野田 海人(のだ かいと、2005年3月18日 - )は、福… 野田 海人(のだ かいと、2005年3月18日 - )は、福岡県大牟田市出身のプロ野球選手(捕手・育成選手)。右投右打。埼玉西武ライオンズ所属。 小学校4年生から軟式野球を始め、中学時代は高田ファイターズに所属。 九州国際大学附属高等学校では、捕手兼投手として硬式野球部に所属。3年春に出場した選抜大会ではベスト8、3年夏に出場した全国高等学校野球選手権大会ではベスト16だった。2021 WBSC U-18ワールドカップの日本代表に選出され、銅メダルだった。 2022年10月20日に行われたプロ野球ドラフト会議では埼玉西武ライオンズから3位指名を受け、11月9日に契約金3500万円、年俸600万円で仮契約を結んだ。
阿部 和成(あべ かずなり、1989年5月19日 - )は、… 阿部 和成(あべ かずなり、1989年5月19日 - )は、福岡県大牟田市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学1年時に大牟田イーグルスで軟式野球、5年時に投手を始める。6年時には、エースとして福岡県大会へ出場した。 田隈中学校への進学後に軟式野球部に所属すると、2年時の秋にチームを福岡県大会準決勝へ導いた。当時から県内屈指の好投手として評価されていたため、複数の高校から入学を勧誘されたが、実際には地元の大牟田高等学校へ進学。1年時の夏からエースとして活躍した。2年時の秋に福岡県大会優勝・九州大会準優勝を成し遂げたことから、3年時の春に第79回選抜高等学校野球大会へ出場。佐野日本大学高等学校との1回戦では、先発で8回3分の1を投げて7失点で敗れたものの、自責点は0であった。
村上 隆行(むらかみ たかゆき、1965年8月26日 - )… 村上 隆行(むらかみ たかゆき、1965年8月26日 - )は、福岡県大牟田市出身の元プロ野球選手(内野手・外野手、右投右打)、野球解説者、コーチ。現在はサムスン・ライオンズ一軍打撃コーチ。 トゥルーマサ所属。現役時代後半の登録名は村上 嵩幸(読み同じ)。 大牟田市で鮮魚商の家庭の長男として生まれ、弟と妹が一人ずついる。歴木中学校で本格的に野球を始め、同じ大牟田市出身の原辰徳に憧れて三塁手を務めた。中学3年生の時には巨人の宮崎キャンプを見学し、原から声をかけられたという。大牟田高校では1年生の間は一塁手、2年生からは投手を任された。高校時代の同級生に中島浩二がいた。 高校では練習試合で3階建ての校舎を越える本塁打を放つなど、強打でNPBのスカウトから注目されている。
立花 義家(たちばな よしいえ、1958年10月27日 - … 立花 義家(たちばな よしいえ、1958年10月27日 - )は、福岡県大牟田市出身の元プロ野球選手(外野手、左投左打)、コーチ。現在は福岡ソフトバンクホークス一軍打撃コーチ。
加倉 一馬(かくら かずま、1957年10月19日 - )は… 加倉 一馬(かくら かずま、1957年10月19日 - )は、福岡県大牟田市出身の元プロ野球選手(外野手)。1979年から1981年途中までの登録名は加倉 克馬(読み同じ)。
真弓 明信(まゆみ あきのぶ、1953年7月12日 - )は… 真弓 明信(まゆみ あきのぶ、1953年7月12日 - )は、福岡県大牟田市出身の元プロ野球選手(外野手、遊撃手、二塁手)、野球解説者。2009年から2011年まで阪神タイガース第32代監督を務めた。
矢野 俊一(やの としかず、1950年4月21日 - )は、… 矢野 俊一(やの としかず、1950年4月21日 - )は、福岡県大牟田市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。右投右打。1975年のみ登録名矢野 剛俊とした。 福岡・三池工高から三菱重工長崎を経て1972年ドラフト5位で大洋入団。1974年に一軍に定着、代打としての起用が多かったが、主に二塁手として7試合に先発出場を果たす。1976年にも外野手として12試合に先発。1978年11月無償トレードにてロッテに移籍。1979年も13試合に先発出場、一番打者としても3試合に起用されるが、1980年には出場機会がなく、同年限りで現役を引退。左投手にめっぽう強かった。引退後はジュウタン専門のクリーニング会社へ就職。
上田 卓三(うえだ たくぞう、1948年7月12日 - )は… 上田 卓三(うえだ たくぞう、1948年7月12日 - )は、福岡県大牟田市出身の元プロ野球選手(投手)。 原貢が監督を務めた三池工業高校の出身。1965年の第47回全国高等学校野球選手権大会に2年生ながらエースとして出場。初戦からの4試合を完投勝利、決勝に進む。銚子商との決勝でも、木樽正明との投手戦を2-0で制し、完封で優勝を飾る。しかし同年の岐阜国体は、準決勝で銚子商の木樽に完封を喫する。翌1966年夏は県予選準々決勝で横山晴久のいた小倉工に延長11回敗退。 同年秋、第1次ドラフト1位指名で南海ホークスへ入団。リリーフを中心に活躍するが、1970年以降は、他の左腕投手が村上雅則しかいないこともあり、ローテーションの谷間に先発もこなす。
小淵 泰輔(こぶち たいすけ、1935年1月9日 - 201… 小淵 泰輔(こぶち たいすけ、1935年1月9日 - 2011年4月1日)は、福岡県大牟田市出身のプロ野球選手(内野手)・コーチ。 三池工業高校を卒業後の1954年に東洋高圧大牟田へ入社。1955年の都市対抗では中心打者として準々決勝に進み、全鐘紡に惜敗したものの首位打者賞を獲得。1956年の大会では濃人渉監督率いる日鉄二瀬に補強され3番打者として活躍し、打撃賞を得る。この時のチームメイトには古葉毅・吉田勝豊・江藤慎一がいた。同年の第2回世界野球大会に社会人野球日本代表として出場。 1957年に西鉄ライオンズへ入団し、同年から一軍に定着。仰木彬の控えではあったが、主に二塁手として49試合に先発出場。