淡輪 就直(たんのわ なりただ、1912年 <大正元年> 1… 淡輪 就直(たんのわ なりただ、1912年 <大正元年> 10月3日 - 2000年 <平成12年> 4月29日)は、日本の経営者。三井石油化学工業(現・三井化学)社長を務めた。位階は正四位。 福岡県柳川市出身。1937年に慶應義塾大学法学部政治学科を卒業し、同年に三井鉱山に入社。1955年7月に三井石油化学工業に転じ、1963年5月に取締役に就任し、1966年11月に常務、1971年11月に副社長を経て、1977年6月に社長に就任。1982年11月に会長に就任し、1985年6月に相談役を経て、1987年6月に再び会長に就任。 1979年4月に藍綬褒章を受章し、1985年11月に勲二等瑞宝章を受章。
椿原 健督(つばはら けんすけ、1912年3月26日 - 1… 椿原 健督(つばはら けんすけ、1912年3月26日 - 1986年12月29日)は、日本の経営者。北海道ガス社長を務めた。福岡県柳川市出身。 1939年に東北帝国大学工学部応用学科を卒業し、同年に東京ガスに入社。後に北海道ガスに転じ、1974年12月から1976年6月まで社長を務めた。 1986年12月29日心不全のため死去した。74歳没。
河口 静雄(かわぐち しずお、1898年11月14日 - 1… 河口 静雄(かわぐち しずお、1898年11月14日 - 1991年12月19日)は、日本の実業家。三共副社長、東京12チャンネルテレビ事業本部長を務めた。 福岡県柳川市出身。河口時次、トリの三男。1928年に慶應義塾大学法学部を卒業し三共に入社。資材部長、1944年7月に取締役、1950年5月に常務、1955年11月専務を経て、1962年11月には副社長に就任し、1964年5月から相談役を務めた。1969年11月には当時経営不振に陥っていた東京12チャンネルテレビ事業本部長に就任し、同社の再建に当たった。全日本広告連盟理事長、日本広告審査機構理事長なども歴任し、広告界の重鎮として活躍した。1967年には日本宣伝大賞を授賞、1969年4月には勲三等瑞宝章を受章した。
野中 春三(のなか しゅんぞう、1896年(明治29年)3月… 野中 春三(のなか しゅんぞう、1896年(明治29年)3月3日 - 1960年(昭和35年)6月6日)は、日本の官僚・実業家。西日本鉄道社長を務めた。 福岡県柳川市出身。1921年(大正10年)東京帝国大学法学部を卒業後、鉄道省に入省。1940年(昭和15年)仙台鉄道管理局局長に就任。退官後は日本通運理事を経て、西日本鉄道副社長に就任。1945年(昭和20年)に同社社長に就任。1951年(昭和26年)に同社会長に就任した。このほか、RKB毎日放送、井筒屋の各取締役などを歴任した。 1959年(昭和34年)に西日本鉄道社長に再就任したものの、在任中の1960年(昭和35年)6月6日に九州大学病院(福岡市)で死去。
立花 親信(たちばな ちかのぶ、1845年(弘化2年4月)-… 立花 親信(たちばな ちかのぶ、1845年(弘化2年4月)- 1916年(大正5年)9月29日)は、幕末の柳河藩士、明治期の公吏・実業家・政治家。衆議院議員、福岡県会議長。 筑後国山門郡柳川城下(柳河県、三潴県、福岡県山門郡城内村、柳川町を経て現柳川市)で、柳河藩で中老を務めた立花家(家禄350石)に生まれた。1863年(文久3年6月)家督を相続した。1868年(慶応4年)侍頭となる。藩の軍政改革で断隊が設けられ、同年4月17日(旧暦3月25日)後断隊の隊長に就任。戊辰戦争で断隊に東京警固が命ぜられ藩主立花鑑寛と共に同年7月31日(旧暦6月12日)大坂を出発し、1869年2月3日(慶応4年12月22日)に帰藩した。