増田 和俊(ますだ かずとし、1946年(昭和21年)6月1… 増田 和俊(ますだ かずとし、1946年(昭和21年)6月1日 - )は、日本の政治家。元広島県三次市長(2期)、元作木村長(2期)。 広島県作木村生まれ。1965年3月、広島県立三次高等学校卒業。1966年4月、作木村職員となる。1995年3月、同村の助役に就任。 1999年2月、作木村長に就任。2004年4月1日、三次市(旧)、双三郡君田村、布野村、作木村、吉舎町、三良坂町、三和町、甲奴郡甲奴町の8市町村が新設合併し、新しい三次市が誕生する。それに伴い同職を失職。2008年4月、三次市の副市長に就任。同年9月、佛教大学社会学部卒業。 2011年3月31日、公職選挙法違反の疑いで書類送検されていた三次市長の村井政也が、裁判所から罰金の略式命令を受けたことにより辞職。
柏村 武昭(かしむら たけあき、1944年〈昭和19年〉1月… 柏村 武昭(かしむら たけあき、1944年〈昭和19年〉1月1日 - )は、日本のフリーアナウンサー、タレント、司会者、政治家。自由民主党所属の元参議院議員(1期)。「木へんにホワイト、柏村武昭です」のキャッチフレーズで知られている。 婚姻歴は2回で、現在の妻は、元「はしだのりひことエンドレス」のヴォーカル・林竹洋子。洋子との間に授かった娘の柏村星良も、タレントとして活動している。 広島県三次市出身。広島県立三次高等学校(演劇部に所属)を経て、早稲田大学第一文学部演劇学科に入学。在学中は露木茂(のちのフジテレビアナウンサー)などが所属していた早稲田大学放送研究会に所属。ナレオハワイアンズの司会などで活動。
福岡 義登(ふくおか よしと、1923年(大正12年)5月1… 福岡 義登(ふくおか よしと、1923年(大正12年)5月18日 - 2001年(平成13年)3月25日)は、日本の政治家、労働運動家。衆議院議員(4期)、三次市長(4期)などを歴任した。
田淵 実夫(たぶち じつお、1909年1月25日 - 199… 田淵 実夫(たぶち じつお、1909年1月25日 - 1991年3月8日)は、日本の俳人、政治家、民俗学者。 俳号・十風子。広島県三次市生まれ。関西大学卒、京都大学大学院言語学専攻博士課程満期退学。中学、高校、大学教師ののち、1947年、第23回衆議院議員総選挙に旧広島3区から日本社会党公認で出馬し初当選。1949年、落選。広島市立図書館長。広島市文化センター管理者。比治山女子短期大学教授、広島女学院大学教授。広島方言、石垣などを研究した。
永井 頴雄(ながい ひずお、1860年(万延元年3月) - … 永井 頴雄(ながい ひずお、1860年(万延元年3月) - 1908年(明治41年)5月29日)は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。 備後国甲奴郡本郷村(のち広島県双三郡甲奴村を経て甲奴町、現・三次市)生まれ。広島県会議員となる。 1892年の第2回衆議院議員総選挙において広島9区から自由党公認で立候補したが落選。1894年3月の第3回衆議院議員総選挙に再び立候補したが次点で落選。同年9月の第4回衆議院議員総選挙で当選した。衆議院議員を1期務め、1898年の第5回衆議院議員総選挙は不出馬。1908年に死去した。
山蔭 静夫(やまかげ しずお、1860年(万延元年3月) -… 山蔭 静夫(やまかげ しずお、1860年(万延元年3月) - 1948年(昭和23年)2月22日)は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。 備後国三谿郡矢井村(のち広島県双三郡吉舎村→吉舎町、現・三次市)の米田家に生まれる。のち、安芸国豊田郡竹仁村の山蔭家を継ぐ。農業を営み、竹仁村長、豊田郡農会長、広島県会議員となる。 1890年の第1回衆議院議員総選挙において広島6区から立憲改進党公認で立候補したが落選。1894年3月の第3回衆議院議員総選挙で立候補したが落選。1898年3月の第5回衆議院議員総選挙では進歩党から立候補して当選した。衆議院議員を3期務め、同年8月の第6回衆議院議員総選挙では憲政本党公認で立候補したが落選した。
和田 彦次郎(わだ ひこじろう、安政6年6月10日(1859… 和田 彦次郎(わだ ひこじろう、安政6年6月10日(1859年6月10日) - 昭和14年(1939年)7月12日)は、日本の衆議院議員、農商務官僚、貴族院勅選議員。正三位、勲一等。墓所は永平寺東京別院長谷寺。旧姓・世良。 備後国双三郡三良坂村(現在の広島県三次市)で、世良都平の二男として生まれた。明治3年(1870年)、和田村の豪農・和田良二郎の養子となった。広島の遷喬舎という英語学校で学んだ後、神戸に出て英米人について学んだ。明治13年(1880年)、大阪で中島信行・古沢滋・河津祐之・草間時福らとともに国会期成同盟結成に参加し、『日本立憲政党新聞』の発行にあたった。 明治25年(1892年)、第2回衆議院議員総選挙に国民協会から出馬し、当選。
米田 武八郎(よねだ ぶはちろう、1852年10月13日(嘉… 米田 武八郎(よねだ ぶはちろう、1852年10月13日(嘉永5年9月1日)- 1919年(大正8年)5月15日)は、明治から大正前期の銀行家、政治家。衆議院議員、広島県会議長。 備後国三谿郡、のちの広島県三谿郡吉舎村(双三郡吉舎村、吉舎町を経て現三次市)で、米田為三郎の長男として生れた。国学、漢学を修めた。1875年(明治8年)11月、家督を相続した。 副戸長、郡書記、町村連合会議員、同議長、広島県会議員、同常置委員、同議長、双三郡会議員、同議長、同参事会員、徴兵参事員、地方衛生会委員、広島県農会議長、双三郡教育会長、所得調査会長などを務めた。 1904年(明治37年)3月、第9回衆議院議員総選挙(広島県郡部、無所属)で当選し、衆議院議員に1期在任した。