スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
德川 慎之介(とくがわ しんのすけ、1993年6月10日 -… 德川 慎之介(とくがわ しんのすけ、1993年6月10日 - )は、日本のプロバスケットボール選手。佐賀県出身。ポジションはシューティングガード。B3リーグ・東京ユナイテッドバスケットボールクラブ所属。 小学校時代にバスケットボールを始め、全国大会にも出場。その後佐賀県立唐津東高等学校から東海大学に進み、男子バスケットボール部でプレイした。なお、同部の同じ学年にベンドラメ礼生・小島元基・橋本晃佑・頓宮裕人がいる。 B.LEAGUE B2の信州ブレイブウォリアーズに、練習生を経て2016年6月に選手契約を結んだ。2016年9月25日の奈良戦で初出場し、このシーズンは23試合に出場した。 2017年7月、B2の福島ファイヤーボンズに移籍。
山田 康二(やまだ こうじ、1987年12月26日 - )は… 山田 康二(やまだ こうじ、1987年12月26日 - )は、佐賀県出身の競艇選手。 登録番号4500。身長167cm、体重55kg。血液型O型。102期。佐賀支部所属。師匠は峰竜太。同期に前田将太、上野真之介(上野は師匠も同じ)、桑原悠、河合佑樹、遠藤エミらがいる。
福田 将吾(ふくだ しょうご、1984年1月14日 - )は… 福田 将吾(ふくだ しょうご、1984年1月14日 - )は、佐賀県出身のバスケットボール指導者である。 唐津市立浜玉中学校から唐津東高等学校に進学、2002年に卒業、2004年に東京理科大学理学部数学科に入学、大学時代にバスケットボール指導者、特にNCAAバスケットボールのコーチへの道を志す。 2008年に鹿屋体育大学大学院に入学。同学のバスケットボール部の学生ヘッドコーチに就任し、2009年の第84回天皇杯では、九州電力、福岡第一高を破り、九州予選を勝ち抜いた。本戦1回戦ではJBL2部の石川ブルースパークスを破る金星を挙げた。2回戦では青山学院大学スクァレルズと対戦し、大差で敗れている。2009年のインカレでは法政大学を破りベスト8入り、準決勝で東海大学に敗れた。
佐藤 和哉(さとう かずや、1981年11月24日 - )は… 佐藤 和哉(さとう かずや、1981年11月24日 - )は、日本の篠笛(しのぶえ)奏者、作曲家。佐賀県唐津市出身。2012年の国宝・薬師寺東塔解体式典での献笛を機に、篠笛奏者の道へ。自身作曲の「さくら色のワルツ」が、ゆずの「雨のち晴レルヤ」のモチーフ曲として採用され日本レコード大賞優秀作品賞を受賞。このほか、多数の映画・ドラマに音楽で参加。唐津観光大使、嬉野こころ大使も務める。代表曲は、 ゆず「雨のち晴レルヤ」がモチーフとして採用した「さくら色のワルツ」。同作を原曲に「雨のち晴レルヤ」が完成し、NHK朝ドラ『ごちそうさん』の主題歌となる。 笛の音で景色を彩る奏者であり、情景から曲を紡ぐ作曲家として、京都を拠点に活動を続ける。
甲斐田 晴子(かいだ はるこ 1981年〈昭和56年〉 9月… 甲斐田 晴子(かいだ はるこ 1981年〈昭和56年〉 9月8日 - )は、日本の政治家、実業家、社会起業家、プロデューサー。いきいき唐津株式会社のCEO兼代表取締役、映画館「THEATER ENYA」の館長。早稲田大学政治経済学部卒。フランスグルノーブル政治学院留学。早稲田大学17代総長田中愛治ゼミ第7期生。代表取締役を務めるまちづくり会社・いきいき唐津株式会社は、総務省が主催する令和6年度「ふるさとづくり大賞」最優秀賞である内閣総理大臣賞を受賞。2025年1月より唐津市議会議員。 1981年(昭和56年)、佐賀県唐津市生まれ。福岡女学院中学校卒業、佐賀県立唐津東高等学校を経て、早稲田大学政治経済学部卒業。
重 由美子(しげ ゆみこ、1965年8月4日 - 2018年… 重 由美子(しげ ゆみこ、1965年8月4日 - 2018年12月9日)は、日本のヨット選手。アトランタオリンピック銀メダリスト。佐賀県唐津市出身。佐賀県立唐津東高等学校卒業。 佐賀県ヨットハーバーに勤務する傍らヨット競技に打ち込み、日本のトップ選手へと成長した。 1996年アトランタオリンピックヨット女子470級に木下アリーシアと組んで出場。日本選手初の銀メダルを獲得した。 アトランタを期に、一時引退するが、その後1998年にカムバックした。 2000年シドニーオリンピックでのヨット女子470級に出場した。 2018年12月9日午前3時15分頃、乳癌のため逝去。53歳没。
