューヨークのユニオン神学大学に学び、1956年亜細亜大学経済学部講師、1962年助教授、1967年教授。1995年定年退任、客員教授、1997年退任、名誉教授。
真下 信一(ました しんいち、1906年10月24日 - 1… 真下 信一(ました しんいち、1906年10月24日 - 1985年2月9日)は、日本の哲学者。名古屋大学名誉教授。 京都府福知山市生まれ。京都府立一中、第三高等学校から京都帝国大学文学部哲学科に学ぶ。中学の同期には湯川秀樹がいた。三高時代には武田麟太郎と親交を結んだ。大学の同窓には戸坂潤がいた。大学院に進学、1933年の滝川事件のときには院生代表として活動する。院修了後は同志社大学勤務、のち教授。1935年中井正一らと雑誌『世界文化』を創刊、反ファシズムの立場で活動したが、1937年11月、新村猛らとともに治安維持法違反の容疑で検挙された。 戦後は、民主主義科学者協会に所属しながら唯物論哲学の立場で発言、名古屋大学助教授、教授。