佐多 宗二(さた そうじ、1921年(大正10年)8月2日 … 佐多 宗二(さた そうじ、1921年(大正10年)8月2日 - 1996年(平成8年)11月10日)は、日本の政治家。全国商工会連合会会長、参議院議員(1期)。 鹿児島県揖宿郡頴娃村(頴娃町を経て現南九州市)出身。1936年(昭和11年)松原高等小学校を卒業。酒造業、製飴業などを経て、1948年(昭和23年)に酒造業を法人化し有限会社佐多宗二商店を設立。 1955年(昭和30年)鹿児島県議会議員に初当選し、1975年(昭和50年)まで務め、県議会議長にも就任。田中角栄から声が掛かった事がきっかけで、1975年(昭和50年)自由民主党参議院議員に当選。1982年(昭和57年)全国商工会連合会会長に就任。
田原 武雄(たはら たけお、1910年(明治43年)12月1… 田原 武雄(たはら たけお、1910年(明治43年)12月15日 - 1988年(昭和63年)10月25日)は、昭和期の農業協同組合指導者、政治家。参議院議員(1期)。 鹿児島県揖宿郡頴娃村(頴娃町を経て現南九州市)で生まれる。1938年(昭和13年)陸軍士官学校(少尉候補者19期)を卒業した。1944年(昭和19年)勲五等瑞宝章受章。 戦後、頴娃町議会議員、頴娃町農業振興会長、青戸農業協同組合長、鹿児島県信用農業協同組合連合会監事、同農業信用基金協会監事、同農民政治連盟副委員長、同経済農業協同組合連合会会長、全国農業協同組合連合会理事、全国茶生産団体連合会会長、えい農業協同組合長、鹿児島県農業協同組合連合会理事、同県茶振興会会長、熊本果実連合会理事、南栄糖業監査役などを務めた。
本田 親清(ほんだ ちかきよ、1877年(明治10年)12月… 本田 親清(ほんだ ちかきよ、1877年(明治10年)12月12日 - 1922年(大正11年)5月18日)は、明治から大正期の実業家、政治家。衆議院議員。 鹿児島県川辺郡勝目郷中山田村(川辺郡勝目村中山田、川辺町を経て現南九州市川辺町中山田)で、旧薩摩藩士・本田杏介の長男として生まれる。鉱山業、貿易商を営む。 大隈重信の支持を受け、田江泰造、山瀬幸人らの支援により、1915年(大正4年)3月、第12回衆議院議員総選挙に鳥取県郡部から無所属で出馬して当選し、その後公正会に所属し衆議院議員に1期在任した。いわゆる落下傘候補で、選挙期間中、地元にほとんど顔を見せることはなかった。1917年(大正6年)4月、第13回総選挙に鹿児島県郡部から立候補したが落選した。
樋戸 次右衛門(ひわたし じうえもん、1864年6月22日(… 樋戸 次右衛門(ひわたし じうえもん、1864年6月22日(元治元年5月19日) - 1934年(昭和9年)10月31日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 鹿児島県出身。後の揖宿郡頴娃町(現南九州市)生まれ。攻玉社、三田英学塾で学び、アメリカへ留学する。小学校教員、英語教師となり、頴娃村会議員、同助役、同学務委員、同農会長、鹿児島県会議員、同参事員を務める。また、農業を営み、鹿児島県茶葉組合連合会議所会頭、福徳生命保険(株)鹿児島出張所長となる。 1920年の第14回衆議院議員総選挙において鹿児島3区から立憲政友会公認で立候補して当選する。衆議院議員を1期務め、1924年の第15回衆議院議員総選挙では政友本党から立候補したが落選した。
折田 兼至(おりた かねたか、1858年3月11日(安政5年… 折田 兼至(おりた かねたか、1858年3月11日(安政5年1月26日) - 1923年(大正12年)6月5日)は、明治から大正期の政治家・実業家。衆議院議員(4期)。 薩摩国給黎郡知覧郷(鹿児島県給黎郡知覧村、川辺郡知覧村、知覧町を経て現南九州市)で、神職・折田丹江の長男として生まれた。1882年(明治15年)2月、家督を相続する。私学校に学ぶ。和漢学、英学を修めた。1882年(明治15年)熊本に九州進歩党を創立した。ほか、学務委員、徴兵参事員、衛生会委員、県教育会副会長などを歴任した。 1883年(明治16年)7月、鹿児島県会議員に選出され、1887年(明治20年)6月、県会副議長、1888年(明治21年)3月、第6代県会議長に就任し、同常置委員も務めた。
鮫島 相政(さめしま すけまさ、安政4年1月18日(1857… 鮫島 相政(さめしま すけまさ、安政4年1月18日(1857年2月12日) - 明治44年(1911年)12月12日)は、日本の衆議院議員(同志倶楽部→立憲政友会)、弁護士、検事。 薩摩国揖宿郡頴娃村(現在の鹿児島県南九州市)出身。1877年(明治10年)、警視局(のち警視庁)警部補として出仕し、山梨県と石川県で警部を務めた。1884年(明治17年)、代言人免許を取得し、弁護士として活動した。 1892年(明治25年)、鹿児島県会議員に当選し、4期務めた。その間、2回議長に選出された。1898年(明治31年)、第5回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、第6回・第7回と当選を重ねた。議員引退後は検事として活動した。