荒木 翔太(あらき しょうた、2001年4月5日 - )は、… 荒木 翔太(あらき しょうた、2001年4月5日 - )は、熊本県玉東町出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。NPBでは育成選手だった。 小学生から「玉東町少年野球クラブ」で軟式野球を始め、玉東町立玉東中学校では「熊本北リトルシニア」に所属した。 高校は熊本市の熊本市立千原台高等学校に進学。甲子園出場の経験は無いが、2年生の夏から二塁手のスターティングメンバーとして出場した。3年生の夏の第101回全国高等学校野球選手権熊本大会では、4番・三塁手として出場し、2安打1打点の活躍をしたが、ルーテル学院高校に初戦敗退した。 2019年10月17日に行われたドラフト会議にて、福岡ソフトバンクホークスから育成ドラフト6位指名を受け、11月1日、支度金300万円、年俸360万円(金額は推定)で契約合意に達し、12月5日、福岡市内のホテルで入団発表会見が行われた。
續 素美代(つづき すみよ、1967年12月29日 - )は… 續 素美代(つづき すみよ、1967年12月29日 - )は日本の女性登山家、冒険家、フリーライター。ヒマラヤ山脈やカラコルム山脈の8000m峰の登頂記録を持つ。 熊本県玉名郡玉東町生まれ。幼い頃は大人しく、人見知りも激しかった。外で遊ぶより自宅で読書をしたり、フェルトで人形を作ったり、刺繍をするなどして過ごすことが多かった。母親のしつけは厳しく、特に家事は3、4歳頃から仕込まれた。 國學院大學4年生のときに行ったフランス旅行の帰りの飛行機の中でドイツ人の男性登山家に登山に誘われる。「富士山くらいなら一緒に登ってもいいか」という程度の軽い気持ちで電話番号を教えたが、その後本当に誘いの電話がありエベレスト登山隊に同行することとなった。
チェスキーナ・永江 洋子(チェスキーナ・ながえ ようこ,Yo… チェスキーナ・永江 洋子(チェスキーナ・ながえ ようこ,Yoko Nagae Ceschina、1932年4月5日 - 2015年1月10日)は、日本・イタリアのハープ奏者。音楽家のパトロンとしての活動でも知られた。 熊本県玉名郡玉東町出身。熊本県立第一高等女学校で学んだ後、1952年に熊本大学教育学部附属小学校の代用教員となる。1954年、東京芸術大学のハープ科に入学。その後、同大学を休学し、東京交響楽団でハープ奏者として活動する。 1960年からイタリアのヴェネツィアに留学し、1977年には資産家のレンツォ・チェスキーナと結婚。1982年に夫が死去した後、裁判を経て300億円の遺産を相続し、篤志家として活動するようになる。