高村 正大(こうむら まさひろ、1970年(昭和45年)11… 高村 正大(こうむら まさひろ、1970年(昭和45年)11月14日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(4期)。自由民主党遊説局長、同副幹事長。 法務副大臣(第2次石破内閣)、外務大臣政務官(第2次岸田第2次改造内閣・第1次石破内閣)、財務大臣政務官(第1次岸田内閣・第2次岸田内閣)などを歴任した。 山口県光市出身(現住所は周南市三番町)。慶應義塾高等学校卒業。1994年3月、慶應義塾大学商学部卒業。同年4月、慶應義塾大学法学部政治学科に学士入学。並行して同年6月、父の高村正彦経済企画庁長官秘書官。1996年3月、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。同年4月、電通入社。 2008年5月、高村正彦外務大臣秘書官。
芳岡 統(よしおか おさむ、1968年(昭和43年)12月7… 芳岡 統(よしおか おさむ、1968年(昭和43年)12月7日 - )は日本の政治家。光市長(1期)。 山口県光市出身。光市立島田小学校、山口大学教育学部附属光中学校、山口県立光高等学校、大分大学工学部を卒業し、同大学院工学研究科を修了。新日鐵化学に勤務した後、光市役所に入る。市役所内では秘書係長、商工観光課長や議会事務局次長、教育、経済部長を務めた。 2024年4月に芳岡は10月の市長選挙に立候補することを表明、光市長市川熙の後継者に指名された。10月の市長選挙では芳岡は自民、公明、連合山口の推薦を受け、JR光駅のバリアフリー化の早期実現や、学校給食の無料化などを訴え、元市議会議長、元市議会副議長の新人2人を破り、初当選を果たした。
末岡 泰義(すえおか やすよし、1948年(昭和23年)5月… 末岡 泰義(すえおか やすよし、1948年(昭和23年)5月16日 - )は、日本の政治家。前・山口県光市長で、山口県市長会会長、日本の森・滝・渚全国協議会会長、全国自治体病院開設者協議会副会長などを歴任した。
市川 熙(いちかわ ひろし、1947年〈昭和22年〉9月2日… 市川 熙(いちかわ ひろし、1947年〈昭和22年〉9月2日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日中綬章。元山口県光市長(4期)。元光市議会議員(4期)。 山口県光市生まれ。山口県立光高等学校、早稲田大学法学部卒業。 1994年5月、光市議会議員選挙に出馬し、初当選を果たした。以後4期連続当選。2004年、光市の合併に伴い一旦市議を失職するが、市議選で4選を果たし、同年12月には光市議会議長に就任した。議長在任中、山口県市議会議長会会長を務める。2008年9月、光市議を辞職。光市長選挙に出馬し、山口県第1区選出の高村正彦衆議院議員の元秘書で前光市議会議員の河村龍男(民主党推薦)ら2人の対立候補を破り、初当選。
松岡 満寿男(松岡 滿壽男、まつおか ますお、1934年〈昭… 松岡 満寿男(松岡 滿壽男、まつおか ますお、1934年〈昭和9年〉10月4日 - 2024年〈令和6年〉6月9日)は、日本の政治家。参議院議員(2期)、衆議院議員(1期)、山口県光市長(3期)を務めた。 旧・満洲国生まれ。戦後、山口県光市にて育つ。満寿男の名は大叔父の松岡洋右が「満洲の満、ジュネーブ(寿府)の寿から名づけた。山口県立光高等学校全日制普通科卒業。早稲田大学政治経済学部卒業。 早稲田大学を卒業後、八幡製鐵(現日本製鉄)に勤めていたが、1971年(昭和46年)に父三雄が市長在職のまま急逝し、後任の光市長候補に担ぎ出され、36歳で初当選した。その後3回当選し、行政経験のない世襲の新米市長だったが多くの功績を残した。
