山林 芳則(やまりん よしのり、1990年4月15日 - )… 山林 芳則(やまりん よしのり、1990年4月15日 - )は、兵庫県洲本市出身のプロ野球選手(投手)。
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山林 芳則(やまりん よしのり、1990年4月15日 - )… 山林 芳則(やまりん よしのり、1990年4月15日 - )は、兵庫県洲本市出身のプロ野球選手(投手)。
増田 達至(ますだ たつし、1988年4月23日 - )は、… 増田 達至(ますだ たつし、1988年4月23日 - )は、兵庫県洲本市出身のプロ野球選手(投手)。埼玉西武ライオンズ所属。
川畑 泰博(かわばた やすひろ、1966年7月27日 - )… 川畑 泰博(かわばた やすひろ、1966年7月27日 - )は、兵庫県洲本市出身の元プロ野球選手(投手)。 小学4年の時に野球を始める。 洲本高では、1年夏の県大会で7回参考記録ながらノーヒットノーランを達成。2年生時の1983年に投手として夏の甲子園予選決勝に進出するが、池山隆寛のいた市尼崎高に完封負け。 1984年の夏も県予選で敗れ、甲子園には出場できなかった。 同年のプロ野球ドラフト会議で中日ドラゴンズから2位指名を受け入団。 1986年に一軍デビュー。 1987年には主に先発として一軍に定着する。 1988年4勝を挙げて同年のリーグ優勝に貢献。 1989年は1A・ベロビーチ・ドジャースに野球留学した。
山本 隆造(やまもと りゅうぞう、1956年(昭和31年)3… 山本 隆造(やまもと りゅうぞう、1956年(昭和31年)3月5日 - 2012年(平成24年)12月24日)は、兵庫県洲本市出身のプロ野球選手(内野手)、プロ野球審判員。 洲本実業高校から近畿大学に進学。関西六大学リーグでは在学中3度優勝。好守好打の遊撃手として知られ、1977年のドラフト2位でクラウンライターライオンズに指名され入団。大学同期に慶元秀章、丸川正充がおり、同じくクラウンに入団している。他の同期入団にパ・リーグ審判の良川昌美がいた。1年目の1978年は、遊撃手として5試合に先発出場し、マルチ安打を記録したこともあったが、その後は出場機会に恵まれず、1982年限りで引退。 その後、1983年からはパシフィック・リーグの審判員となる。
西岡 三四郎(にしおか さんしろう、1949年4月27日 -… 西岡 三四郎(にしおか さんしろう、1949年4月27日 - )は、兵庫県洲本市出身の元プロ野球選手(投手)。 洲本実業高校では2年次の1966年に春季近畿大会1回戦でPL学園の加藤英治と投げ合うが惜敗し、同年の夏の甲子園県予選でも準々決勝に進むが、吉岡邦広を擁する三田学園に敗退。1年上のチームメートに後にプロで同僚となる桜井輝秀がいた。本格派右腕投手として注目を集める。 1967年も県予選で敗れ甲子園には出場できなかったが、春季兵庫大会淡路予選で完全試合を記録している。 同年のドラフト2位で南海ホークスに入団。 1968年は8月20日の東京戦(東京)で初登板・初先発を果たすが、2回で降板したため勝敗はつかなかった。
桜井 輝秀(さくらい てるひで、本名:櫻井 輝秀(読み同じ)… 桜井 輝秀(さくらい てるひで、本名:櫻井 輝秀(読み同じ)、1948年4月12日 - )は、兵庫県洲本市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。 洲本実業高校では1966年に、後にプロで同僚となる1年下のエース西岡三四郎を擁し、春季近畿大会に進出。1回戦でPL学園の加藤英治に完封を喫する。同年の夏の甲子園県予選でも準々決勝に進むが、吉岡邦広、藤村雅美のいた三田学園に敗退。 同年のドラフト5位で南海ホークスに入団。1971年から二塁手としてレギュラーに定着し、同年は初の規定打席(27位、打率.258)にも達する。1973年にベストナイン、1973年と1974年に2年連続でダイヤモンドグラブ賞を受賞。
清水 正輝(しみず まさてる、1945年2月21日 - )は… 清水 正輝(しみず まさてる、1945年2月21日 - )は、日本の元アマチュア野球選手、監督である。ポジションは投手、外野手。 兵庫県津名郡五色町(現:洲本市)出身。洲本実業高校では、エースとして1962年夏の甲子園県予選準決勝に進むが柏原高に完封負け。卒業後に関西学院大学に入学した。関西六大学野球リーグでは、1966年秋季リーグの優勝に貢献。 1966年のドラフト会議で西鉄ライオンズから3位指名されたが入団を拒否し、 京都大丸に入社した。1967年の都市対抗に日本新薬の補強選手として出場。1回戦で先発を任されるが富士製鐵室蘭に敗退。1969年からは投手登録ながら中心打者として活躍する。同年の都市対抗では右翼手、四番打者として出場するが、1回戦でサッポロビールに惜敗。
辻野 欽也(つじの きんや、1942年6月7日 - )は、兵… 辻野 欽也(つじの きんや、1942年6月7日 - )は、兵庫県洲本市出身の元プロ野球選手(投手)。 1961年、洲本実業高校から大毎オリオンズに入団。1963年にはイースタンリーグで最多勝を獲得する。長身から、速球とフォークボールを交える。
加藤 昌利(かとう まさとし、1935年5月10日 - 19… 加藤 昌利(かとう まさとし、1935年5月10日 - 1985年5月9日)は、兵庫県洲本市生まれのプロ野球選手・審判員。 洲本高校では1953年の春の選抜に初出場。四番打者として、エース北口勝啓(のち明電舎)とバッテリーを組み勝ち進む。決勝では片岡宏雄のいた浪華商を完封で降し、淡路島に優勝旗をもたらした。チームは「瀬戸内少年野球団」と渾名される。北口以外のチームメートに遊撃手の志貴正視(のち法大)がいた。 1954年に期待されて近鉄パールスに入団。1955年には控え捕手として一軍に定着し、3年目の1956年に原勝彦に代わりレギュラー捕手となる。翌年は故障もあって出場機会がなく、1958年に外野手に転向。