泉 理彦(いずみ みちひこ、1961年〈昭和36年〉11月2… 泉 理彦(いずみ みちひこ、1961年〈昭和36年〉11月23日 - )は、日本の政治家。徳島県鳴門市長(5期)。 徳島県鳴門市出身。父は、鳴門市議会議長を務めた泉善治。1980年、徳島県立鳴門高等学校理数科から京都産業大学法学部に進学し、1984年に卒業。1988年に鳴門市役所に入職し、国民年金課保健係、税務課収納係、特定事業第2課、社会福祉課保護係、農業委員会農地係長、介護保険課介護管理係長、介護給付係長などを歴任し、市職員を14年間務めた後、2003年4月に鳴門市議会議員に初当選。議会解散に伴う2005年12月18日執行の出直し市議会議員選で再選を果たす。 2009年8月22日、前市長・吉田忠志が在任中に病死。
亀井 俊明(かめい としあき、1943年(昭和18年)7月2… 亀井 俊明(かめい としあき、1943年(昭和18年)7月25日 - )は、日本の政治家。実業家。元鳴門市長(2期)、元徳島県議会議員。 徳島県鳴門市出身。1967年、徳島大学工学部卒業。同年に亀井組代表取締役に就任。1979年、鳴門土地開発代表取締役に就任。 1987年、徳島県議会議員に出馬し当選。1999年、鳴門市長選に出馬し当選、2007年まで務めた。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
山本 幸男(やまもと ゆきお、1939年(昭和14年)9月2… 山本 幸男(やまもと ゆきお、1939年(昭和14年)9月21日 - 2019年(平成31年)1月4日)は、日本の政治家。警察官。鳴門市長。徳島県鳴門市出身。 1965年、京都大学法学部卒業。同年に警察庁入庁。大阪府警察・警察庁公安第一課・北海道警察・福井県警察・警視庁公安部を経て1973年に退官。1974年、サンカラー代表取締役社長に就任。 1995年、鳴門市長選に当選し1999年まで務める。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
矢野 茂文(やの しげふみ、1930年〈昭和5年〉11月27… 矢野 茂文(やの しげふみ、1930年〈昭和5年〉11月27日 - 2021年〈令和3年〉1月22日)は、日本の政治家。位階は従四位。 鳴門市長。徳島県鳴門市出身。 1949年、徳島県立鳴門高等学校卒業。1958年、徳島県青年連合会会長に就任。1962年、日本青年館中央理事に就任。1965年、日本青年団協議会会長に就任。 1967年、鳴門市議会議員に初当選。1971年、徳島県議会議員に初当選。1987年、鳴門市長選に当選し1995年まで務める。 2021年1月22日、死去。90歳没。死没日をもって従四位に叙される。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
谷 光次(たに みつじ、1907年〈明治40年〉2月2日 -… 谷 光次(たに みつじ、1907年〈明治40年〉2月2日 - 2002年〈平成14年〉11月30日)は、日本の政治家。弁護士。鳴門市長。京都帝国大学法学部法科卒業。徳島県鳴門市出身。 板野郡撫養町(現在の鳴門市)で生まれた。父は撫養町長を務めた谷伊七郎。旧制山口高等学校を経て、1931年(昭和6年)に京都帝国大学法学部法科卒業。 大学卒業後、京都市と徳島市で弁護士として務め、徳島市選管委員長、徳島県出納長、徳島県弁護士会会長を経て1959年(昭和34年)に鳴門市長に初当選。その後、28年間、7期に渡り鳴門市長を務めた。1978年(昭和53年)には、西ドイツ政府からドイツ連邦共和国功労勲章大功労十字章が贈られた。