片渕 悦久(かたふち のぶひさ、1965年 - )は、日本の… 片渕 悦久(かたふち のぶひさ、1965年 - )は、日本のアメリカ文学者。大阪大学教授。 佐賀県唐津市生まれ。佐賀県立唐津東高等学校出身。1988年佐賀大学教育学部中学英語卒、1995年大阪大学大学院文学研究科博士課程単位修得退学、北陸大学専任講師、1996年同志社女子大学専任講師、2000年同現代社会学部助教授、2003年大阪大学文学研究科助教授、2007年准教授、2013年教授 。2007年「回想・思索・物語 ユダヤ系アメリカ作家としてのソール・ベロー」で大阪大学より文学博士の学位を取得。専門はアメリカ文学(ユダヤ系小説)。
田久保 尚英(たくぼ たかひで、1963年11月21日 - … 田久保 尚英(たくぼ たかひで、1963年11月21日 - )は、テレビ西日本(TNC)報道制作局アナウンス部長。
松岡保昌(まつおかやすまさ、1963年9月10日 - )は、… 松岡保昌(まつおかやすまさ、1963年9月10日 - )は、日本の経営コンサルタント。人間心理にもとづく経営戦略、組織戦略の専門家。株式会社モチベーションジャパン代表取締役社長。1級キャリアコンサルティング技能士。キャリアカウンセリング協会認定スーパーバイザー。 2023年より、株式会社リンクアンドモチベーションの監査役も務める。佐賀県唐津市呼子町出身1982年 佐賀県立唐津東高校卒業 1986年 同志社大学経済学部卒業 関西学生合気道連盟委員長。全国学生合気道連盟副委員長。2018年 筑波大学大学院 人間総合科学研究科 生涯発達専攻カウンセリングコース主催「キャリア・プロフェッショナル養成講座」修了国家資格 1級キャリアコンサルティング技能士キャリアカウンセリング協会認定 スーパーバイザー(CCA認定スーパーバイザー)米国CCE,Inc.認定GCDF-Japan キャリアカウンセラー国家資格キャリアコンサルタントメンタルヘルス・マネジメント1種1986年 同志社大学経済学部を卒業し、リクルートに入社。
峰 達郎(みね たつろう、1960年〈昭和35年〉8月19日… 峰 達郎(みね たつろう、1960年〈昭和35年〉8月19日 - )は、日本の政治家、薬剤師。佐賀県唐津市長(3期)。元佐賀県議会議員(3期)、元唐津市議会議員(2期)。 佐賀県唐津市山本出身。佐賀県立唐津東高等学校、第一薬科大学薬学部卒業。薬剤師として有限会社峰薬局の取締役を務める。 1995年(平成7年)、亡父の峰政登市議の地盤を引き継ぎ、旧唐津市議会議員選挙に初当選。1999年(平成11年)、再選。 2003年(平成15年)、佐賀県議会議員選挙に初当選。2007年(平成19年)に再選。2011年(平成23年)に3選。県議時代は自由民主党に所属した。 2013年(平成25年)1月27日に行われた唐津市長選挙に立候補するも、現職の坂井俊之に敗れ次点で落選。
マロン(本名:板井 典夫(いたい のりお)、1959年9月2… マロン(本名:板井 典夫(いたい のりお)、1959年9月29日 - )は、日本初のフードスタイリスト。佐賀県唐津市出身(生まれは長崎県)。血液型はB型。 佐賀県立唐津東高等学校卒業、大阪あべの辻調理師専門学校を卒業。 ボーダー柄のシャツがトレードマーク。 唐津観光大使(2010年7月23日~)[リンク切れ]、佐賀県産かんきつ類イメージキャラクター(JAグループ佐賀)(2010年~)。
板井典夫(いたい のりお、1959年9月29日 -)は、日本… 板井典夫(いたい のりお、1959年9月29日 -)は、日本のフードスタイリスト。佐賀県唐津市出身(生まれは長崎県)。血液型はB型。愛称はマロン。
宮島 治(みやじま おさむ、1959年(昭和34年)1月31… 宮島 治(みやじま おさむ、1959年(昭和34年)1月31日 - )は、日本の実業家。宮島醤油代表取締役。 佐賀県出身。佐賀県立唐津東高等学校卒業。1981年、西南学院大学商学部を卒業し、日本化薬に入社。
宮崎 克則(みやざき かつのり、 1959年 - )は、日… 宮崎 克則(みやざき かつのり、 1959年 - )は、日本の歴史学者、西南学院大学教授。専門は日本近世史・異文化交流史・民衆史・シーボルト研究。 佐賀県唐津出身。 唐津東高等学校を経て、1982年に九州大学文学部史学科を卒業。1989年、九州大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。1996年、『大名権力と走り者の研究』により文学博士を取得した。九州大学文学部付属九州文化史研究所助手・同大学総合研究博物館准教授を経て、2010年より西南学院大学国際文化学部教授を務めている。2013年4月には同大学博物館館長に着任。
