スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
岩本 輝(いわもと あきら、1992年10月21日 - )は… 岩本 輝(いわもと あきら、1992年10月21日 - )は、山口県防府市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。右投左打。現在は阪神の球団職員(アカデミーコーチ)。 小学校3年生から野球を始める。防府市立桑山中学校への在学時には、野球部のエースとして、山口県大会優勝・中国大会準優勝を経験した。 山口県立南陽工業高等学校では、1年生の秋から投手を務め、2年生春のセンバツでは2試合連続完投勝利でベスト8に進出、3年生夏の甲子園では中京大中京高との1回戦で99球無四球完投したが1-2で敗れる。 2010年のNPBドラフトで、阪神が4巡目指名し、契約金4,000万円、年俸600万円(金額は推定)で入団する。
摩嶋 一整(まじま かずまさ、1991年10月16日 - )… 摩嶋 一整(まじま かずまさ、1991年10月16日 - )は、日本の男性総合格闘家。山口県周南市出身。毛利道場所属。元Rebel FCフェザー級王者。 3歳から柔道を始め、山口県立南陽工業高校柔道部時代にはインターハイ、国体に出場した。20歳の時に運動不足解消のために毛利道場に入門し、2013年、21歳でプロデビュー。 2014年10月12日、全日本アマチュア修斗選手権ウェルター級(-70kg)に参戦。準決勝で松嶋こよみに敗れ、3位に終わった。 2015年6月21日、修斗新人王決定トーナメントライト級(-65kg)1回戦で岩本達彦と対戦し、2Rにキムラロックで一本勝ち。12月20日、決勝戦で湯川和弥と対戦し、1Rに腕ひしぎ十字固めで一本勝ちを収め、同年度のライト級新人王と敢闘賞を獲得した。
宇多村 典明(うたむら のりあき、1982年2月5日 - )… 宇多村 典明(うたむら のりあき、1982年2月5日 - )は、山口県防府市出身の元社会人野球選手(一塁手)である。 防府市立富海中学校から南陽工業高校へ進む。南陽工時代は一塁手を務めチームの主砲として活躍したが、甲子園出場はならなかった。その後九州国際大学に進学し、同級生に嶋村一輝がいた。3年次の2002年春季の九州六大学リーグで打点王に輝く活躍で優勝に貢献し、敢闘賞を受賞するとともに指名打者としてベストナインにも選ばれた。同年秋には主将を務めて九州大学野球選手権で優勝し、明治神宮野球大会にも出場している。神宮大会では三番・三塁手を務め、初戦で久保裕也を擁する東海大学に勝利。しかし準決勝の対亜細亜大戦で永川勝浩に完封負けを喫し、自身も無安打だった。
椎木 匠(しいぎ たくみ、1971年7月25日 - )は、山… 椎木 匠(しいぎ たくみ、1971年7月25日 - )は、山口県徳山市(現:周南市)出身の元プロ野球選手(捕手、右投左打)、野球指導者。 中学時代は投手で山口県大会で優勝している。 南陽工業高校では2年間は内野手で出場し、3年の時に捕手へ転向する。1989年春季県大会決勝に進むが、桜ケ丘高に延長10回サヨナラ負け。 同年オフにドラフト外で中日ドラゴンズに入団。1995年に一軍に上がり、中村武志の控えではあるが、11試合に先発マスクを被る。1997年オフに無償トレードで千葉ロッテマリーンズへ移籍。1998年には吉鶴憲治、清水将海と正捕手を争い、23試合に先発出場。その後も一軍で起用されるが、打撃面の弱さもあってレギュラーには届かなかった。
津田 恒実(つだ つねみ、1960年8月1日 - 1993年… 津田 恒実(つだ つねみ、1960年8月1日 - 1993年7月20日)は、山口県都濃郡南陽町(後に新南陽市を経て、現:周南市)出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。愛称は「ツネ」「炎のストッパー」。旧名「恒美」(読み同じ)。 山口県都濃郡南陽町(現:周南市)の山間部・和田地区(旧和田村)出身。南陽工高では、1年時からエース投手として活躍していた。 1978年の第50回選抜高等学校野球大会に出場、準々決勝に進むが福井商に敗退。同年の第60回全国高等学校野球選手権大会では2回戦まで駒を進めるが天理高に0-1で惜敗。 卒業後は防府市に本拠を置いていた社会人野球の協和発酵に入社。 1981年の都市対抗に電電中国の補強選手として出場。
吉本 博(よしもと ひろし、1956年10月15日 - )は… 吉本 博(よしもと ひろし、1956年10月15日 - )は、山口県徳山市出身の元プロ野球選手(捕手、内野手、外野手)・コーチ。 在日韓国人であり、本名および韓国プロ野球(KBO)での登録名は、宋 才博(ソン・ジェバク、송재박)。 南陽工業高校では大型捕手として注目を集め、1974年のドラフト3位で太平洋クラブライオンズに入団。膝の故障で長く一軍に定着できなかった。 1979年には長打力を買われフロリダキャンプに選抜され、4月21日のロッテ戦(川崎)でシーズン初出場。この試合は終盤までに山村善則・伊原春樹と三塁を守れる選手を使い果たしてしまった為、本来捕手である吉本が途中から三塁の守備に就いたが、吉本が現役時代に三塁を守ったのは後にも先にもこの試合だけである。