太田 龍(おおた りゅう、1998年11月15日 - )は、… 太田 龍(おおた りゅう、1998年11月15日 - )は、鹿児島県薩摩郡さつま町出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 さつま町立盈進小学校1年から野球を始め、6年時に「宮之城野球スポーツ少年団」で全国大会出場。さつま町立宮之城中学校では軟式野球部に所属。 れいめい高等学校では、1年春からベンチ入りし、3年次には山本由伸・梅野雄吾・浜地真澄らと共に「九州四天王」として話題を集めたが、甲子園出場経験はなかった。 最後の夏に痛めた肘と大柄な体格に伴う成長痛の影響もあり、プロ志望届を提出せず、高校卒業後は社会人野球のJR東日本硬式野球部に進んだ。身体作りの基礎が整った2年目から急成長し、2018年7月に開催された第89回都市対抗野球大会では若獅子賞(新人賞)を受賞した。
徳留 真紀(とくどめ まさき、1971年2月14日 - )は… 徳留 真紀(とくどめ まさき、1971年2月14日 - )は、鹿児島県薩摩郡宮之城町(現:さつま町)出身のオートバイレーサー。1996年のロードレース世界選手権125ccクラスランキング2位の記録を持つ。 1986年、15歳の時に地元鹿児島でレースを始める。高校時代は同じ宮之城町二渡出身のライダー、徳留和樹の実家のバイクショップのチーム「No1レーシング」に所属し、ミニバイクレースで活躍した。高校卒業後は鈴鹿に本拠地を移し、1993年には全日本ロードレース選手権GP125クラスでシリーズランキング3位の成績を収めた。 翌1994年には Racing Supplyチームからホンダ・RS125を駆ってロードレース世界選手権125ccクラスにフル参戦デビューを果たした。
東郷 克美(とうごう かつみ、男性、1936年12月9日 -… 東郷 克美(とうごう かつみ、男性、1936年12月9日 - )は、日本の日本文学研究者。専門は日本近代文学。早稲田大学名誉教授。 鹿児島県さつま町出身。1959年早稲田大学教育学部国語国文学科卒業。安田女子高等学校教諭、東京都立深川高等学校、東京都立小平高等学校、早稲田大学高等学院の教諭を経て、1971年成城短期大学専任講師。1979年成城大学文芸学部助教授、1982年同教授。1993年早稲田大学教育学部教授。2006年、同大学を定年退職、名誉教授。
原田 正純(はらだ まさずみ、1934年9月14日 - 20… 原田 正純(はらだ まさずみ、1934年9月14日 - 2012年6月11日) は、日本の医師。学位は医学博士。 鹿児島県さつま町出身。ラ・サール高等学校、熊本大学医学部卒業。 熊本大学医学部で水俣病を研究し、胎児性水俣病も見いだす。水俣病と有機水銀中毒に関して数多くある研究の中でも、患者の立場からの徹底した診断と研究を行い、水俣病研究に関して詳細な知識を持った医師でもあった。熊本大学退職後は熊本学園大学社会福祉学部教授として環境公害を世界に訴える。 1972年6月、スウェーデンのストックホルムで開催された「国際連合人間環境会議」に環境学者の宇井純、水俣病患者の濱元二徳、坂本フジエ、坂本しのぶらと出席。
帖佐 美行(ちょうさ よしゆき、1915年〈大正4年〉3月2… 帖佐 美行(ちょうさ よしゆき、1915年〈大正4年〉3月25日 - 2002年〈平成14年〉9月10日)は、彫金家、文化勲章受章者。鹿児島市立美術館顧問 鹿児島県薩摩郡宮之城町(さつま町)生まれ、出身。本名・良行。小学校卒業後、兄を頼って13歳で上京。1930年小林照雲に師事、1940年海野清に師事する。1942年第5回新文展で初入選、1954年の第4回と1955年の第5回の日展で連続して特選、1962年の第5回(民営化後)日展で文部科学大臣賞、1965年第8回日展で日本芸術院賞を受賞。 1957年日展審査員。1958年日本金工作家協会結成に参加、日展評議員、1962年現代工藝美術家協会結成に参加、1969年日展理事、1974年日本芸術院会員、1975年日展常務理事、1978年日本新工芸美術家連盟を結成。