脇山 伸太郎(わきやま しんたろう、1956年〈昭和31年〉… 脇山 伸太郎(わきやま しんたろう、1956年〈昭和31年〉8月22日 - )は、日本の政治家。佐賀県東松浦郡玄海町長。 佐賀県東松浦郡(現・玄海町)出身。佐賀県立唐津東高等学校を経て福岡大学経済学部卒業。 2001年9月、玄海町議会議員に初当選。5期に亘り、玄海町国際交流会理事、佐賀県商工会青年部連合会利委員、総務文教常任委員長、産業建設常任委員長などを歴任するなど数々の役職として活動した。 2018年7月24日、玄海町長選挙にて元町議中山敏夫に638票差の2199票を獲得し初当選し、2018年8月より現職。 2024年4月26日、玄海町議会は、飲食業組合や旅館組合など地元3団体がそれぞれ出した、原子力発電所から出る高レベル放射性廃棄物の最終処分場の選定へ向けた文献調査に応募するよう求める請願を賛成多数で採択。
川添 信介(かわぞえ しんすけ、1955年 - )は、日本の… 川添 信介(かわぞえ しんすけ、1955年 - )は、日本の哲学者。京都大学名誉教授。福知山公立大学学長。専門は西洋中世哲学史。 元京都大学大学院文学研究科教授、京都大学理事・副学長。 佐賀県生まれ。佐賀県立唐津東高等学校、1978年京都大学文学部を経て、京都大学大学院文学研究科博士課程修了。大阪市立大学助教授を経て1996年より京大助教授、教授(西洋哲学史)。2003年「西欧13世紀中葉における哲学の諸概念」で京都大学博士(文学)。京大理事を務め、学生自治寮である吉田寮について、寮自治会と大学との間で積み重ねられてきた団体交渉の結果や確約を一方的に破棄・否定し、寮生の退舎を求める動きを牽引したと言われる[誰によって?]。
中里 雅子 (なかさと まさこ、1954年8月16日 - )… 中里 雅子 (なかさと まさこ、1954年8月16日 - )は、日本のフリーアナウンサー、元テレビ朝日アナウンサー。 佐賀県唐津市出身。実家は呉服店。妹がいる。佐賀県立唐津東高等学校、早稲田大学第一文学部文芸専修卒業。大学時代は放送研究会に所属。1977年、テレビ朝日(当時:全国朝日放送)にアナウンサーとして入社。1983年に同社を退社し、以降はフリーアナウンサー、ナレーターとして活動。
広津 素子(ひろつ もとこ、1953年5月16日 - )は、… 広津 素子(ひろつ もとこ、1953年5月16日 - )は、日本の政治家、元衆議院議員(1期)。公認会計士。戸籍上の氏名は平林 素子(ひらばやし もとこ)。 佐賀県唐津市出身。唐津市立外町小学校、唐津市立第一中学校、佐賀県立唐津東高等学校卒業。高等学校時代は、旺文社全国実力テストで日本一になった。1977年、東京大学医学部保健学科卒業。1982年から中央青山監査法人(プライスウォーターハウスクーパース)や朝日監査法人(アーサー・アンダーセン)、KPMGにおいて公認会計士・税理士として活動、その後LEC会計大学院の教授を務めた。 2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙(郵政選挙)では、元自治大臣で旧橋本派(平成研究会)であった保利耕輔のいわゆる刺客として、佐賀3区から立候補した。
中島 淳一(なかしま じゅんいち、1952年11月13日 -… 中島 淳一(なかしま じゅんいち、1952年11月13日 - )は、日本の画家・役者。 佐賀県立唐津東高等学校出身。 1975~76年、米国ベイラー大学留学中に、英詩を書き、絵を書き始める。 1980年代、ホアン・ミロ国際コンクール、ル・サロン展などに入選。スペイン美術賞展、優秀賞。 日仏現代美術展(82、83年)、クリティック賞、ビブリオテック・デ・ザール賞。フィレンツェ芸術祭展、地中海芸術賞、パリ・マレ芸術文化褒賞。 1990年代、 ARTEC・カンヌ、欧日芸術振興賞、アートブランドエクイテイ大賞。 フィレンツェ美の奇蹟展、リッカルド・アマディ芸術文化大賞を受賞(98年)。ブリアン・デュ・ソレイユ賞(1998)。
