三浦 大紀(みうら ひろき、1980年1月29日 - )は、… 三浦 大紀(みうら ひろき、1980年1月29日 - )は、日本の政治家。島根県浜田市長(1期)。元浜田市議会議員(2期)。 島根県浜田市出身。島根県立浜田高等学校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。所属研究室の活動を通じて橋本龍太郎元首相と知り合い、2004年7月より秘書を務める。橋本龍太郎の引退後は橋本岳衆議院議員の秘書を経て、2009年12月より特定非営利活動法人日本リザルツ(国際NGO)事務局次長としてフィリピンに駐在し衛星管理や貧困対策などに携わる。その後浜田市にUターンし、2012年4月より特定非営利法人てごねっと石見職員として商店街活性化事業などに携わる。2014年4月、地元の伝統工芸品・食品を用いたギフト商品の開発・販路開拓などを手掛ける株式会社シマネプロモーションを創業。
福浜 隆宏(ふくはま たかひろ、1966年2月2日 - )は… 福浜 隆宏(ふくはま たかひろ、1966年2月2日 - )は、日本の政治家。鳥取県議会議員(3期)。元日本海テレビアナウンサー。
三沢 淳(みさわ じゅん、1952年〈昭和27年〉10月1日… 三沢 淳(みさわ じゅん、1952年〈昭和27年〉10月1日 - 2022年〈令和4年〉3月3日)は、島根県浜田市出身のプロ野球選手(投手)・解説者、政治家、元衆議院議員(1期)。 浜田市立第一中学校で野球を始める。主に三塁手を務め、投手もこなしたが、中学当時は上手投げだった。野球部の1年後輩に梨田昌孝がいる。島根県立江津工業高等学校へ進学後、下手投げ投手に転向。同校では1年秋に高橋寛とのバッテリーで県大会決勝へ進み、大田高の福間納と投げ合うも1失点で惜敗。2年夏は西中国大会へ進むが有田修三が4番を打つ宇部商に敗れた。2年秋も県大会決勝で前年に続いて大田高に敗れたが中国地区大会では準決勝へ進出、広陵高の佐伯和司と延長11回を投げ合って敗れた。
久保田 章市(くぼたしょういち、1951年〈昭和26年〉4月… 久保田 章市(くぼたしょういち、1951年〈昭和26年〉4月11日 - )は、日本の政治家。元島根県浜田市長(3期)。元法政大学大学院教授。 島根県浜田市生まれ。島根県立浜田高等学校を卒業。 東京大学卒業後、三和銀行(現三菱UFJ銀行)に入行。支店長、厚生省や三和総合研究所への出向などを経て2005年に退社。2006年に三菱UFJリサーチ&コンサルティングの執行役員に就任。執行役員時代には法政大学大学院イノベーション・マネジメント研究科客員教授を務め、2008年には教授に就任した。 学外では島根県立大学総合政策学部の非常勤講師や浜田市政策アドバイザー、学校法人江の川学園石見智翠館高等学校常務理事を務めていた。
石橋 良三(いしばし りょうぞう、1948年(昭和23年)1… 石橋 良三(いしばし りょうぞう、1948年(昭和23年)1月2日 - 2019年(平成31年)1月22日)は、日本の政治家。 自由民主党所属の元広島県議会議員(7期)。広島県議会副議長(第103代)、文教委員長、建設委員長などを歴任。 息子は衆議院議員の石橋林太郎。 島根県浜田市出身。 日本歯科大学卒業後、広島市安佐南区で石橋歯科医院開業。 平成3年、広島県議会議員に初当選(広島市安佐南区選出)。 文教委員長、建設委員長などを歴任。当選7回。 自民党県議であったが亀井静香に近く、2005年の郵政解散の際には自民党が郵政民営化反対派に刺客を立てたことに抗議し第44回衆議院議員総選挙で広島3区から国政に出馬したが落選した。
宇津 徹男(うづ てつお、1943年(昭和18年)8月1日 … 宇津 徹男(うづ てつお、1943年(昭和18年)8月1日 - 2018年(平成30年)12月13日)は、日本の政治家。島根県浜田市長(新制)(2期)。浜田市長(旧制)(3期)。島根県議会議員(7期)。旭日中綬章受章。位階は従四位。 島根県浜田市出身。慶應義塾大学法学部卒業。1968年(昭和43年)2月、竹下登衆議院議員の秘書になる。 1971年(昭和46年)4月、島根県議会議員選挙に出馬し、初当選。以後7期連続当選。その間、1991年(平成3年)5月から1993年(平成5年)6月まで県議会の議長をつとめる。 1996年(平成8年)4月、浜田市長選挙に出馬し、初当選。以後3期連続当選。 2005年(平成17年)10月1日、浜田市が那賀郡三隅町・旭町・金城町・弥栄村の3町1村と合併し、新制の浜田市が誕生する。
