門 康彦(かど やすひこ、1946年(昭和21年)2月24日… 門 康彦(かど やすひこ、1946年(昭和21年)2月24日 - )は、日本の政治家。元兵庫県淡路市長(5期)。 兵庫県津名郡津名町志筑(現・淡路市)に生まれる。1961年(昭和36年)3月、津名町立津名中学校(志筑分教場)卒業。1964年(昭和39年)3月、兵庫県立津名高等学校卒業。1968年(昭和43年)3月、関西大学文学部哲学科卒業。同年4月、兵庫県立三原高等学校に事務職員として勤務。兵庫県教育委員会を経て兵庫県庁に異動。 2000年(平成12年)4月、兵庫県企業庁管理局長に就任。2001年(平成13年)4月、兵庫県淡路県民局長に就任。 2005年(平成17年)4月1日、淡路町、津名町、北淡町、一宮町、東浦町の5町が合併し淡路市が発足。
西森 源兵衛(にしもり げんべえ、1866年8月19日〈慶応… 西森 源兵衛(にしもり げんべえ、1866年8月19日〈慶応2年7月10日〉 - 1931年〈昭和6年〉10月12日)は、日本の商人(皮革商、皮革貿易商)、政治家、実業家。西浜土地建物取締役。族籍は大阪府平民。旧姓・岡島、幼名・豊次郎。 兵庫県津名郡志筑町(現・淡路市)出身。岡島文吉の四男あるいは弟。1882年、来阪して親戚の皮革商・西森源兵衛の店員となる。1887年、西森源兵衛の養嗣子となる。1917年、養父源兵衛の逝去により家督を相続して先代を襲名する。 日清の国交がまさに破れようとする兆しがあるのを見ると、この機に乗じ製革原皮の大量輸入を開始し、有事にそなえようとしたが、幾許もなく戦闘が開かれ皮革の需要が激増し、軍需品として納入するほか、一般市場の供給に応じ、平和克服まで3年間ほとんど西森の一手により供給される。
太田 實(おおた みのる、1858年10月26日(安政5年9… 太田 實(おおた みのる、1858年10月26日(安政5年9月20日)- 1918年(大正7年)11月20日)は、明治の内務官僚、第2代本所区長、第一回、二回衆議院議員、実業家、浅草公園水族館の設立者。 幕末の安政5年(1858年)、淡路国津名郡久留麻村(町村制後:来馬村、現:兵庫県淡路市久留麻)に生まれる。祖父・利右衛門の時、徳島藩主蜂須賀家に功があり士族に取り立てられ太田氏を賜った。旧姓は山田氏であった。傍ら、酒造を業とし柿屋と号した。10歳で藩校に入ったが、藩府内の俊秀少年5人を選び修学を命ずるにあたり、その一人に選ばれた。わずか12歳で洲本の学問所に入った。13歳のとき、徳島城内の藩校舎に入り蘭人ドングルに就きドイツ語を学んだ。
八尾 善四郎(やお ぜんしろう、1845年9月11日〈弘化2… 八尾 善四郎(やお ぜんしろう、1845年9月11日〈弘化2年8月10日〉 - 1918年)は、日本の実業家、政治家。神戸市会議員。兵庫運河社長。駒ヶ林魚類定市場取締役。族籍は兵庫県平民。兵庫運河を完成させた人物として知られる。 淡路津名郡岩屋村(現・淡路市)の長谷川八右衛門の次男として生まれ、5歳のときに兵庫西尻池の旧家八尾家の養子となる。船頭から身を起こして魚問屋として成功を収め、和歌山や四国まで事業を拡大させた。 1894年に安田善次郎、武井守正、谷勘兵衛らの出資の下、兵庫運河株式会社を設立し、新川運河を完成させたまま中断していた兵庫運河の建設工事を引き継ぎ、1898年に完成させた。1898年4月19日から1904年4月18日まで神戸市会議員をつとめた。
佐野 助作(さの すけさく、1844年(弘化元年7月)- 1… 佐野 助作(さの すけさく、1844年(弘化元年7月)- 1910年(明治43年)9月21日)は、明治時代の政治家、実業家。自由民権運動家。衆議院議員(3期)。兵庫県津名郡洲本町長。 豪農・塩田猪助の七男として阿波徳島藩領津名郡、のちの兵庫県津名郡塩田村(津名町を経て現淡路市)に生まれ、13歳の時に同郡物部村(洲本町を経て現洲本市物部)の大庄屋・佐野又六の養嗣子となる。25歳の時、養父の死跡を相続し戸主となる。1871年(明治4年)津名郡第一区戸長となり、1873年(明治6年)津名郡区長に挙げられる。1875年(明治8年)職を辞し、一時民間に転じるが、1879年(明治12年)の府県会開設と共に兵庫県会議員に当選する。
西森 源兵衛(にしもり げんべえ、旧姓・岡島、幼名・浅次郎、… 西森 源兵衛(にしもり げんべえ、旧姓・岡島、幼名・浅次郎、1839年9月〈天保10年8月〉 - 1917年〈大正6年〉)は、日本の商人(皮革商)、実業家、政治家。西浜倉庫社長。大阪府西成郡西浜町長。大阪府会議員。大阪市会議員。 淡路国(のち兵庫県津名郡志筑町、現淡路市)生まれ。幼時に西森家に入り養嗣子となる。養父没後家督を相続し襲名する。以来熱心に業務に従事する。 大阪府西成郡栄町戸長、西浜町会議員及び町長となり1897年に同町が大阪市に編入されると、以来区会、市会、府会に議員としてその席に列する。 日清戦争に際し、金100円を献じ木盃を賜る。遠州流生け花を嗜む。日本赤十字社終身社員、衆議院議員南区選挙有権者である。
立木 兼善(たちき かねよし、天保5年8月〈1834年〉 -… 立木 兼善(たちき かねよし、天保5年8月〈1834年〉 - 明治42年〈1909年〉12月24日)は、日本の政治家。旧姓杉浦、林。正四位。 淡路国津名郡谷村(現・兵庫県淡路市仮屋谷)の村医者の子・杉浦七郎として生まれる(のち林立玄 林徹之丞 立木徹之丞と改名)。徳島藩士族。洲本にあった徳島(蜂須賀)藩筆頭家老稲田家の学問所益習館で学び、天誅組の変などに関わるなど勤王の志士として頭角を現す。 明治2年(1869年)明治政府に出仕し、若松県知事、若松県権知事、福島県権知事となる。明治3年(1870年)岩倉具視の内命により庚午事変調停のため、岩鼻県権知事小室彰と共に徳島に滞在するが、不調に終わり帰京する。