金丸 弘美(かなまる ひろみ、1952年9月8日 - )は、… 金丸 弘美(かなまる ひろみ、1952年9月8日 - )は、日本のジャーナリスト(食環境)。総務省地域力創造アドバイザー。内閣府地域活性化伝道師。食からの地域再生・食育と味覚ワークショップ・地域デザインをテーマに地方創生に尽力している。 佐賀県唐津市に生まれる。1970年、佐賀県立唐津東高等学校を卒業。1974年、大東文化大学を卒業。新美容出版編集部に勤務。1985年、アイランズ編集部(高平哲郎事務所)に勤務。1993年、食の地域づくりの取材活動、食のワークショップの展開、出版活動の連携を開始。2001年、奄美群島徳之島に移住(妻の両親の出身地)。2006年3月、長崎県平戸・松浦地区観光人材育成協議会地域活性化事業アドバイザー。
山口 和雄(やまぐち かずお、1949年12月25日 - )… 山口 和雄(やまぐち かずお、1949年12月25日 - )は、佐賀県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手と外野手。 佐賀県立唐津東高等学校ではエース。上手投げで直球が武器。バッティングもよく四番を打っていた。 1967年のドラフトで南海ホークスから13位で指名され入団。 投手として入団したが、その後、外野手に転向。一軍公式戦に出場することはなく、退団した。
小栗 誠治(おぐり・せいじ、1947年7月1日 - )は、日… 小栗 誠治(おぐり・せいじ、1947年7月1日 - )は、日本の経済学者。滋賀大学名誉教授。学位は、博士(経済学)(滋賀大学・2021年)。元日本銀行佐賀事務所長。 佐賀県相知町(現唐津市)に生まれる。1966年3月、佐賀県立唐津東高等学校卒業。1971年3月、一橋大学経済学部卒業。大学では荒憲治郎ゼミに所属。卒業論文は「資本蓄積の動態理論」。[要出典]1971年4月、日本銀行に入行。同行金融研究所副調査役、調査統計局副調査役、政策委員会室調査役、考査局調査役、業務局決済業務課長・国債業務課長、1993年5月から2年間、日本資産流動化研究所調査部長、1995年5月日本銀行佐賀事務所長に就任、1998年1月 日本銀行金融研究所に勤務。
大草 秀幸(おおくさ ひでゆき、1947年4月2日 - 20… 大草 秀幸(おおくさ ひでゆき、1947年4月2日 - 2019年6月12日)は、日本のジャーナリスト、政治家、社会運動家。元佐賀県相知町長(2期)。 佐賀県唐津市生まれ。佐賀県立唐津東高等学校、日本大学法学部新聞学科卒業。1970年(昭和45年)に佐賀新聞社へ入社。記者を経て、編集局次長や販売局長などを歴任。 記者時代の連載「ガン制圧への道」は日本対がん協会賞を受賞した(受賞は佐賀新聞社)。1999年(平成11年)に退職。翌年、相知町(現唐津市)の町長選で初当選し、2期務めた。市町村合併に伴い、2005年の唐津市長選に出馬したが、坂井俊之に敗れ落選した。 その後は左派活動に携わり、「憲法理念の実現をめざす第55回大会(護憲大会)」佐賀県実行委員長、悪魔の飽食佐賀合唱団団長、「戦争をさせない佐賀県1000人委員会」代表や、国政選挙で野党共闘を支援する「市民連合さが」の代表代行を務め、2019年の参院選で野党候補一本化の調整役を務めていた。
稲葉 継雄(いなば つぎお、1947年 - )は、日本の教育… 稲葉 継雄(いなば つぎお、1947年 - )は、日本の教育学者、歴史学者。教育学博士(九州大学)。唐津市教育長。九州大学大学院人間環境学研究院教授兼韓国研究センター長。専門は比較教育学、朝鮮教育史。 1947年、佐賀県唐津市に生まれる。唐津東高―九州大学教育学部卒。韓国・高麗大学に三年間留学し、韓国語をマスターした。筑波大学勤務を経て母校・九州大学に戻り、1997年に教授就任。2004年7月から教育学部長就任(任期二年)。 主に旧韓末~植民地期朝鮮の教育史を専門とし、従来主流だった朝鮮人に対する教育のみならず、広く朝鮮における内地人(日本人)に対する教育についての、実証的な研究を行った先駆者の一人。
熊本 典道(くまもと のりみち、1937年〈昭和12年〉10… 熊本 典道(くまもと のりみち、1937年〈昭和12年〉10月30日 - 2020年〈令和2年〉11月11日)は、日本の裁判官、弁護士。袴田事件第1審の担当判事(左陪席)として無罪の心証を形成しつつも裁判長・右陪席の説得に失敗し死刑判決を下したが、後年良心の呵責から合議の秘密を破って被告人(袴田巌)の無実を訴えた人物として知られる。 1937年(昭和12年)佐賀県東松浦郡打上村(後の鎮西町、現:唐津市)に生まれる。父母ともに小学校教員をつとめる家庭の長男として厳格な教育を受ける。 1953年(昭和28年)に鎮西町立打上中学校(現:唐津市立海青中学校)卒業、佐賀県立唐津高等学校(在学中に分離により佐賀県立唐津東高等学校となる)入学。