上宮山 勇市(うえみややま ゆういち、1904年3月30日 … 上宮山 勇市(うえみややま ゆういち、1904年3月30日 - 没年不明)は、鹿児島県薩摩郡宮之城町(現さつま町)出身で井筒部屋に所属した元大相撲力士。本名は中間 勇一。最高位は十両11枚目(ただし、後述のように十両力士として土俵に上がらなかった)。 井筒部屋に入門し、1923年1月、初土俵を踏む。1932年1月、十両に昇進したが、番付発表直後に起きた春秋園事件で脱退し、革新力士団に加わった。その後は相撲協会に復帰することはなかった。
宇都宮 平一(うつのみや へいいち、1858年6月1日(安政… 宇都宮 平一(うつのみや へいいち、1858年6月1日(安政5年4月20日) - 1896年(明治29年)12月23日)は、明治時代の政治家、教育者。衆議院議員(1期)。 薩摩国伊佐郡宮之城郷(鹿児島県南伊佐郡宮之城村、薩摩郡宮之城町を経て現さつま町)に生まれる。藩校ついで私学校で学び、西南戦争への従軍を経て上京し、中村敬宇の門に入って英学を修める。盈進館にて教鞭を執ったのち、上海亜細亜学館教頭兼学生監、埼玉県発陽学舎教授、第一高等中学校、東京英語学校、官立農林学校予備校各教授などを歴任した。 1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では鹿児島県第4区から出馬し、当選。弥生倶楽部に所属し、衆議院議員を1期務めた。
大浦 兼武(おおうら かねたけ、1850年6月15日〈嘉永3… 大浦 兼武(おおうら かねたけ、1850年6月15日〈嘉永3年5月6日〉- 1918年〈大正7年〉9月30日)は、明治・大正期の日本の内務官僚、政治家。 島根県知事(第10代)、山口県知事(第4代)、熊本県知事(第4代)、宮城県知事(第6代)、警視総監(第12・14代)、貴族院議員(勅選)、逓信大臣(第14代)、農商務大臣(第22・26代)、内務大臣(第24・27代)、大日本武徳会会長を歴任した。 薩摩藩主島津家の分家である宮之城島津家の家臣の大浦源太夫の長男として宮之城屋地に生まれる。幼名は均。戊辰戦争では19歳で、薩摩藩軍に参加し、奥羽会津城方面に出征。1869年、宮之城町に藩の常備隊が置かれると、二番小隊の小頭に任じられた。
和泉 邦彦(いずみ くにひこ、1849年3月12日(嘉永2年… 和泉 邦彦(いずみ くにひこ、1849年3月12日(嘉永2年2月18日)- 1913年(大正2年)6月6日)は、明治期の日本の政治家。衆議院議員。旧姓・児島。 薩摩国伊佐郡宮之城郷屋地村(鹿児島県伊佐郡宮之城郷屋地村、南伊佐郡宮之城郷屋地村、宮之城村、宮之城町を経て現さつま町)で薩摩藩士・児島七郎右衛門の長男として生まれ、1868年(明治元年)和泉少左衛門の養子となり家督を相続した。藩校造士館で学んだ。 明治維新後、東京愛宕下警察区長に就任。台湾出兵に参加。明治六年政変で下野した西郷隆盛に従い帰郷。西南戦争に参加し、戦後、東京の市谷監獄に入獄。出獄後、郷友会・三州会の設立に参画。1882年(明治15年)10月、『麑城新報』を創刊した。
笹田 美樹(ささだ みき、9月10日 - )は、鹿児島県を拠… 笹田 美樹(ささだ みき、9月10日 - )は、鹿児島県を拠点に活躍する日本の女性ローカルタレントで南日本放送(MBC)の専属タレント。ラジオパーソナリティ。鹿児島県薩摩郡さつま町(旧・宮之城町)出身。愛称は「ささやん」。 学生時代はテニスに熱中した。その後、MBCラジオのポニーメイツ(ラジオレポーター)を経て同社のタレントとなる。2000年代からMBCの看板娘として活躍。現在も、ラジオを中心に多数のレギュラー番組を持っている。 この項目は、芸能人一般(俳優/女優・歌手・お笑い芸人・アナウンサー以外のタレントなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:芸能人)。
上屋敷 綾 は、日本の元女子バレーボール選手。