立石 正広(たていし まさひろ、2003年11月1日 - )… 立石 正広(たていし まさひろ、2003年11月1日 - )は、山口県防府市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。阪神タイガース所属。 華浦小学校1年の時に華浦スポーツ少年団に入団して野球を始め、中高一貫の高川学園高等学校・中学校に進学。高等部では1年春からベンチ入り。2年秋からは主力で、3年の夏は山口県大会で優勝し、第103回全国高等学校野球選手権大会に出場。1回戦の小松大谷高等学校戦ではバックスクリーンへの2ラン本塁打を打ちチームのサヨナラ勝ちに貢献したが、2回戦の神戸国際大学附属高等学校戦では4打席凡退で逆転負けを喫した。 創価大学に進学すると東京新大学野球連盟に所属する硬式野球部に入部。
岩本 輝(いわもと あきら、1992年10月21日 - )は… 岩本 輝(いわもと あきら、1992年10月21日 - )は、山口県防府市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。右投左打。現在は阪神の球団職員(アカデミーコーチ)。 小学校3年生から野球を始める。防府市立桑山中学校への在学時には、野球部のエースとして、山口県大会優勝・中国大会準優勝を経験した。 山口県立南陽工業高等学校では、1年生の秋から投手を務め、2年生春のセンバツでは2試合連続完投勝利でベスト8に進出、3年生夏の甲子園では中京大中京高との1回戦で99球無四球完投したが1-2で敗れる。 2010年のNPBドラフトで、阪神が4巡目指名し、契約金4,000万円、年俸600万円(金額は推定)で入団する。
宇多村 典明(うたむら のりあき、1982年2月5日 - )… 宇多村 典明(うたむら のりあき、1982年2月5日 - )は、山口県防府市出身の元社会人野球選手(一塁手)である。 防府市立富海中学校から南陽工業高校へ進む。南陽工時代は一塁手を務めチームの主砲として活躍したが、甲子園出場はならなかった。その後九州国際大学に進学し、同級生に嶋村一輝がいた。3年次の2002年春季の九州六大学リーグで打点王に輝く活躍で優勝に貢献し、敢闘賞を受賞するとともに指名打者としてベストナインにも選ばれた。同年秋には主将を務めて九州大学野球選手権で優勝し、明治神宮野球大会にも出場している。神宮大会では三番・三塁手を務め、初戦で久保裕也を擁する東海大学に勝利。しかし準決勝の対亜細亜大戦で永川勝浩に完封負けを喫し、自身も無安打だった。
高木 豊(たかぎ ゆたか、1958年〈昭和33年〉10月22… 高木 豊(たかぎ ゆたか、1958年〈昭和33年〉10月22日 - )は、山口県防府市出身(山口市生まれ)の元プロ野球選手(内野手、外野手)・コーチ、解説者・評論家、YouTuber、タレント。 山口県山口市で生まれる。父親の仕事の都合で転居が多く、福岡県→鹿児島県→愛媛県大洲市→福岡県→北海道帯広市へと転居を繰り返すが、中学3年の2学期に母方の郷里である山口県防府市へ単身で移り住む。転勤族のため、せめて高校時代は転校なしで済ませたいという両親の配慮であった。 野球では中学3年時に北北海道地区で頭角を現し、多々良学園高校に進学。1974年には1年生ながらエース、三番打者として秋季中国大会まで進む。
西本 和美(にしもと かずみ、1958年8月19日 - )は… 西本 和美(にしもと かずみ、1958年8月19日 - )は、山口県防府市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投両打。 防府高から筑波大学に進学。首都大学野球リーグでは1980年秋季リーグから一部リーグに復帰。優勝には届かなかったが、1981年春季リーグでは3位と健闘した。1年下のチームメートに外野手の松本稔がいた。 1981年オフに、ドラフト外で読売ジャイアンツに入団。チーム初の国立大学出身選手として注目を集めた。俊足好打の内野手と期待され、1984年には終盤の2試合に遊撃手として先発。 1985年3月、山本勝哉との交換トレードで日本ハムファイターズに移籍。同年は遊撃手、二番打者として9試合に先発出場を果たす。
松崎 泰治(まつざき やすじ、1952年7月14日 - 20… 松崎 泰治(まつざき やすじ、1952年7月14日 - 2011年7月)は、山口県防府市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。 防府商業高では、1969年秋季県大会準決勝に進むが柳井商工に敗退。翌1970年夏の大会でも西中国大会1回戦で安来高に敗れる。高校卒業後は、社会人野球の協和発酵に入団。1975年にはチームとして25年目の都市対抗初出場を果たす。その後も好守好打の内野手として活躍。 1976年のプロ野球ドラフト会議でヤクルトスワローズから2位指名を受け入団。 1980年には4試合、1981年には3試合に三塁手として先発出場するが、レギュラーには届かず1982年限りで現役引退。 1980年10月11日イースタンのロッテ戦にてサイクル安打を記録している。
御園生 崇男(みそのお たかお、1916年1月16日 - 1… 御園生 崇男(みそのお たかお、1916年1月16日 - 1965年7月10日)は、山口県防府市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者・評論家。 日本プロ野球史上2人目のシーズン無敗を達成した。 1916年1月16日に山口県防府市で生まれる。山口県立山口中学校在学時は1933年の第10回選抜中等学校野球大会に出場経験を持つ。進学先の関西大学体育会野球部では新人戦で完封勝利を記録するなど話題の投手となり1936年2月1日に設立されたばかりの大阪タイガースから誘われると僅か1年で大学を中退し、入団した。 入団当初から主戦投手として活躍し、同年5月27日の対阪急軍戦で初勝利を挙げると、1937年秋季には15試合に登板して11勝無敗、勝率1.000の大活躍でタイガースの初優勝に貢献した。