ムロタニ ツネ象(むろたに つねぞう、本名:室谷 常蔵、19… ムロタニ ツネ象(むろたに つねぞう、本名:室谷 常蔵、1934年9月9日 - 2021年11月22日)は、日本の漫画家。ギャグ漫画を主として発表してきたが、歴史漫画、学習漫画、SF漫画、恐怖漫画も執筆している。特に子供向け学習漫画制作の草分け的存在ともいわれた。 1934年9月9日、大阪府に生まれる。中学生の頃から、毎日新聞系列の夕刊紙新九州新聞社発行の『まんが新九州』(1948年創刊)の常連投稿者だった。佐賀県立唐津高等学校卒業。在学中、『毎日中学生新聞』懸賞漫画で金賞を連続3年受賞。 1953年、『毎日中学生新聞』西部版に『日本歴史漫歩』を発表してデビュー。毎日新聞社西部本社に勤務し、その後上京して阿佐ヶ谷美術学園に学ぶ。
野崎 喩(のざき さとる 1929年 - 2009年)は、日… 野崎 喩(のざき さとる 1929年 - 2009年)は、日本の工業デザイナー。佐賀県唐津市出身。 旧制唐津中学(現・佐賀県立唐津東中学校・高等学校)から東京芸術大学に進学、卒業後、トヨタ自動車に入社。入社後、社内の若手デザイナーとともにアメリカ合衆国のアートセンター・カレッジ・オブ・デザインに留学する。帰国後、工業デザイナーとしてトヨタの自動車デザインを手がけた。その後、社内での配置転換をきっかけに、船、家、鉄道など、さまざまな分野で工業デザイナーとしての功績を残したといわれている。 代表作は、トヨタ・2000GT。この他にも、トヨタ・コロナ、トヨタ・カリーナのデザインを手がける。 佐賀県唐津市中通りにある畔水記念館は、義姉が生家でもある自宅の一部を改装し、喩が子どもの頃に描いた絵のほか、机やベッド、オルガンなどを展示している。
木塚 忠助(きづか ただすけ、1924年4月23日 - 19… 木塚 忠助(きづか ただすけ、1924年4月23日 - 1987年12月16日)は、佐賀県唐津市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。 昭和20年代を代表する遊撃手。1948年に南海に入団すると、長らく不動の一番・遊撃手を務め、ベストナイン遊撃手を7回獲得した。強肩・俊足でバカ肩、イダ天とも称された。通算盗塁数479個は歴代4位(引退当時はプロ野球最多記録)。 唐津中学(現・佐賀県立唐津東高校)出身。野球を始めたのは3年からと遅かったが、5年次には佐賀県大会で1試合16奪三振を記録する好投手となり、職業野球からも誘いを受けた。しかし警察官の父親の勧めで、鉄道省門司鉄道局に進む。 門鉄では三塁手を務め、俊足・強肩・強打の三拍子揃った活躍を見せた。
林 茂(はやし しげる、1923年11月30日 - 生死不明… 林 茂(はやし しげる、1923年11月30日 - 生死不明)は、佐賀県出身の元プロ野球選手。 佐賀県立唐津中学校、横浜高等工業学校を経て1950年に西日本パイレーツに入団。1951年に松竹ロビンスに移籍。オーバースローから、内角低めの重いシュートと、外角に落ちるカーブを武器とした。翌年退団。
13代中里太郎右衛門(じゅうさんだい なかざと たろうえもん… 13代中里太郎右衛門(じゅうさんだい なかざと たろうえもん、1923年(大正12年)5月31日 - 2009年(平成21年)3月12日)は、陶芸家。位階は正五位。 日本芸術院会員。本名・中里忠夫。法号・中里逢庵。佐賀県唐津市出身。日本工匠会会長。国際陶芸アカデミー会員。 12代中里太郎右衛門(中里無庵)の長男であり、弟の中里重利、中里隆も陶芸家、自身の長男忠寛もまた14代中里太郎右衛門で伝統ある陶芸家の家系である。 進学に際しては後の作陶力向上のため絵画能力を重視した父無庵の意見により佐賀県立唐津中学校を経て美術学校である官立東京高等工芸学校工芸図案科に入学した経緯があった。 戦時中の1943年(昭和18年)には宮崎県の航空教育隊に入営、所属部隊が1945年5月に台湾の台北空港に展開、そのまま現地で終戦し1946年(昭和21年)まで台中で捕虜生活を経験した。
13代中里太郎右衛門(じゅうさんだい なかざと たろうえもん… 13代中里太郎右衛門(じゅうさんだい なかざと たろうえもん、1923年(大正12年)5月31日 - 2009年(平成21年)3月12日)は、陶芸家、日本藝術院会員。本名・中里忠夫。法号・中里逢庵。佐賀県唐津市生まれ。日本工匠会会長。国際陶芸アカデミー会員。
