德山 一翔(とくやま かずと、2002年4月11日 - )は… 德山 一翔(とくやま かずと、2002年4月11日 - )は、徳島県海部郡海陽町出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。左投左打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。 旧字体の使用できない報道機関などでは、姓は徳山と表記されることもある。 徳島県海部郡海陽町出身。小学2年時に海南クラブで野球を始め、海陽中学校時代に軟式野球部に所属。鳴門渦潮高校時代は主に一塁手を守っており、投手としては3番手であった。高校最後の2020年夏の独自大会でも3番手投手というポジションで終えた。高校時代の最高球速は138km/hであった。大学では投手で勝負すると決意し、高校卒業まで四国アイランドリーグplusの徳島インディゴソックスを指導しているトレーニング施設であり、球速向上に定評のある「インディゴコンディショニングハウス」に通った。
西田 優大(にしだ ゆうだい、1999年〈平成11年〉3月1… 西田 優大(にしだ ゆうだい、1999年〈平成11年〉3月13日 - )は、日本のプロバスケットボール選手。徳島県海部郡海陽町出身。ポジションはシューティングガード。Bリーグ B1・シーホース三河所属。身長190cm・90kg。左利き。 小3でバスケットボールを本格的に始める。海陽町立海陽中学校では全国大会に縁がなかったものの、U-16日本代表の合宿に参加していた。 福岡大学附属大濠高等学校では1年次にインターハイ優勝とウィンターカップ準優勝を経験、3年次にはU-18アジア選手権大会に日本代表として出場。 東海大学に進学し、2018年と2020年の全日本大学選手権で優勝し、優秀選手賞を受賞。 3年次の2019年12月に名古屋ダイヤモンドドルフィンズと特別指定選手契約を締結。
森 唯斗(もり ゆいと、1992年1月8日 - )は、徳島県… 森 唯斗(もり ゆいと、1992年1月8日 - )は、徳島県海部郡海南町(現:海陽町)出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者。右投右打。 浅川小学校1年生の時に外野手として野球を始め、4年生の時に投手になった。6年生の時には徳島県の少年野球の王者を決める「こども野球のつどい」で優勝。決勝では杉本裕太郎と対戦している。海陽中学校では軟式野球部に所属していた。 徳島県立海部高校では1年生の時にベンチ入りし、2年生の秋には背番号1をつけていた。3年生時の夏の甲子園・徳島大会では2試合に救援登板し、無失点だったが、チームは3回戦で敗れ、甲子園出場経験はない。 高校卒業後、当時クラブチームであった三菱自動車倉敷オーシャンズに入部。
平岡 政樹(ひらおか まさき、1985年7月1日 - )は、… 平岡 政樹(ひらおか まさき、1985年7月1日 - )は、徳島県海部郡出身の元プロ野球選手(投手)。
川島 郭志(かわしま ひろし、1970年3月27日 - )は… 川島 郭志(かわしま ひろし、1970年3月27日 - )は、日本の元プロボクサー、現在はプロモーター。徳島県海部郡海部町(現・海陽町)出身。元WBC世界スーパーフライ級王者。 現在は東京都大田区北千束で川島ボクシングジムを開設し、後進の育成に力を注いでいる。 デビュー当時、鬼塚勝也・ピューマ渡久地らと共に、平成三羽烏と呼ばれ注目されたが、新人時代に挫折したことで、他の二人に大きく遅れをとった。 プロデビュー当初は米倉健司会長の方針により、プロ向きのインファイトに近いスタイルであったが(特にジムの先輩でもある大橋秀行にファイトスタイルは酷似していた)徐々にアウトボクサーとしてのスタイルを確立していった。
大石 友好(おおいし ともよし、1954年1月15日 - )… 大石 友好(おおいし ともよし、1954年1月15日 - )は、徳島県海部郡宍喰町(現:海陽町)出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。 海南高校では尾崎健夫とバッテリーを組み、2年次の1971年に春季徳島大会で優勝するが、代表決定戦で徳島商(選抜代表校)に敗れて四国大会には進めなかった。同年夏も県予選準々決勝で池田高に敗れ、甲子園には出場できなかった。他の高校同期に北川裕司、後にセ・リーグ審判となる谷博、同志社大学から日本生命に進んだ花野巧がいた。高校卒業後の1973年、当初志望していた関西大学が学生運動の影響で野球部員としての募集を行っておらず、日本生命からのオファーもあったものの大学進学を希望したため先輩のつてを頼って北川と共に神奈川大学へ進学。
尾崎 健夫(おざき たてお、1954年1月9日 - )は、日… 尾崎 健夫(おざき たてお、1954年1月9日 - )は、日本のプロゴルファーである。 ジャンボ尾崎こと尾崎将司は兄で、ジョー尾崎こと尾崎直道は弟である。徳島県海陽町出身で海南高校野球部のエースとして活躍した。ドライバーショットがジェット機のように強烈なことから、アメリカの下部ツアー転戦時に若手プロらが「ジェット」と称して以来、ジェット、あるいは姓を続けてジェット尾崎、と愛称されている。 1998年から事実婚関係にあった女優の坂口良子と2012年8月10日、宍喰温泉ホテルリビエラで挙式し、その模様はTBS「ぴったんこカン・カン」で放映されたが、坂口とは翌2013年3月27日に死別。坂口良子との間に子供はなく、坂口の連れ子(坂口杏里とその兄)とは養子縁組をしておらず法的な親子関係はない。
尾崎 将司(おざき まさし、1947年1月24日 - 202… 尾崎 将司(おざき まさし、1947年1月24日 - 2025年12月23日)は、日本のプロゴルファー、元プロ野球選手。 本名およびプロ野球時代の登録名は尾崎 正司(読みは同じ)。徳島県海部郡宍喰町(現・海陽町)出身。 ジャンボ尾崎の別名でも知られ、公式ゴルフランキングでも“Masashi Jumbo Ozaki”と表記された。通称「ジャンボ」。この通称はデビュー間もない1970年5月にスポーツニッポンの紙面で紹介された際、大柄な体格から放たれるドライバーショットを当時日本でも就航したボーイング747(ジャンボジェット)になぞらえてつけられた。 世界ランキングの自己最高位は1997年ブリヂストンオープン優勝後の5位である。
上田 利治(うえだ としはる、1937年1月18日 - 20… 上田 利治(うえだ としはる、1937年1月18日 - 2017年7月1日)は、徳島県海部郡宍喰町(現:海陽町)出身のプロ野球選手(捕手)・コーチ・監督、解説者・評論家。 鮮魚店を営む家に5人兄弟の長男として生まれ、叔父は徳島県弁護士会の副会長であった。 上田の徳島の実家のすぐ近くには、高校の後輩となる元西鉄選手でプロゴルファーの尾崎将司、その実弟でゴルファーの健夫・直道の実家があった。 海南高校時代から捕手で、3年次の1954年には夏の甲子園県予選で準々決勝に進出するが、撫養高に惜敗。学業成績も優秀で、高校時代は野球の練習と生徒会の活動を同時に行いつつ、毎朝しっかりと勉強していたため、睡眠時間は4時間程度であったという。