鍋島 勢理(なべしま せり、1991年〈平成3年〉6月9日 … 鍋島 勢理(なべしま せり、1991年〈平成3年〉6月9日 - )は、日本の政治家。国民民主党所属の衆議院議員(1期)。東広島市議会議員(1期)を務めた。 広島県東広島市生まれ。東広島市立高美が丘小学校、東広島市立高美が丘中学校、近畿大学附属広島高等学校を経て、青山学院大学法学部を卒業後、ロンドン大学エネルギー環境経済 Postgraguate Certificate 修了。 2016年、東京電力に入社。2017年、一般社団法人CDO Club Japan理事。2020年、広島県にUターンし、東広島市嘱託職員を経て広島県庁で広報・デジタル戦略職員を経験。 2023年4月、東広島市議会議員選挙に出馬し、最多得票を獲得し初当選。
新谷 正義(しんたに まさよし、1975年3月8日 - )は… 新谷 正義(しんたに まさよし、1975年3月8日 - )は、日本の政治家、医師。自由民主党所属の衆議院議員(6期)。 衆議院厚生労働委員長、総務副大臣、厚生労働大臣政務官、自民党経済産業部会長、厚生関係団体委員長、厚生労働部会副部会長、国土交通部会副部会長、青年局次長、組織運動本部団体総局、運輸・交通関係団体委員会副委員長を歴任。 広島県東広島市生まれ、あおい保育園、東広島市立川上小学校、愛媛県愛光学園高等学校を経て、帝京大学医学部医学科を卒業。2001年3月、国家試験に合格して医師として日本赤十字医療センター入局。2004年に東京大学経済学部学士入学。茨城県鹿嶋市で医療法人晴生会を設立し、鹿嶋市や札幌市に病院を建設。
中川 俊直(なかがわ としなお、1970年〈昭和45年〉4月… 中川 俊直(なかがわ としなお、1970年〈昭和45年〉4月25日 - )は、日本の政治家、政治記者、舞台俳優。俳優としての芸名は中川 サンタ朗(なかがわ サンタろう)。 テレビ東京社員を務めたのち、衆議院議員(2期)、経済産業大臣政務官、日本精神対話学会会長を歴任。父方の祖父は一級建築士で三井建設常務を務めた佐藤胖、母方の祖父は衆議院議員を務めた中川俊思。父は衆議院議員、科学技術庁長官、内閣官房長官を歴任した中川秀直。 広島県東広島市出身。東広島の西条幼稚園、広島県東広島市立西条小学校、東京都港区立青山中学校、日本大学鶴ヶ丘高等学校卒業。中学高校時代は陸上競技(3000メートル競走など)に打ち込んだ。
菅川 健二(すげかわ けんじ、1938年11月13日 - )… 菅川 健二(すげかわ けんじ、1938年11月13日 - )は、日本の政治家・官僚。元参議院議員(1期)。 広島県東広島市出身。東広島市立西条中学校卒業。広島県立賀茂高等学校卒業後、1962年東京大学法学部卒業。同年、自治省に入省。消防庁防災管理課長補佐、自治省公営企業一課長補佐、同財政局課長、兵庫県教育次長、1980年広島県企画部長、1986年同総務部長、広島県立美術館長、広島県教育委員会教育長を経て、1993年に広島県知事選に出馬するも落選。1994年広島大学教育学部客員講師(教育政策担当)。1995年新進党から公認を受けて、第17回参議院議員通常選挙で参議院議員に初当選し、1期務めた。 1998年新進党解党に伴い、改革クラブ結党に参画し、同党参議院政策審議会長に就く。
上田 博之(うえだ ひろゆき、1933年(昭和8年)1月1日… 上田 博之(うえだ ひろゆき、1933年(昭和8年)1月1日 - 2006年(平成18年)4月27日)は、日本の政治家。広島県東広島市出身。東広島市長(2期)。 1951年に広島県庁に入庁。 1998年、東広島市長に初当選。 2002年、無投票で再選。 2006年、健康状態の悪化を理由に3期目の市長選挙には出馬しないことを表明。同年4月23日、任期満了に伴う市長選が行われ、前県議の蔵田義雄が初当選した。 4月27日、上田は直腸癌のため任期満了の直前に死去、73歳没。死没日をもって瑞宝中綬章追贈、従五位に叙される。後任の蔵田義雄は急遽予定を繰り上げて翌4月28日に新市長に就任した。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
大山 正樹(おおやま まさき、1869年5月23日〈明治2年… 大山 正樹(おおやま まさき、1869年5月23日〈明治2年4月12日〉 - 没年不明)は、日本の醸造家、「大和花」醸造元、広島県酒造組合賀茂郡支部長、広島県多額納税者、政治家(広島県賀茂郡西志和村長)、名望家。 広島県賀茂郡西志和村(現東広島市)に生まれた。大山源之助の長男。1897年、家督を相続した。酒造業を営んだ。 1909年、村会議員に当選。1921年8月より1933年5月まで3期にわたり西志和村長在職。村長退職に際し村より影徳碑を建設された。 貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有した。 大山家は醤油醸造業を営んでいたが、正樹の父・源之助は明治初年に酒造業にあらため「大和花」と命名し斯業を経営した。