村井 実(むらい みのる、1922年3月6日 - 2024年… 村井 実(むらい みのる、1922年3月6日 - 2024年10月18日)は、日本の教育学者。慶應義塾大学名誉教授。 佐賀県東松浦郡北波多村芳谷炭鉱(現:唐津市)の商店で7人兄妹の長男として生まれる。旧制唐津中学、広島高等師範学校英語科を経て、1944年広島文理科大学教育学科卒業。長崎青年師範学校助教授、同時に東部四六部隊の見習士官で終戦。1961年「教育的思惟の性格 ソクラテス研究」で広島大学より文学博士の学位を取得。 1948年慶應義塾大学文学部講師、1949年助教授、1961年教授、1962-66年慶應義塾女子高等学校校長、1987年定年、名誉教授、大東文化大学教授。ハーバード大学、テュービンゲン大学、ケルン大学、プリンストン高等研究所などの欧米の大学・研究所で教育哲学・思想史の研究を行った。
古舘 曹人(ふるたち そうじん、1920年6月6日 - 20… 古舘 曹人(ふるたち そうじん、1920年6月6日 - 2010年10月28日)は、日本の俳人。佐賀県杵島郡出身。本名・六郎。 父の古舘九一は、杵島炭鉱で高取伊好の大番頭役を務めた実業家で、晩年は唐津焼の再興に尽力した収集家でもあった。唐津中学(現佐賀県立唐津東中学校・高等学校)、五高、東京大学法学部卒。在学中に学徒出陣を経験。東大ホトトギス会に入会し山口青邨に師事、俳句雑誌「夏草」の編集をする。 1947年、太平洋炭鉱に入社。1979年、句集『砂の音』で俳人協会賞受賞。俳人協会顧問。太平洋興発の副社長も務めた。2010年、老衰のため90歳で死去。
川原 英之(かわはら ひでゆき、1917年(大正6年)3月2… 川原 英之(かわはら ひでゆき、1917年(大正6年)3月21日 - 1966年(昭和41年)2月27日)は、日本の通産官僚。通商産業省大臣官房官房長。佐賀県唐津市出身。 城山三郎著『官僚たちの夏』の鮎川のモデル。合理的官僚像のモデルの片山(山下英明)と比較対照され、佐橋滋らの猛進型官僚のモデルの一人として描かれた。他に佐高信著『官僚たちの志と死』の「通産省の殉職者」の章にて、田辺俊彦と共に川原の死期が描かれている。
山口 久太(やまぐち ひさた、1911年4月26日 - 19… 山口 久太(やまぐち ひさた、1911年4月26日 - 1993年7月12日)は、日本の教育者。元日本体育協会副会長、名誉副会長。東海大学体育学部長。 1911年、、佐賀県東松浦郡相知町(現唐津市)に生まれる。下村湖人の薫陶を受け、旧制唐津中学(現在の佐賀県立唐津東高等学校)卒業後、周囲が旧制高等学校の進学を薦める中、日本一の体育教師を目指して、東京高等師範学校(現・筑波大学)体育科に進学する。1934年3月、東京高等師範学校体育科を卒業。体育教諭として、旧制甲府中(現・山梨県立甲府第一高等学校)、旧制広島一中(現・広島県立国泰寺高等学校)に奉職。戦後千葉県に体育担当地方事務官として招かれて、千葉県立佐原高等女学校校長、千葉県立船橋高等学校校長を務める。
井手 俊郎(いで としろう、1910年4月11日 - 198… 井手 俊郎(いで としろう、1910年4月11日 - 1988年7月3日)は、日本の脚本家。息子はプロ野球・元中日ドラゴンズ選手の井手峻。筆名(併用)=権藤利英、三木克巳。 佐賀県北波多村徳須江出身。祖父・井手豊助は1890年(明治23年)の公選で初代北波多村長となり、父の金次郎は政友会を北波多村に建て村議となった。生家は質店を営み、現存する当時の店舗兼住宅建物は2019年に国の登録有形文化財に登録されている。 旧制佐賀県立唐津中学(現・佐賀県立唐津東中学校・高等学校)を経て、官立東京高等工芸学校(現在の千葉大学工学部意匠科)を卒業する。 商業美術家としてパピリオ化粧品、アサヒビール、婦人画報社などの宣伝部嘱託を務めた。
吉村 廉(よしむら れん、1903年1月28日 - 1988… 吉村 廉(よしむら れん、1903年1月28日 - 1988年1月21日)は、佐賀県東松浦郡浜玉町出身の日本の映画監督。 佐賀県立唐津中学校(旧制)、東京写真専門学校卒業。1925年、助監督として日活京都大将軍撮影所へ入所。その後、太秦撮影所では内田吐夢監督の助監督を務め、1931年に『作業服』で監督デビューを果たした。 歌謡曲を題材とした、歌謡映画を多く監督したが、1965年(『 大日本チャンバラ伝 』を監督した後)監督業から引退した。
