甲斐田 晴子(かいだ はるこ 1981年〈昭和56年〉 9月… 甲斐田 晴子(かいだ はるこ 1981年〈昭和56年〉 9月8日 - )は、日本の政治家、実業家、社会起業家、プロデューサー。いきいき唐津株式会社のCEO兼代表取締役、映画館「THEATER ENYA」の館長。早稲田大学政治経済学部卒。フランスグルノーブル政治学院留学。早稲田大学17代総長田中愛治ゼミ第7期生。代表取締役を務めるまちづくり会社・いきいき唐津株式会社は、総務省が主催する令和6年度「ふるさとづくり大賞」最優秀賞である内閣総理大臣賞を受賞。2025年1月より唐津市議会議員。 1981年(昭和56年)、佐賀県唐津市生まれ。福岡女学院中学校卒業、佐賀県立唐津東高等学校を経て、早稲田大学政治経済学部卒業。
坂井 俊之(さかい としゆき、1961年(昭和36年)8月5… 坂井 俊之(さかい としゆき、1961年(昭和36年)8月5日 - 2019年(令和元年)7月11日)は、日本の政治家。唐津市長(4期),佐賀県議会議員(1期)などを務めた。 佐賀県唐津市出身。佐賀県立唐津西高等学校(24期)を経て、国士舘大学文学部中退。 1999年、佐賀県議会議員選挙に自民党公認で立候補し初当選。 2003年4月27日に行われた旧唐津市長選挙に自民党・公明党の推薦を受けて立候補し、初当選。 2005年1月1日、旧唐津市は東松浦郡呼子町、鎮西町、肥前町、相知町、厳木町、浜玉町、北波多村と合併して新たな唐津市となった。これに伴って同年2月6日に行われた市長選に自民党・公明党の推薦を受けて立候補し、旧・相知町長の大草秀幸を破り当選を果たす。
古川 康(ふるかわ やすし、1958年〈昭和33年〉7月15… 古川 康(ふるかわ やすし、1958年〈昭和33年〉7月15日 - )は、日本の政治家、自治・総務官僚。自由民主党所属の衆議院議員(5期)、衆議院総務委員長、自由民主党佐賀県支部連合会長。 佐賀県知事(第55・56・57代)、総務大臣政務官、国土交通大臣政務官、国土交通副大臣を歴任。息子は衆議院議員の古川あおいである。 佐賀県唐津市生まれ。佐賀大学教育学部附属中学校、ラ・サール高等学校、東京大学法学部第3類(政治コース)卒業。1982年、自治省(現・総務省)に入省。本省勤務の他、長野県や沖縄県、岡山県、長崎県に出向する。1997年9月、第2次橋本改造内閣で自治大臣に任命された上杉光弘の秘書官を務める。
広津 素子(ひろつ もとこ、1953年5月16日 - )は、… 広津 素子(ひろつ もとこ、1953年5月16日 - )は、日本の政治家、元衆議院議員(1期)。公認会計士。戸籍上の氏名は平林 素子(ひらばやし もとこ)。 佐賀県唐津市出身。唐津市立外町小学校、唐津市立第一中学校、佐賀県立唐津東高等学校卒業。高等学校時代は、旺文社全国実力テストで日本一になった。1977年、東京大学医学部保健学科卒業。1982年から中央青山監査法人(プライスウォーターハウスクーパース)や朝日監査法人(アーサー・アンダーセン)、KPMGにおいて公認会計士・税理士として活動、その後LEC会計大学院の教授を務めた。 2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙(郵政選挙)では、元自治大臣で旧橋本派(平成研究会)であった保利耕輔のいわゆる刺客として、佐賀3区から立候補した。
