尾田 賢典(おだ よしのり、1980年12月5日 - )は、… 尾田 賢典(おだ よしのり、1980年12月5日 - )は、熊本県山鹿市出身の陸上競技選手。専門は長距離走・マラソン。2011年世界陸上大邱大会男子マラソン日本代表。大牟田高等学校、関東学院大学卒業。現役時代はトヨタ自動車陸上長距離部に所属した。東洋大学→日産自動車陸上競技部→西鉄駅伝部に在籍していた尾田寛幸は弟である。 大牟田高校では2年次まで主力選手ではなかったが、3年生になると頭角を現し第49回全国高校駅伝では6区で区間賞を獲得した。 関東学院大学では1年次からチームのエースとして活躍。箱根駅伝は3回出場し、1年次の第76回大会では華の2区を務めるも区間最下位。3年次の第78回大会では1区に起用されリードを奪うことが求められるも、終盤まで大集団のまま牽制が続き区間5位に終わる。
池上 洋二郎(いけがみ ようじろう、1974年6月25日 -… 池上 洋二郎(いけがみ ようじろう、1974年6月25日 - )は、日本の元陸上競技選手、元競輪選手。熊本県山鹿市出身。 日本競輪学校第77期生。同期には小倉竜二、小野俊之らがいる。1996年4月13日、小倉競輪場でデビューし、初勝利も同日。 2010年1月26日選手登録削除。通算戦績978戦205勝、優勝8回。 この項目は、陸上選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:陸上競技/PJ陸上競技)。
布上 正之(ぬのがみ まさゆき、1934年3月24日 - 2… 布上 正之(ぬのがみ まさゆき、1934年3月24日 - 2023年6月25日)は、日本の元陸上競技選手、指導者。熊本県山鹿市出身。中央大学卒業。 2年時の第30回箱根駅伝では9区を走る。2位の早稲田大学とは13秒差と首位で襷を受け、少しずつ差を離していたが、中継所から約300mにある戸塚踏切の警報器が鳴り始め、布上が通る直前に遮断機が降り始める。すると、遮断機をくぐるのにロスタイムがあってはいけないと、ムキになって駆け抜けた。しかし、このペースアップの影響で後半に失速し、早稲田大学に抜かれ、2位に後退。10区でも日本大学に抜かれて順位を一つ落とし、中央大学は総合優勝を逃した。この失敗が布上の選手、そして指導者としての原点になっているという。
戸上 研之(とがみ かねゆき/けんし、1912年8月1日 -… 戸上 研之(とがみ かねゆき/けんし、1912年8月1日 - 1986年)は、日本の陸上競技(跳躍)選手。1936年ベルリンオリンピックで男子走幅跳に出場した。 現在の熊本県山鹿市石(旧鹿本郡八幡村)出身。宇土中学校(現在の熊本県立宇土中学校・高等学校)に学び、同窓の谷口睦生(短距離走、八代出身)とともに関西大学に進学した。 1936年ベルリンオリンピックでは日本代表に選ばれ、走幅跳で出場。記録は6.18mで、予選を突破できなかった。 1937年(昭和12年)1月から5月にかけ、村社講平(中央大学)とともにニュージーランドに遠征。クライストチャーチにおいて三段跳で15m58を記録した(当時のニュージーランド記録を越える記録)。