松岡 平市(まつおか へいいち、1901年 (明治34年)5… 松岡 平市(まつおか へいいち、1901年 (明治34年)5月21日 - 1980年(昭和55年)3月25日)は、日本の内務官僚、政治家。衆議院議員(1期)、参議院議員(1期)。 佐賀県東松浦郡相知村(現唐津市)で松岡久左衛門の三男として生まれ、松岡廉太郎の養子となる。佐賀県立唐津中学校、第五高等学校を経て、東京帝国大学へ進む。上杉慎吉の指導を受け、1925年2月、七生社の結成に参画。1924年11月、高等試験行政科試験に合格し、1925年3月、東京帝大法学部法律学科(英法)を卒業。同年4月、内務省に入省し、東京市事務員として庶務課に配属された。同年10月、警視庁に転じ同属兼警部として保安部工場課に配属。
山田 義見(やまだ よしみ、1899年〈明治32年〉1月13… 山田 義見(やまだ よしみ、1899年〈明治32年〉1月13日 - 1991年〈平成3年〉5月3日)は、日本の元大蔵次官。位階は正三位。
坂田 重保(さかた しげやす、1898年(明治31年)6月4… 坂田 重保(さかた しげやす、1898年(明治31年)6月4日 - 1984年(昭和59年)1月6日)は、昭和時代中期~後期の日本の銀行家。親和銀行の頭取を長年務めた。 現在の佐賀県佐賀市諸富町出身。旧制唐津中学校を経てシンガポールにあったアングロ・チャイニーズスクールを卒業後、神戸の鈴木商店に入社。1923年(大正12年)に同社の先輩であった北村徳太郎から招かれ、佐世保商業銀行に移り、為替課長、副支配人を歴任。 1939年9月、佐世保銀行と佐世保商業銀行が合併して、親和銀行が誕生すると、1942年に取締役に選任。常務、専務、副頭取を経て、1960年4月に頭取に就任した。 銀行家には珍しい、豪放磊落で、親分肌の人物であり、北村が政界に転じてからは、46歳の若さで副頭取に就いた坂田が、親和銀行の経営を仕切った。
青木 大吉(あおき だいきち、1896年(明治29年)7月2… 青木 大吉(あおき だいきち、1896年(明治29年)7月2日 - 1994年(平成6年)1月12日)は、日本の公認会計士、税理士。大日本帝国海軍の軍人(最終階級は主計大佐)で、第二次世界大戦後は民間の会計士となり、東京虎ノ門、福岡(「第一公認会計士事務所」)、佐世保に事務所を開く。等松農夫蔵と現在のデロイト トウシュ トーマツの日本のもととなる監査法人事務所を創立した。日本の原価計算の祖と呼ばれる。[要出典]
市丸 利之助(いちまる りのすけ、1891年(明治24年)9… 市丸 利之助(いちまる りのすけ、1891年(明治24年)9月20日 - 1945年(昭和20年)3月26日)は、日本の海軍軍人で、日本海軍の航空草創期のパイロットである。硫黄島の戦いで戦死。最終階級は海軍中将(戦死による特進)。佐賀県東松浦郡久里村(現・唐津市)出身。 佐賀県東松浦郡久里村(現・唐津市)出身。旧制唐津中学校を卒業後、海軍兵学校および陸軍士官学校(第25期)を受験し、双方に合格している。1910年(明治43年)に海軍兵学校第41期に入校し、1913年(大正2年)に118名中46位の成績で卒業した。1917年(大正6年)12月、第3期航空術学生(飛行学生の前身)となり、1918年(大正7年)12月に卒業し、パイロットの資格を習得。
山崎 元幹(やまざき もとき、1889年(明治22年)7月7… 山崎 元幹(やまざき もとき、1889年(明治22年)7月7日 - 1971年(昭和46年)1月24日)は昭和期の実業家。南満洲鉄道株式会社(満鉄)最後の総裁としてその終戦処理をおこなった。 福岡県糸島郡福吉村(現・糸島市二丈地域)出身。名前の読みは「もとき」であるが「げんかん」と音読みするものが多かったという。唐津中学、第一高等学校英法科、東京帝国大学法科大学政治学科を首席卒業。 1916年(大正5年)5月、満鉄に入社し、総務部に勤務。1921年(大正10年)8月から1923年(大正12年)9月にかけて、欧米に留学する。帰国後は社長室文書課勤務となる。1925年(大正14年)6月、撫順炭鉱参事に移り、翌年8月には撫順炭鉱庶務課長を務めた。
原 清(はら きよし、1889年〈明治22年〉5月2日 - … 原 清(はら きよし、1889年〈明治22年〉5月2日 - 1976年〈昭和51年〉8月26日)は、日本の海軍軍人。逓信省海務院長官。海兵38期首席。最終階級は海軍中将。 教員、原権市の長男として佐賀県で生れる。唐津中学校を経て、1910年7月、海軍兵学校(38期)を首席で卒業し、同年12月に海軍少尉任官。海軍大学校で乙種学生、次いで航海術専修学生として学び、専修学生は優等で卒業した。運送艦「労山」航海長、練習艦隊参謀、第1艦隊参謀、海兵教官を経て、1923年10月、海大甲種21期を卒業した。 「夕張」航海長、呉軍需部員、アメリカ駐在、資源局事務官、給炭艦「野島」特務艦長、海軍省軍務局第2課長、「磐手」艦長、艦政本部総務部第1課長などを経て、1936年12月、海軍少将に進級。
