森 夏枝(もり なつえ、1981年7月2日 - )は、日本の… 森 夏枝(もり なつえ、1981年7月2日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、京都維新の会代表を務めた。 愛媛県西条市出身。父親の森達正はスポーツ用品店経営の傍ら1995年より西条市議会議員を務め、2018年より「たぬき本舗」を設立し社長に就任、息子(専務)とともに経営している。 愛媛県立西条高等学校卒業。2001年に上海体育大学武術学部太極拳学科に交換留学する。2004年に鹿屋体育大学を卒業し、太極拳指導員になる。2008年に父親と「西条中央スポーツクラブ」を設立運営。2009年には内閣府の「世界青年の船」事業に参加した。 2011年の愛媛県議会議員選挙では西条市選挙区から無所属で立候補するも落選。
越智 三義(おち みつよし、1964年11月18日 - )は… 越智 三義(おち みつよし、1964年11月18日 - )は、日本の政治家、元地方公務員。愛媛県西条市長(1期)。愛媛県西条市出身。元西条市副市長。 愛媛県西条市出身。岡山大学を卒業後、西条市役所に入庁。 西条市役所では危機管理官、市民安全部長、産業経済部長、経営戦略部長などを歴任。2021年1月から副市長に就任し、当時の玉井敏久市長の下で副市長を務めた。副市長の任期途中であった2024年11月に一身上の都合を理由に高橋敏明市長らに退職届を提出し、退任した。 高橋敏明市長への不信任決議に伴う市長失職により行われた西条市長選挙に立候補。前職の高橋敏明と一騎打ちの選挙戦の中で、市議会最大会派や県建設業協会西条支部、労組関係団体などの支援を受ける組織戦で産業活性化などを訴えて、大票田の旧西条市を中心に支持を拡大。
玉井 敏久(たまい としひさ、1963年〈昭和38年〉7月1… 玉井 敏久(たまい としひさ、1963年〈昭和38年〉7月15日 - )は、日本の政治家。元愛媛県西条市長(2期)。元愛媛県議会議員(3期)。 愛媛県西条市出身。宮窪町立四阪島小学校、新居浜市立西中学校卒業。1982年(昭和57年)3月、愛媛県立西条高等学校卒業。同年4月、四国電力に就職。2000年(平成12年)、四国電力労働組合専従となる。 2007年(平成19年)4月の愛媛県議会議員選挙で民主党推薦の無所属として出馬し、初当選した。以後県議を3期務めた。 2011年4月の愛媛県議会議員選挙に再び民主党推薦の無所属として出馬し当選(2選)。 民主党の党籍を保有し、民主党愛媛県連の政調会長を務めた。
高橋 敏明(たかはし としあき、1958年6月5日 - )は… 高橋 敏明(たかはし としあき、1958年6月5日 - )は、日本の政治家、医師。愛媛県西条市長(1期)。 愛媛県西条市生まれ。愛媛県立西条高等学校、国立高知医科大学医学科卒業 。博士(医学)。整形外科医として従事し、ハーバード大学附属マサチューセッツ総合病院に留学。2005年より愛媛大学医学部附属病院整形外科講師に就任。2012年には愛媛大学医学部附属病院地域医療支援センター准教授・副センター長併任 。2019年には愛媛大学社会共創学部地域資源マネジメント学科スポーツ健康科学講座教授に就任 。2024年3月に愛媛大学を定年退職した。 2024年7月に同年11月に行われる西条市長選挙への立候補を表明。
青野 勝(あおの まさる、1957年(昭和32年)1月12日… 青野 勝(あおの まさる、1957年(昭和32年)1月12日 - )は、日本の政治家。元愛媛県西条市長(1期)。元愛媛県議会議員、旧東予市長。 愛媛県西条市出身。愛媛県立今治西高等学校、慶應義塾大学経済学部経済学科卒業。 農家の長男で慶応義塾大学を卒業に跡継ぎとして帰郷。1980年に周桑農業協同組合に入組し、組織指導課調査役や庶務課長を務めた。 1995年1月15日に行われた東予市長選挙に38歳で立候補し、現職の青野照雄に8,097票の大差をつけて破り初当選。選挙戦では藤原敏隆県議、市職員OB、同級生らの支援を受け、「新しい流れを」と訴えて草の根選挙を展開。現職批判票をまとめるとともに若さや清新さに期待する若者や女性を中心に支持を広げ、最後は地滑り的に大勝した。
