廣池 康志郎(ひろいけ こうしろう、2002年9月16日 -… 廣池 康志郎(ひろいけ こうしろう、2002年9月16日 - )は、宮崎県都城市出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。千葉ロッテマリーンズ所属。 小学校3年生のときに野球を始めた。 都城農業高校では2年時に遊撃手から投手へ転向した。2年夏の宮崎大会では全3試合に登板したが、都城東との3回戦で敗退。3年夏は新型コロナウイルスの影響で甲子園大会およびその出場権を懸けた地方大会が中止となり、独自代替大会(宮崎)では1回戦敗退であったが、最速142km/hを計測した。高校卒業後は、小学生の頃から憧れを抱いていた畜産業(詳細後述)を専門的に学ぶため、東海大学農学部応用動物科学科に入学した。 東海大学では九州キャンパス硬式野球部で野球を続け、農学部の実習も多かったが、野球と両立した。
戸郷 翔征(とごう しょうせい、2000年4月4日 - )は… 戸郷 翔征(とごう しょうせい、2000年4月4日 - )は、宮崎県都城市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。読売ジャイアンツ所属。 2023年シーズンからは同チームの投手キャプテンを、2024年シーズンからは選手会副会長を務める。 三股町立三股西小学校1年生の時に三股西ファイターズで野球を始め、都城市立妻ケ丘中学校では同校の軟式野球部に所属し、1年生は捕手、2年生から投手としてプレーした。 高校は延岡市の聖心ウルスラ学園高等学校に進学し、1年生の秋からベンチ入りを果たす。エースピッチャーとなった2年夏には第99回全国高等学校野球選手権大会に出場。対早稲田佐賀高校戦では、完投勝利で初戦突破するが、2回戦で聖光学院高校に4対5で敗れた。
森 遼大朗(もり りょうたろう、1999年4月22日 - )… 森 遼大朗(もり りょうたろう、1999年4月22日 - )は、宮崎県都城市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投左打。千葉ロッテマリーンズ所属。 宮崎県立都城商業高等学校では2年秋からエースを務めた。3年夏は県大会4強に終わり甲子園出場はならず、また3年の8月には練習中に左膝を損傷し、全治6か月の大怪我を負った。 2017年10月26日に行われたプロ野球ドラフト会議において千葉ロッテマリーンズから育成2位指名を受け、12月1日に支度金300万円、年俸240万円で契約を結んだ(金額は推定)。背番号は123。 2018年、シーズン前半は左膝のリハビリと体作りを行い、9月19日のイースタン・リーグの東北楽天ゴールデンイーグルス戦で公式戦初登板を果たし、1回を無失点に抑えた。
柳 裕也(やなぎ ゆうや、1994年4月22日 - )は、宮… 柳 裕也(やなぎ ゆうや、1994年4月22日 - )は、宮崎県都城市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。 宮崎県都城市生まれで、都城市立大王小学校・都城市立小松原中学校出身。小学3年から都城市の志比田スポーツ少年団で野球を始め、小学6年時には主戦で四番打者として軟式の全国大会に出場した。なお同年(2006年)に父親を交通事故で亡くしており、当時12歳の柳が喪主を務めた。中学時代は都城リトルシニアに所属し、3年生だった2009年にはシニアの日本代表に選ばれ、アメリカで開かれた少年野球全米選手権大会で優勝し、最も優れた投手に贈られるサイ・ヤング賞を受賞した。 中学卒業後の2010年、横浜高校に進学し、地元に母親・妹・祖母を残して単身で横浜へ渡った。
大田原 隆太(おおたはら りゅうた、1987年7月30日 -… 大田原 隆太(おおたはら りゅうた、1987年7月30日 - )は、宮崎県都城市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 都城市立今町小学校1年時に野球を始め、都城市立五十市中学校では軟式野球部に所属。同部在籍時の3年時に市内大会で準優勝。 宮崎県立都城工業高等学校に進学し、3年時に全国高校野球選手権大会宮崎県大会3回戦・宮崎県立延岡西高等学校戦に於いてノーヒットノーランを達成。チームのベスト8入りに貢献した。 2005年のドラフト会議にて、高校生の部ドラフト4巡目で福岡ソフトバンクホークスに入団。 一軍昇格は果たせず、2009年もウエスタン・リーグで4試合に登板、10イニングで20失点と散々だった。
入来 祐作(いりき ゆうさく、1972年8月13日 - )は… 入来 祐作(いりき ゆうさく、1972年8月13日 - )は、宮崎県都城市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、プロ野球コーチ。現在は横浜DeNAベイスターズのコーチを務める。 兄は元プロ野球選手の入来智。弟・入来博之も元野球選手で、TDK硬式野球部に所属していた。 実父は元自衛官。小学校2年生の時に、兄・智が所属していた少年野球チーム「五十市タイガース」で野球を始めた。 中学進学後に野球部へ所属してからは、投手として完全試合を2,3回、ノーヒットノーランを6回記録。3年生の時には、全国26の高校から進学の誘いを受けるほど注目された。しかし、夏季休暇中に、兄・智が所属していた三菱自動車水島硬式野球部(現・三菱自動車倉敷オーシャンズ)の練習へ参加。