内田 寛一(うちだ かんいち、1888年3月3日 - 196… 内田 寛一(うちだ かんいち、1888年3月3日 - 1969年9月28日)は、日本の地理学者。日本における歴史地理学の開拓者と知られ、他に政治地理学・郷土教育などに功績がある。 佐賀県東松浦郡呼子(よぶこ)の士族の家に生まれた。唐津中学在学中、日露の日本海海戦の砲声を聞いた。同校を19歳で卒業し、23歳(1910年)の時東京高等師範学校本科地理歴史科を卒業し、当時唯一の地理学の専門課程があった京都帝国大学文科大学史学科に入学。 1913年(大正2年)、大学を卒業し、大学院に進学。1914-1916年までは同助手を勤める。この間、小川琢治・石橋五郎・中目覚らに学ぶ。また、日本近世史が専門の内田銀蔵や、東洋史の権威である内藤湖南にも学んだ。
河村 嘉一郎(かわむら かいちろう、1885年(明治18年)… 河村 嘉一郎(かわむら かいちろう、1885年(明治18年)8月7日 - 1943年(昭和18年)10月17日)は、佐賀県出身の実業家、政治家。初代唐津市長。 1885年(明治18年)旧唐津藩士・河村藤四朗の長男として、佐賀市赤松町で生まれる。旧制唐津中学、旧制岡山第六高校を経て、1911年(明治44年)、東京帝国大学法科、政治学科を卒業。一時渡鮮したが、1923年(大正12年)帰郷。唐津銀行に入り取締役支配人となる。のち唐津電気製鋼所社長、唐津薫業(株)専務取締役、唐津製紙(株)社長、唐津製綿(株)監査役、唐津商工(株)監査役、小倉東洋車輌(株)常務取締役などを務め、唐津実業界の発展に貢献した。
尾高 亀蔵(すえたか かめぞう、1884年(明治17年)9月… 尾高 亀蔵(すえたか かめぞう、1884年(明治17年)9月28日 - 1953年(昭和28年)8月1日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。旧姓・大谷。 佐賀県出身。農業・大谷平治の二男として生まれ、尾高家の養子となる。唐津中学校を経て、1904年(明治37年)10月、陸軍士官学校(16期)を卒業する。同期には岡村寧次・土肥原賢二・板垣征四郎・安藤利吉ら陸軍大将がいる。同年11月、歩兵少尉に任官し歩兵第13連隊付となる。日露戦争に出征後、陸士生徒隊付、歩兵第13連隊中隊長などを経て、1916年(大正5年)11月、陸軍大学校(28期)を卒業した。 陸軍歩兵学校教官、関東兵站参謀、教育総監部付、教育総監部課員などを歴任し、1923年(大正12年)8月、第14師団参謀となる。
横尾 龍(よこお しげみ、男性、1883年(明治16年)7月… 横尾 龍(よこお しげみ、男性、1883年(明治16年)7月21日 – 1957年(昭和32年)1月7日)は、日本の実業家、政治家。通商産業大臣(第4代)。参議院議員(1期)。 佐賀県小城郡芦刈町(現小城市)に生まれる。佐賀県尋常中学校唐津分校、第五高等学校を経て、1907年東京帝国大学工科大学造船科を卒業、三菱長崎造船所に入社する。その後鈴木商店に転職し、1921年神戸製鋼播磨造船工場工作課長、後に工場長、1929年播磨造船所専務取締役となる。1943年社長に就任。 戦後の1949年、兵庫県選挙区で行われた参議院補欠選挙に民主自由党より立候補し当選。1950年第3次吉田第1次改造内閣にて通商産業大臣として入閣する。
田邊 新之助(たなべ しんのすけ、文久2年(1862年)1月… 田邊 新之助(たなべ しんのすけ、文久2年(1862年)1月8日 - 昭和19年(1944年))は、日本の教育者、漢学者。逗子開成中学校、鎌倉女学校を創設した。東京開成中学校の校長も務めた。東京府士族。子に田辺元、孫に野沢協がいる。
天野 為之(あまの ためゆき、1861年2月6日(万延元年1… 天野 為之(あまの ためゆき、1861年2月6日(万延元年12月27日) - 1938年(昭和13年)3月26日)は、明治・大正・昭和期の経済学者、ジャーナリスト、政治家、教育者、法学博士。衆議院議員、東洋経済新報社主幹、早稲田大学学長、早稲田実業学校校長を歴任した。勲三等瑞宝章受章。