内藤 守三(ないとう もりぞう、安政4年2月13日(1857… 内藤 守三(ないとう もりぞう、安政4年2月13日(1857年3月8日) - 昭和21年(1946年)2月22日)は、実業家、政治家。国勢調査創設者。安芸国賀茂郡板城村馬木(現在の広島県東広島市)出身。幼名・太郎一。 若くして庄屋をつとめ、戸長にもなる。竹原の学館で漢学を修め1870年上京、東京開成学校で英語、法律、国勢学(統計学)を、皇典講究所で国学を学ぶ。卒業後黒瀬川の浚渫事業に携わった後、実業家となり1888年呉市に呉土工会社を設立。呉海軍工廠の誘致・山陽鉄道の国有化等に尽力、また呉市二河公園の建設など同地の市街地整備にあたった。1892年には高性能爆弾の研究を進めていた下瀬雅允に資金を提供し、日露戦争で威力を発揮した下瀬火薬の開発に協力した。
黒川 修三(くろかわ しゅうぞう、1855年(安政2年2月)… 黒川 修三(くろかわ しゅうぞう、1855年(安政2年2月) - 1922年(大正11年)4月25日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 安芸国賀茂郡(のち広島県賀茂郡東志和村→志和町、現・東広島市)生まれ。賀茂郡書記、戸長、広島県会議員、同副議長となる。 1890年の第1回衆議院議員総選挙において広島5区から無所属で立候補するが次点で落選した。1892年の第2回衆議院議員総選挙では中央交渉会から立候補して当選した。衆議院議員を1期務め、1894年の第3回衆議院議員総選挙では無所属で立候補して次点で落選した。 のちに北海道に渡り、鉱山業に従事した。1922年に死去した。
穐山 忠夫(秋山、あきやま ただお、1853年11月(嘉永6… 穐山 忠夫(秋山、あきやま ただお、1853年11月(嘉永6年10月) - 1904年(明治37年)5月13日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。 安芸国豊田郡、のちの広島県豊田郡乃美村(豊栄町を経て現東広島市)出身。広島県会議員、同郡部会副議長、同議長となる。 1890年の第1回衆議院議員総選挙において広島6区から立憲改進党公認で立候補したが落選。1892年の第2回衆議院議員総選挙で再び立候補したが落選。1894年の第3回衆議院議員総選挙では無所属で立候補して当選した。1898年3月の第4回衆議院議員総選挙で再選。同年9月の第5回衆議院議員総選挙には出馬しなかった。1904年に死去した。
脇 栄太郎(脇 榮太郎、わき えいたろう、1847年(弘化4… 脇 栄太郎(脇 榮太郎、わき えいたろう、1847年(弘化4年10月) - 1908年(明治41年)12月7日)は、明治時代の政治家。衆議院議員(当選4回)。 安芸広島藩領賀茂郡、のちの寺西村(広島県賀茂郡西条町、寺西村、寺西町、西条町を経て現東広島市)出身。12、3歳の時に京師、浪花に数年遊学する。漢籍および剣術を修めた。業成ると故郷に帰り、家業の農業、醸造業等に従事する。 農兵組頭、庄屋、戸長、第八大区書記、賀茂郡書記を経て、1882年(明治15年)、広島県会議員に当選。広島県会議員、同常置委員、同議長などを務めた。ほか、山陽鉄道、中国紡績各重役、私立関西中学校財団理事などを歴任した。 1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では広島県第5区から出馬し当選。
松浦 唯次郎(まつうら ただじろう、1834年(天保5年5月… 松浦 唯次郎(まつうら ただじろう、1834年(天保5年5月) - 1901年(明治34年)5月4日)は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。 安芸国賀茂郡津江村(のち広島県賀茂郡下黒瀬村→黒瀬町、現・東広島市)生まれ。漢籍を学ぶ。豊田郡松江村(のち沼田西村、現・三原市)、下北方村(のち北方村、現・三原市)各庄屋、豊田郡戸長、広島県第九大区長、豊田郡長、学区取締、豊田郡徴兵事務官、検疫委員、日本赤十字社豊田郡委員長となる。 1892年の第2回衆議院議員総選挙において広島5区から中央交渉会で立候補して当選した。衆議院議員を1期務め、1894年の第3回衆議院議員総選挙は不出馬。1901年に死去した。