生越 三郎(おごし さぶろう、1897年(明治30年)4月1… 生越 三郎(おごし さぶろう、1897年(明治30年)4月1日 - 1969年(昭和44年)12月2日)は、大正から昭和期の技術者、実業家、政治家。衆議院議員(1期)。 島根県那賀郡、現在の浜田市で生まれる。1919年(大正8年)大阪工業専門学校機械科を卒業。 三菱造船に技師として入社した。1935年(昭和10年)に日本機械車両工業を設立し社長に就任。その他、東京大同商会代表社員、日本電気漂白専務取締役、三星工業取締役社長、日本化機工業取締役などを務めた。 1940年(昭和15年)財団法人石見工業専修学校を設立し理事長に就任。同校は石見工業学校、益田商工高等学校を経て益田工業高等学校(現益田東高等学校)となり各理事長を務めた。
大達 茂雄(おおだち しげお、1892年(明治25年)1月5… 大達 茂雄(おおだち しげお、1892年(明治25年)1月5日 - 1955年(昭和30年)9月25日)は、日本の内務官僚、政治家。内務大臣(小磯内閣)、文部大臣(第5次吉田内閣)。参議院議員(1期)。 島根県那賀郡浜田町(現・浜田市)に、酒造業・大達新作の次男として生まれる。浜田中学から一高に進み、1916年(大正5年)に東京帝国大学法科大学政治学科を卒業、内務省に入る。宮城県属。 内務省では地方局財務課長を経て1932年(昭和7年)福井県知事となる。福井師範学校整理問題で県会と衝突し、それに対する内務省の扱いに不満を抱いて辞表を提出した。 1934年に満洲国に招かれて満洲国国務院総務庁法制処長、1936年同国務院総務庁長を歴任。
俵 孫一(たわら まごいち、1869年6月16日〈明治2年5… 俵 孫一(たわら まごいち、1869年6月16日〈明治2年5月7日〉- 1944年〈昭和19年〉6月17日)は、日本の官僚、政治家。衆議院議員。商工大臣、立憲民政党幹事長などを歴任した。従二位勲一等。 1869年(明治2年)5月7日、石見国浜田(現:島根県浜田市)に俵家の3代目・三九郎、ミナの五男として生まれる。幼少の頃から家業の醤油醸造、ろうそくの製造販売等を手伝う。 浜田中学(現・島根県立浜田高等学校)、泊園書院(現:関西大学)、共立学校(現:開成中学校)、第一高等学校を経て1895年(明治28年)帝国大学法科大学英法科(現:東京大学法学部)を卒業する。卒業後は内務官僚として官界に入り、1907年(明治40年)大韓帝国の学部次官、1910年(明治43年)同国の土地調査局副総裁(後の朝鮮総督府臨時土地調査局副総裁)に就任。
本城 安次郎(ほんじょう やすじろう、1860年3月4日(万… 本城 安次郎(ほんじょう やすじろう、1860年3月4日(万延元年2月12日)- 1901年(明治34年)11月5日)は、明治期の実業家、政治家。衆議院議員。 石見国那賀郡、のちの島根県那賀郡周布村(現浜田市)で、建築業・本城新輔の息子として生まれた。大阪開明学校を卒業し、上京して攻玉塾で学び、1878年(明治11年)ころ工部大学校に入学したが、病のため1879年(明治12年)秋に退学した。 健康が回復すると神戸で紙類廃売店を開業し、また、貿易店を営み、日清戦争時には軍需物品を扱い、大阪に本城商会を設けて遼東、台湾へも事業を拡張した。その他、神戸樟脳取引所理事、大阪浪速商品取引所創立委員長、神戸商業会議所議員などを務めた。
佐々田 懋(ささだ すすむ / すすみ、安政2年11月6日(… 佐々田 懋(ささだ すすむ / すすみ、安政2年11月6日(1855年12月14日) - 昭和15年(1940年)3月27日)は、日本の実業家、政治家。島根県多額納税者。佐々田合名会社社長。衆議院議員、貴族院議員。 孫・百合子は元中国電力会長櫻内乾雄の妻。 石見国那賀郡木田村(現・島根県浜田市)の豪農である佐々田家に生まれる。佐々田家は尼子義久の子佐々田宗久が、尼子氏の先祖である佐々木氏と妻の実家の名である田中氏の名を取って創始した。和漢学を修めた。 浜田県会議員、浜田県十五等出仕、那賀郡会議員、島根県会議員、島根県会議長を務めた。1890年(明治23年)7月、第1回衆議院議員総選挙に島根県第5区から出馬し衆議院議員に初当選。
右田 古文(みぎた こぶん、1854年8月12日(安政元年7… 右田 古文(みぎた こぶん、1854年8月12日(安政元年7月19日)- 1933年(昭和8年)12月12日)は、明治から昭和初期の農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員、島根県会議長。 石見国那賀郡田野原村(島根県那賀郡杵束村、弥栄村を経て現浜田市弥栄町田野原)で、豪農・右田常十郞の長男として生れ、右田古信の養子となった。津和野の福羽美静に師事し漢学を修めた。1892年(明治25年)6月、家督を相続した。 1874年(明治7年)木束部副戸長に就任。以後、田野原村会議員、町村浦連合会議員、杵束村会議員、町村組合会議員、田野原区会議員などを務めた。1885年(明治18年)島根県会議員に選出され、1894年(明治27年)同議長に就任。