村﨑 義正(むらさき よしまさ、1933年3月7日 - 19… 村﨑 義正(むらさき よしまさ、1933年3月7日 - 1990年2月23日)は、日本の猿まわし師、政治家。 山口県光市出身。「周防猿まわしの会」初代会長。元山口県光市議会議員(3期)。 地区で一番富裕な家に生まれる。家長である祖父・村﨑梅二郎は、土建業・猿回しの親方などを営んでおり、義正は梅次郎の一人息子・勝正の次男であったが、小学校入学時に兄とともに祖父にひきとられ、厳格に育てられる。毎日仕事を課され遊ぶ暇もない毎日であったが、その中で創意工夫をこらして遊ぶ時間を生み出すなど試練を跳ね返すバイタリティと才覚を身につけていく。だが、1948年に祖父が死去し、村﨑家は没落。兄は家出し、17歳の義正は妹一人と弟五人をかかえて、さまざまな非合法行為まで行い一家を支える。
久芳 庄二郎(くば しょうじろう、1892年(明治25年)9… 久芳 庄二郎(くば しょうじろう、1892年(明治25年)9月20日 - 1965年(昭和40年)7月31日)は、大正から昭和期の教育者、政治家。衆議院議員。旧姓・山本。 山口県熊毛郡島田村(周南町、光町を経て現光市)で山本家に生まれ、久芳安之進の養子となる。1912年(明治45年)山口県師範学校を卒業した。 その後、山口県視学、公立国民学校訓導、同校長、萩市青年団長、萩市女子青年団長、山口県青年学校教育会理事長、日本体育会山口県支部評議員、日本教育会山口県支部国民学校教育部会長、光市島田農業協同組合長などを務めた。山口市内の小学校で教員として勤務していた大正時代後期には、山口県阿武郡を拠点とする教育実践グループ「更新会」に所属し、機関紙「更新」においてエッセイを寄稿するなど活動に参画していた。
松岡 洋右(まつおか ようすけ、1880年(明治13年)3月… 松岡 洋右(まつおか ようすけ、1880年(明治13年)3月4日 - 1946年(昭和21年)6月27日)は、日本の外交官、政治家。 南満洲鉄道(満鉄)総裁を務め、満洲国の実力者「弐キ参スケ」の一人とされた。第2次近衛内閣では外務大臣に就任し、日独伊三国同盟や日ソ中立条約締結を推進。しかしドイツのソ連侵攻後は南進論が大勢を占める政府で北進論を主張し、第3次近衛内閣発足を機に事実上外相を解任された。アメリカ合衆国外交官ジョセフ・グルーと親交があり、佐藤栄作は義理の甥にあたる(妹の娘婿で養子)。 1880年(明治13年)3月4日廻船問屋の四男として、山口県熊毛郡室積村(現:光市室積)で生まれた。 洋右が11歳の時に父親が事業に失敗し破産したことや、親戚が渡米し成功していたことから、1893年(明治26年)に留学のため13才で渡米する。
矢島 専平(やじま せんぺい、1876年〈明治9年〉3月4日… 矢島 専平(やじま せんぺい、1876年〈明治9年〉3月4日 - 1955年〈昭和30年〉6月17日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。旧姓・小倉。 山口県熊毛郡島田村(周南町、光町を経て現光市)出身。小倉甚吉の三男として生まれ、矢島作郎の養子となる。1898年(明治31年)陸軍士官学校(10期)卒。陸軍歩兵大尉となり、日露戦争に参加する。その後、長周銀行頭取、下松銀行、北満州金鉱(株)各取締役となる。 1920年(大正9年)第14回衆議院議員総選挙において山口7区から無所属で立候補して当選する。のち、庚申倶楽部に入り、衆議院議員を1期務め、1924年(大正13年)第15回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。
小倉 甚吉(おぐら じんきち、1846年(弘化3年5月) -… 小倉 甚吉(おぐら じんきち、1846年(弘化3年5月) - 1911年(明治44年)3月9日)は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。 周防国熊毛郡島田村(のち山口県熊毛郡島田村、周南町、光町を経て現・光市)生まれ。萩明倫館で学ぶ。熊毛郡御用掛、島田村会議員、同副議長、山口県会議員、所得税調査委員、徴兵参事員となる。 1893年9月、曽禰荒助の辞職による山口4区の補欠選挙に立候補して当選した。衆議院議員を1期務め、1894年の第3回衆議院議員総選挙は不出馬。1911年に死去した。