伊藤 宏太郎(いとう こうたろう、1942年(昭和17年)1… 伊藤 宏太郎(いとう こうたろう、1942年(昭和17年)12月14日 - 2015年(平成27年)2月12日)は、日本の政治家。元愛媛県西条市長(通算5期)。西条市名誉市民。 愛媛県西条市生まれ、父親も元西条市長。松山商科大学(現在の松山大学)卒業。伊予銀行入社。1991年(平成3年)西条市議会議員に立候補し初当選。 西条市議会議員を1期務めた後は1995年4月に行われた市議会議員選挙には出馬せず、西条市長選挙に向けた準備を進めた。同年11月26日に公示された西条市長選挙に立候補。市長を務めていた桑原富雄が引退し、他に立候補者はなく無投票当選となった。 1999年11月の西条市長選挙では無投票当選を果たし2選。
青野 照雄(あおの てるお、1931年(昭和6年)10月24… 青野 照雄(あおの てるお、1931年(昭和6年)10月24日 - 2014年(平成26年)6月26日)は、平成時代の政治家。愛媛県東予市長。 東予市出身。1949年(昭和24年)愛媛県立西条農業高等学校卒業。愛媛県庁に入庁し、1979年(昭和54年)愛媛県人事課長、1982年(昭和57年)調整監、1983年(昭和58年)総務部次長、1984年(昭和59年)議会事務局長を経て、1986年(昭和61年)公営企業管理局長、1987年(昭和62年)出納長に就任した。 1989年(平成元年)3月に退職し、1991年(平成3年)東予市長に当選。1期務めた。
藤田 高敏(ふじた たかとし、1923年8月30日 - 20… 藤田 高敏(ふじた たかとし、1923年8月30日 - 2016年2月15日)は、日本の政治家。元衆議院議員(通算8期)。元社会民主党愛媛県連顧問。元愛媛県議会議員(通算4期)。 愛媛県西条市出身。1938年に住友重機械工業に入社。その後、出征。復員後、復職、労組に加入し労働運動に携わる。 1951年、愛媛県議会議員選挙に立候補し初当選。以後4期連続当選。1963年に行われた第30回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧愛媛県第2区より立候補し当選。以後落選を挟んで8期の当選を果たす。 篤実な人柄で知られ、都市部では常に一定の支持層を持っていた。また、住友グループ労組の支援を受けていたものの保守系が圧倒的に強い地域ということもあり決して選挙に強いわけではなかった。
渡辺 本治(渡邊、わたなべ もとじ、1901年(明治34年)… 渡辺 本治(渡邊、わたなべ もとじ、1901年(明治34年)4月18日 - 1961年(昭和36年)3月14日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 愛媛県、後の西条市の農家に生まれる。10歳で父が死去し、商店や銅山で働き、17歳の時に一家で九州に移った。 1925年(大正14年)中島炭鉱に入社し採炭作業に従事。1933年(昭和8年)熊ヶ畑炭鉱(山田市)を開鉱。1936年(昭和11年)篠谷炭鉱(二瀬町)を開鉱。その後、伊岐須鉱・後牟田鉱(二瀬町)、赤間鉱(宗像町)、古月鉱(鞍手町)、稲築鉱、水江鉱などを経営し、渡辺鉱業社長、渡辺商事社長となる。1947年(昭和22年)小倉硝子工業を設立し社長に就任。
林田 哲雄(はやしだ てつお、1899年(明治32年)10月… 林田 哲雄(はやしだ てつお、1899年(明治32年)10月6日 ‐ 1958年(昭和33年)2月14日) は、大正から昭和期の農民運動家・政治家。衆議院議員。 愛媛県周桑郡小松村新屋敷(小松町新屋敷を経て現西条市小松町新屋敷)で、明勝寺住職・林田孝純の二男として生まれた。幼くして父が死去し母に養育された。小松小学校、西条中学校(現愛媛県立西条高等学校)を経て大谷大学に進学。1922年(大正11年)全国水平社創立大会に参加し、大学を中退して帰郷し水平運動を起こした。 1922年設立の日本農民組合に1923年(大正12年)に加わり農民運動を推進し、1925年(大正14年)別子銅山大争議を支援した。
青野 武一(靑野武一、あおの ぶいち、1899年(明治32年… 青野 武一(靑野武一、あおの ぶいち、1899年(明治32年)9月7日 - 1959年(昭和34年)12月9日)は、大正・昭和期の労働運動家、政治家。位階は正五位。 衆議院議員(4期)。配偶者は青野 喜代子。長男は青野 宏、次男は青野 徹、孫は青野 義弘、青野 光俊[要出典]。 愛媛県新居郡、のちの西条市で生まれる。高等小学校を卒業後、八幡製鐵所に入り職工として勤務。日本労友会に加わり、1920年(大正9年)同製鐵所の大争議に参加した。日本労友会が解散した後、1925年(大正14年)九州民権党が結成され執行委員に就任。その後、日本大衆党、労農大衆党、社会大衆党、日本無産党などの八幡支部書記長を務めた。
