光畑 真樹(こうはた まさき、1978年 - )は、日本の実… 光畑 真樹(こうはた まさき、1978年 - )は、日本の実業家。クリエイティブディレクター、イベントプロデューサー、東京美人Project 総合プロデューサー、総合イベントプロデュースグループである株式会社グローバルプロデュース代表取締役。株式会社グローバルメタバース代表取締役社長。株式会社グローバルスタジオ取締役副社長。 福岡県行橋市生まれ。大学卒業後、JTBグループでイベントプロデュースに従事。元より歴史好き(特に幕末)であった光畑は、30歳を過ぎた頃からその影響もあり、自分自身も何かやるべきと考えるに至り、仲間を集め、2012年4月に3人で株式会社グローバルプロデュースを創業。その後、イベント業界の専門家を集めたプロデューサー集団に育て上げ、国内外で年間200件(2024年現在)を超えるイベントを主催者のパートナーエージェントとして企画制作。
幸後 和壽(こうご かずひさ、1950年7月20日 - )は… 幸後 和壽(こうご かずひさ、1950年7月20日 - )は日本の実業家。トクヤマ代表取締役社長や、同社代表取締役会長を務めた。発明協会会長奨励賞実施功績賞受賞。 福岡県行橋市生まれ。父は日本国有鉄道職員。福岡県立門司高等学校を経て、1975年東京工業大学(現東京科学大学)工学部化学工学科卒業、徳山曹達(現トクヤマ)入社。電解製造部で技術課長や第二課長を務めるなどして工場現場で長く勤務したのち、1999年エレクトロニクス営業部長。同年ICケミカル部長。2002年シェイパル営業部長。2004年理事機能材料部門副部門長兼シェイパル営業部。2006年取締役機能材料部門長、鹿島工場管掌。2009年から代表取締役社長を務め、マレーシアでの多結晶シリコン事業への投資などを進めたが、市況の暴落により特別損失を計上し2015年に代表取締役会長に退いた。
神崎 昌久(こうざき まさひさ、1929年10月12日 - … 神崎 昌久(こうざき まさひさ、1929年10月12日 - 2019年10月7日)は、日本の経営者。中山製鋼所社長を務めた。 福岡県行橋市出身。1954年に九州工業大学工学部機械工学科を卒業し、同年に富士製鉄(のちの新日本製鐵)に入社。1985年6月に取締役に就任し、1989年6月に常務、1993年6月に副社長、1995年6月に常任顧問を経て、1997年3月に中山製鋼所最高顧問に就任し、同年6月には社長に昇格。2006年6月には取締役相談役に就任。 2019年10月7日に心不全のために死去。89歳没。
白川 宏(しらかわ ひろし、1921年11月20日 - 19… 白川 宏(しらかわ ひろし、1921年11月20日 - 1991年8月16日)は、日本の経営者。東陶機器社長を務めた。 福岡県行橋市出身。1946年に京都帝国大学法学部政治学科を卒業し、同年に東洋陶器に入社。 1965年1月に取締役に就任し、常務、専務、副社長を経て、1985年2月から1987年2月までに社長を務めた。 1985年に藍綬褒章を受章。
橋上 保(はしがみ たもつ、1889年(明治22年)7月 -… 橋上 保(はしがみ たもつ、1889年(明治22年)7月 - 1949年(昭和24年)11月26日)は、大正から昭和前期の実業家、政治家。参議院議員。 福岡県京都郡椿市村(現行橋市)で、橋上弥五郎、モトの二男として生まれ、1914年(大正3年)に家督を相続した。1904(明治37年)高等小学校を卒業した。 1923年(大正12年)6月、上山田炭鉱(現嘉麻市上山田)を開鉱。1931年(昭和6年)1月、橋上鉱業 (株) を設立し社長に、弟・俊崇が常務取締役に就任。1937年(昭和12年)5月、新山野炭鉱(現嘉麻市山野)を開鉱。同年6月、日本炭業 (株) を設立し社長に就任。1938年(昭和13年)宝珠山鉱業 (株) を設立し代表となり、1940年(昭和15年)同社長に就任。
