石橋 通宏(いしばし みちひろ、1965年7月1日 - )は… 石橋 通宏(いしばし みちひろ、1965年7月1日 - )は、日本の労働運動家、政治家。立憲民主党所属の参議院議員(3期)。父は衆議院議員を務めた石橋大吉。情報労連組織内候補。 島根県安来市生まれ。幼少期を東京都武蔵野市で過ごす。1978年に松江市立内中原小学校卒業、1981年に松江市立第一中学校卒業。1984年に島根県立松江北高等学校卒業。1988年に中央大学法学部法律学科卒業後、アメリカ合衆国のアラバマ大学大学院に留学して1991年に修了して政治学修士号取得。現在は東京都在住。 1992年に帰国し全国電気通信労働組合中央本部入職(国際部職員)。 1994年に国際自由労働組合総連盟・アジア太平洋地域事務所(ICFTU-APRO、在シンガポール)へ出向。
大森 猛(おおもり たけし、1944年9月18日 -)は、日… 大森 猛(おおもり たけし、1944年9月18日 -)は、日本の元政治家。元衆議院議員(通算2期)。元神奈川県議会議員(通算1期)。現在、日本共産党南関東ブロック事務所長。
加納 莞蕾(かのう かんらい、1904年3月1日 - 197… 加納 莞蕾(かのう かんらい、1904年3月1日 - 1977年8月15日)は、日本の画家、政治家。本名辰夫。莞蕾は雅号。島根県能義郡布部村(現在の安来市広瀬町布部)出身。マニラ軍事裁判により戦後フィリピンの刑務所に収容されていた日本人戦犯の釈放に尽力したことで知られる。 1926年(大正15年)に上京して川端画学校および本郷洋画研究所に入り、岡田三郎助に師事し、前田寛治・佐伯祐三らと交友を深めた。 1931年(昭和6年)の第1回独立美術協会展に出品し、入選を重ねた。1932年から1937年まで島根県那賀郡浜田町(現在の浜田市)原井尋常高等小学校(現在の浜田市立原井小学校)に赴任し、訓導として児童の指導にあたるかたわら、中尾彰らと本格的な洋画研修会を開き、東京から中山巍を招いて指導を仰いだ。
竹内 民次郎(たけうち たみじろう、旧姓・岩崎、1897年〈… 竹内 民次郎(たけうち たみじろう、旧姓・岩崎、1897年〈明治30年〉4月12日 - 没年不明)は、日本の酒造家(竹内本店)、政治家。 島根県能義郡宇賀荘村(現・安来市)に岩崎庫三郎の長男として生まれ、竹内信次郎の養子となる。1921年、家督を相続する。明治大学修業。 小学校訓導を経て酒造業を営む。町会議員、町信用組合理事、出雲銀行取締役などをつとめる。 宗教は浄土宗。趣味は文学。住所は島根県大原郡加茂町(現・雲南市)。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
櫻内 幸雄(さくらうち ゆきお、1880年〈明治13年〉8月… 櫻内 幸雄(さくらうち ゆきお、1880年〈明治13年〉8月14日 - 1947年〈昭和22年〉10月9日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。商工大臣、農林大臣、大蔵大臣など歴任。 元中国電力会長櫻内乾雄、元衆議院議長櫻内義雄の父。福田康夫元首相の妻貴代子や政治家の太田誠一は孫。 旧雲州広瀬藩士・櫻内和一郎の長男。東京専門学校(現:早稲田大学)中退。岐阜新聞、愛知新聞などで記者を務めていたが、実業家の雨宮敬次郎に認められ、実業界に入り、大日本軌道、日本高架鉄道の設立に参画、1907年(明治40年)に東洋競馬会を起こして理事。 また銚子、石巻、埼玉、逗子などで電燈会社を創業、1910年(明治43年)に日本電燈株式会社を設立し取締役。
並河 理二郎(なびか りじろう、1860年9月25日(万延元… 並河 理二郎(なびか りじろう、1860年9月25日(万延元年8月11日)- 1926年(大正15年)6月4日)は、明治から大正期の実業家、政治家。衆議院議員、島根県会議長、島根県能義郡安来町長。本家並河家14代当主。号・適處(てきしょ)。 出雲国能義郡安来町(島根県能義郡安来町を経て現安来市)で、本家並河家12代・三郎兵衛方月の二男として生まれた。山村勉斎に師事し漢学を修めた。1877年(明治10年)6月、本家並河家14代の家督を相続した。 安来村戸長、学務委員、所得税調査委員、安来町会議員、徴兵参事員、島根県会議員、同議長、安来町長、能義郡会議員、島根県農会長、地方森林会議員、能義郡教育会長などを務めた。
佐々木 善右衛門(ささき ぜんうえもん/ ぜんえもん、185… 佐々木 善右衛門(ささき ぜんうえもん/ ぜんえもん、1852年(嘉永5年1月) - 1917年(大正6年)8月16日)は、明治時代の政治家、実業家。衆議院議員(2期)。幼名は猪太郎。 出雲国能義郡荒島村(現島根県安来市)に生まれる。生家は代々商業を営んだ。和漢学を修めた。1881年(明治14年)島根県会議員に当選し、ついで常置委員となり、副議長を兼任した。1884年(明治17年)任期満了ののち、再度県会議員に再選される。ほか、地方衛生会委員を務めた。 1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では島根県第2区から出馬し当選。つづく第2回総選挙でも当選した。 1890年、松江日報社の設立に参画し総代となる。
21代 田部 長右衛門(たべ/たなべ ちょうえもん、1850… 21代 田部 長右衛門(たべ/たなべ ちょうえもん、1850年10月16日〈嘉永3年9月11日〉 - 1942年〈昭和17年〉2月14日)は、明治から大正期の政治家、実業家、林業家。貴族院多額納税者議員。名は長秋。田部本家第21代当主。 出雲国能義郡母里村(伯太村、伯太町を経て現・島根県安来市)で宇山清左衛門の弟として生まれる。1874年(明治7年)1月、飯石郡吉田村(現・島根県雲南市吉田町吉田)でたたら製鉄業を営む20代田部長右衛門周重の養嗣子となる。1885年(明治18年)4月、家督を相続し、21代『田部長右衛門』を襲名する。 1879年(明治12年)、出雲国鉄師頭取に就任するが、洋鉄の流入により、1923年(大正12年)に和鉄経営を廃業した。
原本 大三郎(はらもと だいさぶろう、1866年11月1日(… 原本 大三郎(はらもと だいさぶろう、1866年11月1日(慶應2年9月24日 - 1922年(大正11年)3月16日)は、明治から大正期の農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員、島根県能義郡安来町長。 出雲国能義郡安来町(島根県能義郡安来町を経て現安来市)で、原本権八郎の二男として生れた。1879年(明治12年)小学校を卒業。池田謙益から漢籍を学ぶ。さらに山村良行(能義郡広瀬町)、内村友輔(松江市)の塾で学んだ。兄の死去により1899年(明治32年)3月、家督を相続し6代当主となる。生家は代々大庄屋役を務め、農業、酒造業、質商を営んでいたが、酒造業は1879年に、質商は1895年(明治28年)に廃業した。