近藤 豊吉(こんどう とよきち、1877年(明治10年)9月… 近藤 豊吉(こんどう とよきち、1877年(明治10年)9月1日 - 1930年(昭和5年)4月15日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。 愛媛県桑村郡、後の周桑郡吉岡村(現西条市)で農家・近藤保太郎、フサ夫妻の三男として生まれる。父の事業の失敗で家産が傾き、家族総出で行商などを営む。1897年11月、歩兵第22連隊に入隊し、1898年10月、台湾守備隊に編入され渡台。1900年に除隊となるが、内野辰次郎中隊長の勧めで憲兵隊に志願するも馬術訓練中の事故で骨折し、その後の経過が思わしくないため、同年11月に後備役免除となった。 その後、北海道空知郡滝川村江部乙に移住していた兄・桝太郎の勧めで、1901年、母、妹と共に江部乙に移転。
岡本 栄吉(おかもと えいきち、1866年7月12日(慶応2… 岡本 栄吉(おかもと えいきち、1866年7月12日(慶応2年6月1日) - 1928年(昭和3年)5月7日)は、明治から大正時代の政治家、実業家、銀行家。貴族院多額納税者議員。 伊予国新居郡大町村(西条町を経て現西条市)で、素封家・岡本文吾の第四子として生まれる。西条育英館を卒業する。1905年(明治38年)家督を相続。1908年(明治41年)大町村会議員に当選。議員を務める傍ら西条水力電気設立に参画し、西条銀行頭取などを務めた。ほか、相続税審査、所得税調査各委員などを務めた。 1918年(大正7年)愛媛県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から1925年(大正14年)9月28日まで在任した。
長谷部 倉蔵(はせべ くらぞう、1860年12月9日(万延元… 長谷部 倉蔵(はせべ くらぞう、1860年12月9日(万延元年10月27日) - 1939年(昭和14年)2月8日)は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。 伊予国周敷郡小松村新屋敷(愛媛県周桑郡小松村、小松町を経て現西条市小松町)で、小松藩士・長谷部多内の長男として生まれた。小松藩校養正館で学ぶ。家業を継ぎ農業を営む。 越智郡波止浜村(現・今治市)、新居郡橘村(現・西条市)各村長、小松町長、愛媛県会議員、西条銀行取締役、周桑銀行監査役となる。 1904年の第9回衆議院議員総選挙において愛媛県郡部から立憲政友会公認で立候補してトップ当選した。衆議院議員を1期務め、1908年の第10回衆議院議員総選挙には不出馬。
工藤 干城(くどう たてき、1855年(安政2年4月)- 1… 工藤 干城(くどう たてき、1855年(安政2年4月)- 1916年(大正5年)5月2日)は、明治から大正初期の地主、実業家、政治家。衆議院議員、愛媛県新居郡神戸村長。旧姓・三並。 伊予国新居郡中野村(愛媛県新居郡中野村、神戸村を経て現西条市)で三並家に生れ、その後、神戸村の工藤淑三の養子となる。漢学を修めた。農業を営む。 自由民権運動に加わり、植松暢美らと政治団体・正志社を結成。大同団結運動では大同派東予倶楽部で活躍した。1883年(明治16年)愛媛県会議員に選出され、1894年(明治27年)3月まで在任し、同常置委員も務めた。 1894年(明治27年)3月、第3回衆議院議員総選挙(愛媛県第4区、自由党)で当選し、弥生倶楽部に所属し衆議院議員に1期在任。
久米 唯次(くめ ただじ、1843年11月24日(天保14年… 久米 唯次(くめ ただじ、1843年11月24日(天保14年10月3日) - 1915年(大正4年)4月25日)は、明治時代の政治家。貴族院多額納税者議員。 禎瑞新田(伊予国新居郡禎瑞村。愛媛県新居郡橘村を経て現西条市禎瑞)干拓以来の旧家、久米弥吉の長男として生まれる。農業を営み、1915年(大正4年)時点で直接国税2500円余を納めた。 学務委員に就任し禎瑞小学校(現西条市立禎瑞小学校)の建設に多額の寄付を行った。新居郡会議員などを務め、1897年(明治30年)愛媛県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日に就任したが、大病のため1898年(明治31年)6月7日に辞職した。