大草 秀幸(おおくさ ひでゆき、1947年4月2日 - 20… 大草 秀幸(おおくさ ひでゆき、1947年4月2日 - 2019年6月12日)は、日本のジャーナリスト、政治家、社会運動家。元佐賀県相知町長(2期)。 佐賀県唐津市生まれ。佐賀県立唐津東高等学校、日本大学法学部新聞学科卒業。1970年(昭和45年)に佐賀新聞社へ入社。記者を経て、編集局次長や販売局長などを歴任。 記者時代の連載「ガン制圧への道」は日本対がん協会賞を受賞した(受賞は佐賀新聞社)。1999年(平成11年)に退職。翌年、相知町(現唐津市)の町長選で初当選し、2期務めた。市町村合併に伴い、2005年の唐津市長選に出馬したが、坂井俊之に敗れ落選した。 その後は左派活動に携わり、「憲法理念の実現をめざす第55回大会(護憲大会)」佐賀県実行委員長、悪魔の飽食佐賀合唱団団長、「戦争をさせない佐賀県1000人委員会」代表や、国政選挙で野党共闘を支援する「市民連合さが」の代表代行を務め、2019年の参院選で野党候補一本化の調整役を務めていた。
岡崎 万寿秀(おかざき ますひで、1930年1月1日 - 2… 岡崎 万寿秀(おかざき ますひで、1930年1月1日 - 2024年12月21日)は、日本の政治家、俳人。元衆議院議員(日本共産党公認、2期)。日本共産党名誉幹部会顧問を経て、同党名誉役員。俳号は万寿(まんじゅ)。 佐賀県唐津市出身。1953年に中央大学法学部を卒業後、日本共産党の理論誌『前衛』の編集長を経て、1983年の第13回参議院議員通常選挙の比例代表から出馬し日本共産党の第7位に登載されたが落選。同年の第37回衆議院議員総選挙に榊利夫の後継として旧東京2区から出馬し初当選。以後1986年の第38回衆議院議員総選挙でも再選を果たすものの、第39回、第40回の各衆院選で次点に終わる。 2024年12月21日死去。
中江 豊造(なかえ とよぞう、1861年(文久元年2月)- … 中江 豊造(なかえ とよぞう、1861年(文久元年2月)- 1942年(昭和17年)3月4日)は、明治期の教育者、政治家。衆議院議員。 肥前国松浦郡、のちの佐賀県東松浦郡相知村(相知町を経て現唐津市相知町)で生まれる。1878年(明治11年)佐賀県師範学校速成科を卒業した。 長崎県地租改正御用掛、小学校訓導、小学校長を歴任。佐賀県会議員に選出され、同常置委員を務めた。 1894年(明治27年)3月、第3回衆議院議員総選挙で佐賀県第2区から自由党所属で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
長谷川 芳之助(はせがわ よしのすけ、1856年1月22日(… 長谷川 芳之助(はせがわ よしのすけ、1856年1月22日(安政2年12月15日)- 1912年(大正元年)8月12日)は、明治期の鉱山学者、実業家、政治家。衆議院議員、工学博士。 日本で初めて工学博士となった5人のうちの1人。他に古市公威、松本荘一郎、志田林三郎、原口要がいる。 肥前国松浦郡唐津城下(佐賀県東松浦郡唐津町を経て現唐津市)で、唐津藩士・長谷川久徴の長男として生まれた。長谷川家は代々同藩数学師範を務め、父は剣術にも優れていた。8歳で藩校に入り漢学を修めた。また父から数学を、佐藤与造から蘭学を学ぶ。父の大坂在勤に従い、1868年(明治元年)長崎通詞何礼之から英学を学び、大阪開成所(のち大阪英語学校)で英語を教えた。
長谷川 敬一郎(はせがわ けいいちろう、1845年7月14日… 長谷川 敬一郎(はせがわ けいいちろう、1845年7月14日(弘化2年6月10日)- 1918年(大正7年)9月28日)は、幕末から大正期の村役人、農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員(1期)、佐賀県会議長。 肥前国松浦郡久里村(佐賀県東松浦郡久里村大字久里を経て現唐津市久里)で、大庄屋・長谷川正平の長男として生まれる。15歳で平野組庄屋を務め、その後、久里村大庄屋となった。 1881年(明治14年)長崎県会議員に選出され、1883年(明治16年)5月に佐賀県が分離成立すると佐賀県会議員となり、県会議員に34年間在任し、同常置委員、同参事会員、同議長、東松浦郡町村組合議長なども務めた。 1894年(明治27年)9月、第4回衆議院議員総選挙で佐賀県第2区から自由党所属で立候補したが次点で落選。