近藤 尚之(こんどう ひろゆき、1902年(明治35年)12… 近藤 尚之(こんどう ひろゆき、1902年(明治35年)12月18日 - 1970年(昭和45年))は、日本の政治家。初代鳴門市長。 旧板野郡撫養町出身。1920年(大正9年)、徳島県立撫養中学校(現在の徳島県立鳴門高等学校)卒業。1927年(昭和2年)、製塩業に従事し1939年(昭和14年)に徳島県塩業組合幹事に就任。 1942年(昭和17年)、旧撫養町議会議員に当選。1947年(昭和22年)に鳴門市が誕生し初代市長に就任する。1951年(昭和26年)に退任し、その後は徳島県人事委員会委員となる。1955年(昭和30年)に再び鳴門市長に就任し1959年(昭和34年)まで務めた。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
伊藤 皆次郎(いとう みなじろう、1887年(明治20年)5… 伊藤 皆次郎(いとう みなじろう、1887年(明治20年)5月10日 - 1960年(昭和35年)9月24日)は、日本の政治家、実業家。徳島県鳴門市出身。 伊藤縫吉の長男として板野郡里浦村(現在の鳴門市里浦町里浦花面)で生まれる。1908年(明治41年)徳島県師範学校を卒業。長く教職に就いていたが、退職後は実業家となり、和布製造の里浦商事会社を起した。 1919年(大正8年)より里浦村長に就任し、以来、12年間務める。1927年(昭和2年)、徳島県会議員に当選。1932年(昭和7年)、第18回衆議院議員総選挙で当選。 1960年(昭和35年)9月24日、74歳で没する。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
岡 順次(おか じゅんじ、1877年〈明治10年〉4月2日 … 岡 順次(おか じゅんじ、1877年〈明治10年〉4月2日 - 1964年〈昭和39年〉10月14日)は、日本の政治家、実業家。徳島県鳴門市出身。位階は従七位。勲等は勲四等瑞宝章。 板野郡撫養町(現在の鳴門市)で生まれた。公友会派に属した。1911年(明治44年)10月1日から板野郡選出の徳島県会議員を務めた。また、1915年(大正4年)10月12日から1918年(大正7年)12月25日まで第24代同副議長を、同日から1919年(大正8年)9月30日までと、同年10月14日から1920年(大正9年)5月11日まで第22・23代同議長を務めた。その他、大津村長、徳島倉庫取締役、徳島民報社取締役会長、徳島毎夕新聞社長などを務めた。
高島 兵吉(たかしま ひょうきち、1865年8月6日〈慶応元… 高島 兵吉(たかしま ひょうきち、1865年8月6日〈慶応元年6月15日〉 - 1946年〈昭和21年〉2月20日)は、日本の政治家。徳島県鳴門市出身。 板野郡撫養町(現在の鳴門市)で生まれた。後に那賀郡答島で石灰製造業を営んだ。 その後、1903年(明治36年)10月1日から1918年(大正7年)4月8日まで徳島県会議員を務めた。同日、衆議院選挙のため県会議員を辞職し、同月15日の衆議院議員補欠選挙で当選した。1936年(昭和11年)まで通算5回当選した。当初は立憲改進党に所属し、犬養毅に私淑し、行動を共にした。その後、憲政本党、立憲国民党、革新倶楽部、立憲民政党に属した。1937年(昭和12年)の第20回総選挙に当時の徳島県第2区から立候補したが、中立候補で新人の三木武夫らに敗れ落選した。
阿部 興人(あべ おきと〈おきんど〉、1845年10月5日〈… 阿部 興人(あべ おきと〈おきんど〉、1845年10月5日〈弘化2年9月5日〉 - 1920年〈大正9年〉1月2日)は、日本の政治家・実業家。阿波国板野郡木津村(現在の徳島県鳴門市)出身。幼名は金兵衛。 阿波国木津村(現在の鳴門市撫養町木津)の名主・阿部猪蔵の5男として生まれる。その後、徳島藩士である阿部岸蔵の養嗣子となる。柴秋邨の思済塾に学び、後に塾頭となる。同じ塾生だった近藤廉平とは終生にわたる親友であった。1869年(明治2年)、益田武衛、南堅夫とともに外交御用となり上京。藩の給付を受けて慶應義塾に学んだが、すぐに帰郷した。 1870年(明治3年)、長州藩で起こった脱隊騒動の視察を命じられ、益田・南と共に徳大寺実則一行と蒸気船・戊辰丸(徳島藩船)に乗り、山口を視察。