藤田 勇(ふじた いさむ、1887年 - 1955年)は日本… 藤田 勇(ふじた いさむ、1887年 - 1955年)は日本の新聞記者、実業家、阿片ブローカー、フィクサー。『東京毎日新聞』や『報知新聞』の記者を経て1919年に東京毎日新聞社社長となり、「厳正非中立」を掲げて組合運動や社会主義者、アナキストを支援。1923年にはヨッフェ訪日を実現させた。他方で貴族院の「研究会」の黒幕となり、日中戦争期には上海への麻薬の密輸に携わった。 1887(明治20)年、福岡県行橋市の生まれ。 中学卒業後、大陸へ密航し、馬賊になろうとした。 日本に帰国後、新聞『日本』の記者となり、東京毎日新聞や報知新聞の記者を経る。 1919(大正8)年から東京毎日新聞社社長。就任当時、「いさぎよく、正義と弱者と善に味方する」という意味の「厳正非中立」という標語を新聞の一面に掲げ、また銀座の社屋の屋上から垂れ幕を下げていた[要検証 – ノート]。
田淵 助六(たぶち すけろく、1884年6月28日 - 19… 田淵 助六(たぶち すけろく、1884年6月28日 - 1969年10月27日)は、福岡県出身の日本の実業家。 福岡県京都郡仲津村(現・行橋市)で農業を営んでいた田淵市平の長男として生まれる。中学を中退し跡取りを次男に譲って北海道への移民団に加わって札幌へと移住。北海道庁に給仕として入庁、道庁勤務の傍ら夜間中学を卒業の後、1906年に北海法学校を卒業。 北海法学校卒業後に帝国鉄道庁入庁、書記を経て1907年に任官。1913年に釧路運輸事務所、その後旭川運輸事務所、鉄道省移行後に札幌鉄道局運輸課で貨物業務、小樽駅第13代駅長(1923年12月1日-1929年3月29日)、旭川駅16代駅長(1929年3月30日-1930年10月)、札幌鉄道局運輸課高等官を歴任した。
中山 悦治(なかやま えつじ、1883年7月15日 - 19… 中山 悦治(なかやま えつじ、1883年7月15日 - 1951年12月25日)は大正・昭和期の実業家。中山製鋼所の創設者。 福岡県行橋市南泉の中山家に生まれ、行橋市立泉小学校を卒業。豊津中学校(現在の育徳館中学校)三年時、父が事業に失敗し、中途退学。その後、製糸工事、炭鉱、行商など様々な職を転々した。1919年に兵庫県尼崎にメッキ炉1基、作業員数名からなる亜鉛鉱金製造工場を開設した。この工場が中山悦治商店を経て中山製鋼所となる。
建野 郷三(たての ごうぞう、1842年1月12日(天保12… 建野 郷三(たての ごうぞう、1842年1月12日(天保12年12月1日) - 1908年(明治41年)2月16日)は、幕末の小倉藩士、明治期の官僚・外交官・実業家。大阪府知事、元老院議官。旧名・牧野弥次左衛門。 豊前国京都郡延永村(現:行橋市延永)に生まれる。小倉藩士・建野建三の養子となり「郷三」と改名。第二次長州征討において長州藩との戦いに従軍した。明治3年(1870年)、イギリスに留学し法律学を学んだ。 1877年(明治10年)11月、宮内省御用掛三等侍補心得となる。以後宮内権大書記官、兼太政官権大書記官を歴任。1879年(明治12年)、グラント前米国大統領の来日に当たり接伴掛を務めた。 1880年(明治13年)5月、大阪府知事に就任し約9年間在任、在任中に大阪府と堺県の合併を実現させた。