山尾 伸一(やまお しんいち、1968年8月6日 - )は、… 山尾 伸一(やまお しんいち、1968年8月6日 - )は、宮崎県都城市出身の元プロ野球選手(外野手)。 現在は、個人でトレーナー業を営む。 都城西高から、1986年のプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズから6位指名を受け入団。 一軍出場のないまま、1990年限りで現役を引退。 引退後はトレーナーに転身。清原和博、石毛宏典、小久保裕紀、斉藤和巳らのトレーナーを歴任したのち、2005年秋より寺原隼人と個人契約しスランプに陥っていた寺原の筋力を強化させ復活への目途をつけた。2007年シーズンより。再び小久保の個人トレーナーとして再契約した。
入来 智(いりき さとし、1967年6月3日 - )は、宮崎… 入来 智(いりき さとし、1967年6月3日 - )は、宮崎県都城市出身の元プロ野球選手(投手)。
益田 明典(ますだ あきのり、1965年9月23日 - )は… 益田 明典(ますだ あきのり、1965年9月23日 - )は、宮崎県都城市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。左投左打。 2019年2月6日より、愛知学院大学硬式野球部の監督を務める。 都城西高から愛知学院大学に進学。愛知大学リーグでは4年時に2季連続でリーグ優勝に貢献し、最優秀選手とベストナインに選ばれた。明治神宮大会では初戦で近大の山内嘉弘と投げ合って完投勝利。リーグ戦通算35試合登板、23勝7敗、防御率1.95。1987年のNPBドラフト会議で読売ジャイアンツから5位指名を受け入団した。背番号は33。 プロ1年目の1988年に一軍初登板を含む2試合、2年目の1989年に3試合に登板しただけで、その後は一軍登板はなく1991年に現役を引退。
大井 久士(おおい ひさし、1963年10月22日 - )は… 大井 久士(おおい ひさし、1963年10月22日 - )は、宮崎県都城市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。 西武ライオンズ入団から現役選手(9年間)・チームスタッフ(17年)・二軍バッテリーコーチ(3年)時代を含め、西武一筋29年間で、黄金期を支えた人物の一人である。 都城西高から、1981年オフにドラフト外で西武ライオンズに入団。1984年には米国1Aサンノゼ・ビーズへの留学を経験したが、常に故障との戦いで一軍出場を果たせず、1990年に現役を引退。 引退後も西武に残り、チームスタッフ(1991年 - 2007年)→二軍バッテリーコーチ(2008年 - 2010年)を務めた。チームスタッフではブルペン捕手を務め、投手の投球練習時におけるサポートや投手の調子を的確に把握した上で必要に応じて、チーム首脳陣に報告などの業務を担当。
加藤 誉昭(かとう たかあき、1963年4月24日 - )は… 加藤 誉昭(かとう たかあき、1963年4月24日 - )は、宮崎県都城市出身の元プロ野球選手(外野手)。左投左打。 都城商業高3年時の1981年、第63回全国高等学校野球選手権大会に4番打者として出場し、3回戦岡谷工業高戦でのサヨナラ本塁打・1試合2本塁打を含む大会3本塁打を記録。 1981年のプロ野球ドラフト会議でヤクルトスワローズから2位指名を受け入団する。 プロ3年目の1984年に一軍初出場。1988年10月に現役を引退。 引退後はベースボール・マガジン社の記者を経て、プロ野球グッズ企画制作販売等を事業とする有限会社トータルベースボールワークスを設立。同社代表取締役社長となる。その後は九州料理を出す外苑前駅近くの居酒屋に勤める。
南牟礼 豊蔵(みなみむれ とよぞう、1960年12月9日 -… 南牟礼 豊蔵(みなみむれ とよぞう、1960年12月9日 - )は、宮崎県都城市出身の元プロ野球選手(外野手)。 1960年12月9日に宮崎県都城市で生まれる。「南牟礼」という名字は鹿児島県東部の大隅半島付近を発祥と言われ、鹿児島県大隅町に多いとされる。全国的には僅か40名ほどしか確認されていないという。 宮崎県立都城工業高等学校では黒原祐二(のちに西武ライオンズ)と同期で、卒業後は電電九州に就職して1980年から2年連続で都市対抗野球大会に出場を果たす。 1981年のドラフト会議で阪急ブレーブスから3巡目で指名されたが、電電九州は他に横浜大洋ホエールズから右田一彦が1巡目、村岡耕一が3巡目で指名されており、同い年かつ同期入社組3名が揃ってプロ入りを果たした。